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MUSEO NACIONAL DE ARQUEOLOGÍA Y ETNOLOGÍA

グアテマラ考古学民俗学博物館 特別室、ティカル室、他
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   (Puerta para La Sala de Jade)

グアテマラ国立考古学民俗学博物館には、石造物以外にも魅力的なマヤの展示物が沢山あります。 このページでは、翡翠室と呼ばれる 特別室とティカル関連の展示物を中心に見どころをご紹介します。

上の写真、左は 11月18日木曜日の写真、右は 1月5日水曜日です。 それぞれ右側に特別室の入り口 が映っているのですが…。

(訪問日 2010年11月18日) 画像

特別室(翡翠室)   Sala de Jade

11月18日、閉まっていました。  ( ̄▽ ̄; ) !! ガーン

初めてのグアテマラの考古学博物館、特別室以外でも十分満足して、次のポポル・ブフ博物館へ急いだのですが…、1月初めに訪問された方から、 開いてましたよ、と。  \(` o '") コラーッ !!

グアテマラの日系旅行会社 カクテルツアーズ のページによると 日曜日は特別室が閉館になるようですが、木曜なのに閉まってました。 どうして???  まあ再訪する口実が出来ましたが。

と言う事で写真は無かったのですが、1月に訪問された方のご厚意で写真をお借りする事が出来ました。この場を借りてお礼申し上げます。  特別室の写真は全てF.O.氏が撮影されたものです。

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 (Placa de Jade, Nebaj, Quiche)             (Ornamento de forma de ave, Topoxté, Petén)

まずネバフ出土の翡翠彫刻のプレート(古典期後期)、幅 14.6cm の翡翠の板に見事なマヤの図柄が彫られています。 中部低地ペテン地方からかと 思いましたが、ネバフの場所を調べてみると少し南のキチェ県中西部にあり南部高地でした。 遺跡としては知られていませんが、このプレート以外にも土器や 石器など 芸術性の高いものが残されます。

右はヤシャー湖畔 トポシュテ遺跡 墳墓 49 出土の貝製装飾品(古典期後期)で、 水鳥の嘴、羽、脚などが貝で細かく表現された、高さ 7.5cm の小品です。

ネバフの翡翠プレートもトポシュテの貝細工も、2007年夏に日本で開催された 『インカ・マヤ・アステカ展』に出展されていました。 今回は閉じられた扉 の向うで再会ならず。 (T T)
この特別室 翡翠製品は多いですが、展示物は翡翠に限られず、謂わば国宝級のものが集められた国宝室と言ったところでしょうか。

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              (Máscara funeraria, Tikal, Peten)

この翡翠の仮面は 高さ 34.5cm 幅 29.5cm と大型のもので、ティカルからのものとして あちこちの文献でその写真が引用されます。 特別室の目玉のひとつ でしょう、見たかったです。

特別室でどんな説明書きが添えられていた のか興味ある所ですが、文献やウェブで調べてみても墳墓 160 からというだけで詳細がわかりません。 せめてこの墳墓がどの建造物にあったのか、 この仮面が古典期前期なのか後期なのか位は知りたい所です。 高貴な人の埋葬では口の中に翡翠が含ませられますが、この仮面の口の中にも翡翠の玉が あります。

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(Vaso, ofrenda de entierro 196, Tikal)  (Vaso policromado, Acrópolis Central, Tikal)

翡翠の円筒容器は1号神殿下にあったハサウ・チャン・カウィール1世(在位 682-734AD)の埋葬 116 からの副葬品が有名ですが、これはその息子 イキン・チャン・カウィール(在位 734AD - )かその息子 28代王の墓と思われる 神殿 73 から見つかった 墳墓 196 の副葬品です。 埋葬 116 の ものと比べても見劣りしない立派なもので、高さ 24.2cm 直径10cm あります。

右は王たちの居所として使われた中央アクロポリスからの出土品で、794年の日付を持ち、ヤシュ・ヌーン・アィーン2世(在位 768D - )が描かれた 見事な多彩色円筒土器です。 一見したところ無傷で、彩色も作られた当時のままのように見えます。

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    (Figurilla de Jade, Tikal)       (Cuenco con tapadera, Tikal)

左は翡翠と貝で作られた飾りで、ティカルのガイドブックには1 1/2 インチとあり、4cm 弱の小さなもののようです。 時代は同じガイドブックで 450AD とありました。

右もティカルからで、多彩色の蓋付きの壺です。 取っ手は写実的な頭部で、蓋には幾何学模様が描かれた古典期前期の傑作のひとつです。

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 (Reconstruccion de Entierro 116, Tikal)  (Ofrendas de Jade, Entierro 116)

そして上の方でも触れた、ハサウ・チャン・カウィール1世の埋葬 116 が特別室内に再現されているようです。 埋葬 116 については、ティカル遺跡併設の 土器の博物館 (Museo Sylvannus G. Morley) にも復元があり ややこしいですが、遺跡の博物館には副葬品の内 骨、土器、貝は本物が残され、翡翠の装身具 は国立博物館に移されているそうです。 ここにある翡翠の装身具が発見された実物になるのでしょうか?

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         (Soporte de espejo de pirita, Kaminaljuyú, Preclásico Tardío 500BC-250AD)

黄鉄鉱の鏡の台座(粘板岩製)、カミナルフユ、先古典期後期

2013年から2014年にかけての メキシコシティーでのマヤ展 にも出品されていた逸品です。
彫られているのは創造神イツァムナーフが洞窟の中でコパルを焚いて祭礼を執り行っている様子と考えられます。

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 (Cajeta con decoración)

この箱は一体何なんでしょう。 焼き物に彩色したようにも見えますが??? 細かい細工が施され、高貴な女性の持ち物、もしかすると 化粧に使われたもの? 或いは部屋の中で香を焚いた? 想像の域を出ません。

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     (Panel 1, La Corona)

そしてこの石造物。 横長で石碑ではなく、石版(Dintel)でしょうか。 破損、風化が認められず、素晴らしい状態のように見えますが、どこからの ものか、何が書かれているのかわかりません。


以上ご提供頂いた特別室の写真をご紹介しました。 素晴らしい展示物ばかりで、早い機会に自分の目で見てリベンジを果たしたいところです。




ティカル・コーナー   Sala de Tikal

入り口から反時計回りに進み、先古典期やカミナルフユの展示を抜けていくと、下の写真のティカル遺跡の大きな模型に行き着きます。 ここが ティカル室、ティカルのコーナーです。

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 (Maqueta de parte central de Tikal)

模型では北のゾーンと南東の6号神殿(碑文の神殿)を除いた中心部が細かく再現されています。 既に失われてしまった建造物や、まだ土を被った ままの建造物が、アグアダ(水場)と共に復元されており、8世紀初めのティカルの威容が推し量られて、遺跡訪問前の予習に有用です。

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 (Maqueta en frente de Museo Lítico de Tikal)

ティカル遺跡にある復元模型は石碑博物館前で、北のゾーンと神殿VI を含んだ大きなものですが、首都の博物館の方が 神殿の屋根飾りの模様まで 再現された精巧な仕上りになっています。

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 (Cuenco policromo con tapadera zoomorfa, Tikal)

さて、ここからがティカル・コーナーにある展示物です。 写真は動物の頭の取っ手がついた蓋を持つ壺で、見事に彩色されています。 博物館の説明 は 「動物を模った蓋を持つ壺、ティカル、古典期前期(250-600AD)」のみ、何の動物なのか? ワニかと思ったら蓋の上に描かれた足は先の方が 蹄のようで、よくわかりません。

と言う事で、以下全てティカル出土、古典期前期(250-600AD)の土器、説明なしで画像8点。

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          (Cerámicas de Tikal, Período Clásico Temprano)

最後の1点には、テオティウアカン風の水の神トラロックが描かれています。

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 (Cuencos, Vasos policromados, Tikal)

他にも幾何学模様で装飾された彩色土器が沢山。 集合写真です。



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 (Dintel 3 de Templo IV, réplica)

土器の他に、ティカルからの重要な遺物が2点展示されています。 これは4号神殿の上部神殿内部を飾った木造彫刻で、中央に正装して彫られて いるのが4号神殿を建てたイキン・チャン・カウィール、特別室にあった多彩色円筒土器に描かれた王の父親になります。

碑文には王の戦勝記録が彫られ、 743-744年にかけて西でエル・ペルーを破り、直後に東のナランホに攻め込んで王を捕獲したりと、戦争が続いた 様子が記されます。

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 (Parte central de Dintel 3)           (Dintel 1 de El Zotz, Original)

王が彫られた中央部を拡大してみました。 衣装が細部まで表現され、縦に何枚かの材木を繋いであり、実物かと思いましたが、どうも複製品 のようです。 実物の写真と見比べてみましたが、とてもよく出来た複製です。

右は横に飾られていたエル・ソッツからの木製彫刻で、こちらは実物だそうです。 やはり複製よりは表面の風化が目立ちます。


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  (Marcador de Juego de Pelota, Sur de Mundo Perdido, Tikal)

もう一つのティカルからの重要な展示物がこれ、高さ1m程の球戯のマーカー。 ティカルの失われた世界の南 約 400m にあるグループ 6-C で 80年代に発掘されたもので、テオティウアカンとの関連を示すものとして注目されました。

下部の円柱両面に碑文が刻まれ、片面にシャフ・カック(煙カエル)がウアシャクトゥンを征服した事、もう片面に投槍フクロウが 374年に即位し、 このマーカーが 416年に奉じられた事などが記されているそうです。

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 (Marcador de Teotihuacan)  (Simbolo de Atlatl y Búho)

ティカルがテオティウアカンに軍事的に征服されたと言う説があり、これは論争のある所ですが、写真左のテオティウアカンのマーカーとティカルの マーカーの形状は同じと言って良く、グループ 6-C がテオティウアカンの建築様式が残る失われた世界の南にあり、グループ 6-C にもテオティウアカン 様式があるようで、テオティウアカンから来た勢力がこのグループに居住していたのかもしれません。

投槍フクロウの投槍器はテオティウアカンが用いた武器で、マーカー上部の羽で縁取りされた円盤(写真右)の中には手で握られた投槍器とその奥にフクロウが 彫られていて、このマーカーが投槍フクロウに捧げれたことを示すようです。



フン・ナル・イェ の石造容器   La Caja de Hun Nal Ye


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 (Paneles de explicación para Hun Nal Ye)

ティカル・コーナーの先だったと思います。 フン・ナル・イェ の石造容器 が展示されていました。 2005年に手つかずのマヤの洞窟が発見され、 数多くの奉納物の中から見つかったのが、この素晴らしい彫刻が施された蓋付きの容器です。 展示パネルにあるように、洞窟はセノーテの壁に口を開け、 内部の鍾乳石の壁に奉納物が収められていました。

場所を調べてみると、ペテン県の南のアルタ・ベラパス県にあり、カンクエン遺跡から 南の方へ 50Km 弱、中部低地と南部高地の境目、海抜 400m強でした。 ウシュマシンタ川やパシオン川の源流にあたり、現在はその清流を活かして エコ・アドベンチャー・パークが設けられています。

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 (Caja de piedra de Hun Nal Ye)

箱は 38 x 22 x 14cm の大きさの工芸品で、蓋の上面と容器の横4面に彫刻が施され、古典期前期 およそ 480 - 550年頃のものと推定されます。 この洞窟 は古典期マヤの聖地だったようで、他に二つの陶製の箱と多数の土器も併せて奉納されていたそうです。

蓋にはウサギを抱えた月の神が描かれ周囲の文字には月の神と彫刻者の名前が彫られています。 箱の前面にはマヤ神話に登場する双子の兄弟が向かい合って 座り、手には コデックス を持っており、碑文学者の中には、この箱には コデックスが入れられたと推定する向きもあるようです。 箱の狭い両サイドには書記ともう一人の彫刻者の名前もあり、箱は少なくとも3名の手になる共作 だったそうです。

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              (Caja de piedra de Hun Nal Ye)

この石造容器の背景には実は驚くようなエピソードが…。 2005年に発見され、写真記録がとられて、政府当局による文化財の登録を待つ間に、なんと盗み出されて しまったそうです。 そしてブラックマーケットを通じて収集家の手に。 しかし国際手配の甲斐もあって、2006年6月には文化省に無記名の小包が届いて、 中からこのマヤの逸品が出てきたそうです。 古典期前期の石造容器で、このように見事に彫刻が施されたものは二つと無く、国際手配されてしまっては、 収集家も早々に諦めざるを得なかったのでしょう。



リオ・アスール 墳墓 16Tumba 16 de Río Azul
 
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 (Reproducción de Tumba 16 de Río Azul)

最後にリオ・アスールの墳墓 19 の復元。 フン・ナル・イェ の石造容器の横にあったと思います。  リオ・アスールはメキシコとベリーズの国境沿いの僻地にあり、ウアシャクトゥンから四駆で5時間かかるそうで、簡単には行けそうもない 遺跡の資料が見られるのも博物館ならでは、です。

リオ・アスールについて少し調べてみたところ、リオ・アスールは 古典期前期には エル・ミラドールティカル と並んで一級のマヤセンターだった ようで、周辺の小さなセンターを含め人口 40万人を擁していたと言うのはちょっと驚きです。 一桁違うような気もしますが、4万人としても 凄いですね。

広場が 41、建造物は 752、石碑が 47本(内 21本が彫刻されたもの) と祭壇が 16 見つかっていて、エル・ミラドール に見られる先古典期に特徴的な3神殿形式のピラミッド(高さ 47m) もあるそうですから、大センターだった事は間違いないようです。  石碑 1 にはティカルが同盟国として記され、石碑 2 には隣のラ・ミルパの王の訪問が刻まれているようです。 ラ・ミルパ は未修復の廃墟でしたが、 リオ・アスールには石造建造物が残るようで、いつか行けたらとは思うのですが…。

リオ・アスールからは下の写真の彩色土器が2点、博物館に展示されていました。

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 (Ceramicas provenientes de Río Azul)





グアテマラ考古学民俗学博物館の特別室、ティカル室他をご紹介しましたが、 カミナルフユ関連 や、博物館の石造物 以外にも、カンクエンからの翡翠の装飾品、土偶、 木製品や、最近発掘が始まったペテン地方のラ・ホヤンカの発掘品等の展示もあります。 また倉庫にしまわれている収蔵品から定期的に展示も変更 されているようで、繰り返し訪問できると良いのですが。



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