Monstruo de la Tierra
大地の怪物
古典期終末期にかけてマヤの中心地ペテン地方で次々にマヤのセンターが放棄されていく中、ユカタン半島では建物の壁面を見事な彫刻で飾る
異なる様式のマヤセンターが勃興してきます。
「雨の神 チャーク」 のページでは主にプーク様式のチャーク像を見てきましたが、このページではチェネス様式、リオ・ベック様式で
特徴的な 大地の怪物 で飾られた建造物 に注目してみます。
(Reconstrucción de Estructura II de Hochob, Museo Nacional de Antropología)
メキシコ市の国立人類学博物館マヤ室裏庭には カンペチェ州ホチョブ遺跡の建造物 II が復元され、大地の怪物の口を模した戸口を持つ
典型的なチェネス様式の建造物が再現されています。
第一部 雨の神チャーク か 大地の怪物 か
「雨の神 チャーク」 のページでは 建物を飾ったモザイク彫刻の仮面は
雨の神 チャーク だ、という前提で話を進めてきました。 これは従来から唱えられてきた定説ですが、このモザイク仮面は 実は
雨の神チャークではなく
カウアックとかウィッツと呼ばれる怪物の顔 だろうとする新しい説が
あります。
(Mascarón del Dios Chaac) (Fachada de Monstruo de la Tierra)
新説の通りだとすると左のカバーのチャーク像もこれから取り上げる右のホチョブの壁面装飾も同じものを表現していると言う事になってしまいますが、
果たしてどうなんでしょう?
雨の神であれば豊作を祈願して雨乞いの為にチャーク像が飾られたと理解は簡単ですが、カウアックとかウィッツの怪物だとすると何やら複雑な事に
なってきます。 カウアックとか何か、ウィッツとは何か…、マヤの世界観に基づく発想、信仰などの説明から始めなくてはなりません。
マヤの大地の怪物 ¿Dios de la Lluvia o Monstruo Terrestre?
まず大地の怪物とは何なのか、ここから始めましょう。
「聖なる山はウィッツで、山の怪物であるカウアックの姿で表わされる。」 これでは何の事かわかりませんね。
ウィッツとは何なのか? マヤの人達にとって山々や大地は生命を宿す神聖なものであり、大地の下には地下世界が広がり、山々や大地に開けられた洞窟
は地下世界との出入り口となって重要な意味を持ちます。 ウィッツとはその聖なる山を意味し、聖なる山に見立てて作り上げたピラミッドも
転じてウィッツと呼ばれるようです。
山や大地のような存在は自らの顔を持たないので、マヤの人達はその特性を表わす象徴的な仮面を考えだし、これが聖なる山ウィッツの怪物とか、大地の
ドラゴン、カウアックの怪物などと呼ばれるものになって、ピラミッドの外壁にその仮面が嵌め込まれ、洞窟の入り口を象徴する神殿の戸口がその仮面で
飾られたりする事になります。
怪物だドラゴンだと言ってもこれはマヤの人達がそう呼んだのではなく、実在しないものを後の人がそう形容しただけで、実際いろいろな呼び方があり
困ります。 Monstruo del witz, Monstruo Cauac, Dragón Terrestre, Monstruo de la Montaña, Monstruo de la Tierra 全て同じもの指しています。
怪物(monstruo)と ドラゴン、竜(dragon)は同じ意味で用いられ、山(montana)と大地(de la tierra, terrestre)も同義と考えて良さそうです。
更にウィッツの怪物とカウアックも同じように用いられるので、ここでは 「大地の怪物」 と通称する事にします。
(Dibujo de Witz por Linda Shele, Estrutura 33, Tikal)
これはティカル 33号神殿のウィッツとされる大地の怪物の模写で、アメリカ人考古学者
リンダ・シーリーが遺したもの をお借りしました。 この仮面は現地で見られる仮面とは異なり
ますが、やはり古典期前期の漆喰彫刻で、オルメカの洞窟=冥界信仰の流れがマヤでも生き続けている事を示していると言えます。
生命が生まれ出る地下界、死者が眠り再生する地下界、太陽が
夜の間眠る地下界、マヤにとっての神聖で大切な地下界が聖なる山のピラミッドに口を開けた事を意味するウィッツ、カウアックの大地の怪物がこの
漆喰彫刻の仮面であり、その仮面の威容はこうしたピラミッドを作り支配する特権階級の権力誇示にも一役買った事でしょう。
コパン 22 号神殿のモザイク彫刻 Mascarones de Edificio 22
大地の怪物、ウィッツやカウアックの意味はわかりましたが、それではユカタンのチャーク像が何故 雨の神ではなく大地の怪物、ウィッツ、カウアックだ
とする説が唱えられるようになったのか。 そのきっかけはコパン 22号神殿のモザイク彫刻にあります。
(Eificio 22, Copán)
これが
コパン遺跡 の 22号神殿で、東の中庭の北側基壇上にあります。 この神殿は
悲劇の王 18ウサギがその居所として作らせたものとされるので 遅くても8世紀前半以前の建造になり、時代的にはユカタンのプーク様式のモザイク彫刻
より古いものになりそうです。
(Escalinata central de Edificio 22)
22号神殿はかなり崩れていますが、正面階段には怪物の牙が残され、神殿全体が洞窟=冥界信仰に基づいて大地の怪物を表わす建物彫刻で
飾られていたと考えられます。
(Mascarones adosados a las esqinas de Edificio 22)
そして問題は 22号神殿の角に残されるこのユカタンのチャーク像に酷似したモザイク彫刻なんですが、ユカタンのものとどこが違うのでしょう?
(Glifo Cauac, T528)
(Glifo Witz, T529) (Mascarón que tiene elementos de Glifo WItz y Cauac)
左上はカウアックを表わすマヤ文字で、左下がウィッツのマヤ文字です。 ブドウの房のような小さい丸の集合が、右の画像で黄色く印したようにコパンの
仮面にも見られる事から、この仮面がチャークではなく、大地の怪物であるという説が唱えられるようにりました。 そして同じような形をしたユカタンの
チャーク像も実は雨の神ではなく、地下界との出入り口を表わす大地の怪物を刻んだものだっただろうと…。
(Mascarones de Copán y Labná)
従来の定説を覆す新説ですが、果たしてそうなんでしょうか? 右の写真のラブナー遺跡のチャーク像のようにユカタンのチャークにも小さな丸が沢山
刻まれますが、ブドウの房のような三角形はありません。 丸そのものは元々水を示す記号としてテオティウアカン他各地で用いられています。 コパンで
ウィッツと認められたのでユカタンも全てそうだ、とは俄かに言い切れないように思いますが、実際どうなんでしょう? コパンの怪物像がどのようにして
遠く離れたユカタンまで伝わったのか? 怪物像が伝わった経路が解明され、経由地の怪物像などが見つかれば大地の怪物説も説得力を増すのですが。
まあ、この辺までが素人の限界で、ここから先は専門家の判断を待ちましょう。 これまでのところユカタンのモザイク仮面もウィッツ、カウアックだとする説が
支持を広げているようにも見えますが、まだ必ずしも定説とはなっていないようです。 メキシコ市の人類学博物館に展示されるカバー遺跡のチャーク像
には、従来の定説のまま 「雨の神チャークに捧げた神殿を飾ったもの」 という説明書きが添えられます。
仮に新説が支持されてユカタンのモザイク彫刻が雨の神チャークでないという事になっても、否定されるのはモザイク彫刻のチャークであり、マヤの雨の神
チャークそのものが否定される訳ではありません。 雨の神チャークは土器類に描かれ、コデックスに登場して、マヤの重要な神として存在し続ける事は
言うまでもありません。
第二部 大地の怪物で飾られた建造物
さてここからがこのページの主題です。 プーク様式のモザイク彫刻が雨の神 チャークなのか大地の怪物なのか、答えがでませんが、第一部で
大地の怪物がどのようなものか見てきたので、第二部のイントロダクションになったでしょうか。
第二部では大地の怪物の口を模した戸口を持つ建造物を個別に見ていきます。
ホチョブ 建造物 II Estructura II de Hochob
(Estructura II de Hochob)
最初に冒頭で紹介した
ホチョブ の建造物 II、上の写真は現地にある実物です。
人類学博物館では大地の怪物の仮面が表わされた中央部分だけ復元されていますが、実際は下の正面図の様に左右に更にもう1部屋づつ繋がった建造物
でした。
モザイク彫刻で作られている為にかなり崩れていますが、一対の目の下に怪物の口が開いて、冥界の入り口と言う印象を与えます。
(Alzado sur de Estructura II de Hochob)
(Parte central de Estructura II de Hochob, Reproducción en MNA y Original en el sitio)
中央部分を複製と実物で比べてみました。 実物も修復の手が入っていますが、複製の方は現地の実物からは想像できない位に細かく作り込まれて
います。 崩れ落ちたパーツを付け足した所もあるかもしれませんが、複製は 1895年に撮られた写真が元になっているようで、その写真には左右の
細長いマヤ民家(縦に格子模様が入った所)の屋根の上に置かれた人物像も確認できました、残念ながら現在は崩れ落ちてしまっていますが。
(Detalle de la fachada : Original y reproducción) (Nueva estela con la fecha de 1945)
仮面の中心部を見ると実物の方には目の部分に赤い彩色が残ります。 1895年の写真では木製のまぐさは消えていしたが、まぐさ上部の壁面は一対の目と
共に崩れずに残っていたので、目の赤い彩色は当時のままのようです。
博物館の複製では目の間の鼻とその下に並ぶ歯まで復元されていますが、鉤型の鼻を付けるとこの部分はチャーク像そのものですね。 チャークの立体彫刻
は左右の部屋の外壁装飾にも用いられ、下の写真の通り一部風化を免れて残っています。
(Detalle de máscaras de escultura mozaico de Chaac)
(Detalle de plataforma con colmillos)
仮面の入り口の前にテラスが広がり テラスに上がる階段には怪物の牙が一部残されますが、これは複製では再現されていません。 複製はよく出来て
いるように見えますが、階段部分はあまり忠実に復元されなかったようです。
複製の前にはホチョブでは見かけない石碑があり、何処の石碑の複製かと思ってカレンダーを読んでみると、12. 16. 11. 13. 9. 3 muluk. 7 mol 。
12バクトゥン、16カトゥンという事は 20世紀の日付です。 正確にいうと 1945年9月13日です。 何の日付かわかりませんが、この石碑は複製でも
なんでもなく、新しい作り物! 騙されました。
チカナ 建造物 II Estructura II de Chicanná
(Estructura II de Chicanná)
ホチョブ遺跡はチェネス地域にあり、建造物 II はチェネス様式の典型とされますが、リオ・ベック地域にある
チカナ にも写真の通りそっくりの建造物があります。 下に平面図を並べてみました。 ホチョブの中央の仮面の左右にある細長い
マヤ民家の飾りが、チカナでは左右両翼の実際の部屋に置き換えられていますが、それ以外は瓜二つです。
チカナの建造物 II をチェネス様式と書いている資料もありますが、地理的に隣り合ったチェネス様式とリオ・ベック様式は共通要素を有すると考えたら良いで
しょうか。
(Alzado oeste de Estructura II de Chicanná)
(Alzado sur de Estructura II de Hochob)
(Fachada principal de Estructura II)
ホチョブもチカナも現在残る建造物は修復の手が加えられている訳ですが、チカナでは一部彩色に加えて朱書きの文字も残されていて、どちらかと言うと
チカナの方が保存状態が良いように思われます。
(Foto en 2002) (Foto en 2006)
修復の跡が戸口前のテラスに残されます。 左が 2002年、右が 2006年の写真ですが、下顎の部分に相当するテラスに置かれた牙の位置に注目です。
古い写真にはテラスの左右両端に牙が3本づつ見えますが、新しい方の写真ではこの牙が全てテラスの前面に移動しています。
他の遺跡の例を見ても
多分牙は前面と側面両方にあったでしょうから、どちらにあってもおかしくはありませんが、知らぬ間に位置が変わっていると言うのはちょっと
どうも…。 でも状態が良い事には変わりません。 この壁面装飾で大地の怪物の容貌を確認して見ましょう。
(¿Cuantas mascarones estan exclupidas ?)
ウィッツの怪物とかカウアックとか呼ばれる大地の怪物については第一部で説明しましたが、爬虫類が口を開けたような謎めいた怪奇な容貌を持つと
言われます。 ではこの中央の壁面装飾にその大地の怪物は何体刻まれているでしょう?
中心となる大地の怪物は勿論一体で、目、鼻、口、牙と耳飾りを黄色で示してみました。 でもこの一体だけではないようです。 フランス人考古学者の
ポール・ジャンドロ?(Paul Gendrop) (1983年) によると、黄色の一体は正面とテラスの平面を占め、これに戸口の両脇に青で示したように向かい合った
二体の大地の怪物が左右の平面を構成して、戸口に立つとこの3つの面で作られる三次元の中心に位置することになります。 この入り口を入る事で、
大地の怪物に貪られて冥界へ落ちていくような感覚になる、と言ったところでしょうか。 左右両脇には縦に4-5体づつ彫刻された顔のようなものが並び
ますが、これも大地の怪物だとか、或いは横向きのチャーク像だとか、また蛇の彫刻だとか、いろいろ解釈があるようです。
実際こうした仮面を持つ建造物がどのような目的で作られたのか正確にはわかりませんが、王や貴族が政治や祭事を執り行う場所、或いは居所として
用いられたと考えられているようで、こうした怪奇な戸口を自由に行き来する貴族層は畏敬の念を持って見られた事でしょう。
エク・バラム アクロポリス 建造物 35 sub Estructura 35 sub de Acrópolis, Ek' Balam
カンペチェ州のチェネス、リオ・ベック地域から離れて、ユカタン州東部にある
エク・バラム遺跡 にも大地の怪物で飾られたユニークな建造物が残されます。 1999-2000年の発掘で発見されたもので、調査、保存作業の後、
現在は下の写真の通り覆いで保護されて一般公開されています。
(Acropólis de Ek' Balam, Yucatán)
(Estructura 35 sub de Acropólis)
漆喰で大地の怪物が成形された建造物 35 sub は王の聖なる墓所であり、埋葬の後 注意深く埋められたようで、壁面を飾る彫刻は破壊を免れてほぼ完璧な
状態で出土しました。 墓所から王の遺骸と夥しい副葬品が見つかり、冥界とされる大地の仮面の奥は文字通り霊廟でした。
(Estructura 35 sub de Acropólis)
正面下から見上げると巨大な牙が並びます。 壁面上部にある7体の人物像は写実的で独創的ですが、基本的にはホチョブやチカナで見られる大地の
怪物の仮面を付けた建造物と同じです。
(Estructura 35 sub de Acropólis)
大地の怪物の牙を黄色で塗ってみました。 正面テラス上には左右の側面と前面に牙が並んでいました。
(Estructura 43 sub ? de Acropólis)
35 sub の右側の居室は壁面上部だけ漆喰彫刻が施され(写真)、チャーク像の様にも見えますが、これも大地の怪物の変形なのでしょうか?
(Ofrendas recuperadas de Estructura 35 sub)
霊廟からの副葬品の一部が博物館に展示されていました。 左は貝を精巧に彫刻した装飾品群で、右は被葬者であるウキット・カン・レック・トック王が用いた大腿骨で
作られた放血儀礼用具です。 大腿骨に刻まれた文字には王の名前と骨が父親のものである事が書かれているそうです。
これ等副葬品はカントン宮殿のユカタン地方人類学博物館にありましたが、新しく出来たメリダ市マヤ大博物館で展示されているのでしょうか?
その他の建造物 Otras Estructuras de Monstruo de la Tierra
大地の怪物で飾られた建造物はカンペチェ州のチェネス、リオ・ベック地域で多く見られ、ユカタン州ではプーク地域にも広がります。 以下写真のみ
紹介していきます。
(El Palacio, Santa Rosa Xtampak, Campeche)
(Edificio con Boca de Serpiente, Santa Rosa Xtampak)
サンタ・ロサ・シュタンパック はチェネス地区の北限の規模の大きな
マヤセンターです。
(Estructura 1, Xtabas, Campeche)
タバスケーニョ(シュタバス)の建造物 1 は 2001年訪問時は半壊して
いましたが、その後修復され元の姿を
取り戻しています。 (写真は 2001年当時のもの)
(Estructura A-1, Dzibilnocac, Campeche)
シビルノカック遺跡 は写真の建造物 A-1 が有名です。
(Estructura 10, Becan, Campeche)
要塞都市の
ベカン には大地の怪物で飾られた建造物は数多くありますが、
かなり崩壊が進んでいます。
(Estructura XX, Chicanná, Campeche)
チカナ遺跡には上で詳述した建造物 II 以外に、建造物 XX, XI, I にも大地の怪物の仮面の彫刻が
見られ、特にこの建造物 XX はモザイク装飾が二層に渡って施されていて見事です。
(Estructura II, Hormiguero, Campeche)
リオ・ベック様式の
オルミゲロ は発掘修復が一部に留まりますが、
見事な大地の怪物の彫刻を持つ
建造物 II が残され、これは最も保存状態の良いもののひとつです。。
(Estructura V, Hormiguero)
建造物 II の裏に、もうひとつこじんまりした建造物 V もあります。
(Estructura I, Xpuhil, Campeche)
(Maqueta de Estructura I, Museo Maya Chetumal)
リオ・ベック様式の建造物でも3つの塔を持つ
シュプイル の建造物 I は至る所に
大地の怪物の装飾が施されます。 かなり崩壊が進んでいるので、
当時の雄姿は復元模型で。
(Palacio IV de Pirámide del Adivino, Uxmal)
ウシュマル はプーク様式遺跡の代表ですが、有名な占い師の
ピラミッドの上部神殿 V は大地の怪物の
彫刻で飾られています。
(Anexo Este de Conjunto de las Monjas, Chichén Itzá)
そして
チチェン・イッツァ にも。 僧院の東別院の入り口
の周りにも大地の怪物の牙が並んでいました。
マヤの神話や信仰の中で、豊作や災害に関係する雨の神は最も重要な神である一方、生命の根源に関わる地下界の出口たる大地の怪物も重要な位置を
占めます。 ですからマヤの建造物の装飾に、雨の神が表わされても、また大地の怪物が刻まれてもとても自然な事と言えます。
プーク様式のモザイク彫刻のチャーク像が実は大地の怪物だと新説が唱えられますが、他方大地の怪物を表わした戸口の装飾の中にもモザイク彫刻の
チャーク像が多用されます。 もう少し両者の関係もしくは関連を見てみる必要がありそうですね。