(Camino para Santa Rosa Xtampak, está literalmente arruinado)
ウシュマルから国道261号を順調に南下、途中ボロンチョンでチュンフフ遺跡を捜すも標識なし、地元の人に聞いても
誰も知らず、止む無く諦めて一路シュタンパックに向かいました。
ホペルチェン手前をシュタンパック遺跡の標識で左折、ここまでは良かったのですが、その先の遺跡までの36Kmが…
道路が遺跡でした。
写真の道ですが、以前は舗装されセンターラインもあったのですが、舗装は殆どなくなり、センターラインは消え、左右から
ジャングルが道を呑み込んでいる。 穴ぼこだらけで、深い水溜りあり、行き交う車も殆ど無いのに、36Km
に2時間以上かかり息も絶え絶え遺跡到着、途中何度引き返そうかと思った事か。
同行の友人には本当に迷惑をかけました。
兎にも角にも、遺跡を見つける事は出来ましたが、道が整備されるまではお薦めできない遺跡です。
大分横道にそれましたが、ここから遺跡案内です。 遺跡にある案内板ですが、ここに描かれた建物が全て
現存する訳ではありません。 調査の結果こういう配置だったというだけで、未発掘の土塁だらけです。
案内板は見やすいように加筆しました。
(Lado oeste de El Palacio en 2001)
シュタンパック遺跡で一番有名な El Palacio (宮殿)西側の 2001年の写真です。
3階建ての立派な建物で、内部に階段があり
上まで登る事が出来ました。
(Tercer nivel de El Palacio en 2001)
3階に登って宮殿西側の比較的よく残っている部分です。 修復されているのでしょうか。
(Techo abovedado de El Palacio en 2001)
部屋の内部のマヤアーチ。 2001年の写真ですが、鴨居の木が比較的新しいので、そう遠くない昔に修復されたものと
思います。
(Parte frontal de El Palacio en 2001)
3階を裏に廻ってみると瓦礫の先に崩壊を免れた建物の一部が残っています。 でもこれ以上先は危険で行けませんでした。
2001年の話です。
(Lado sur de El Palacio en 2001)
下に降りて宮殿の南側面にまわりました。 2001年の写真で瓦礫に囲まれています。
(Lado este de El Palacio en 2001)
これは宮殿の東側の 2001年の写真です。 こちらが建物の正面との事でしたが、建物の原形を留めない瓦礫の山で、これでは修復は
難しいと思いましたが…
(Lado este de El Palacio en 2006)
ジャジャーーン。 何とこれが今回修復されていたのです。 上の写真とは少し角度が違って判りづらいかも
しれませんが、同じ東側です。
瓦礫を取り除くと階段があったのですね。 3枚上の写真で2本の柱のように見えたのは、階段の先に造られた
神殿の入り口の左右の壁だったのです。
それにしても修復の努力、大変なものです。
(Lado sur de El Palacio en 2006)
これは修復後の宮殿南側です。瓦礫がなくなり以前の様子とは見違えるように変わっています。
(Lado oeste de El Palacio en 2006)
こちらは修復後の宮殿の西側の写真。 瓦礫が取り除かれ、中央には前回は無かった階段が復元されていました。
でも内部へ立ち入りは禁止、前回は建物内部の階段を使い上まで出られたのですが。
(Escalera empinada de El Palacio en 2006)
代わりと言っては何ですが、係の人が修復された(正面)東側を登らせてくれました。
宮殿の上から急な階段を撮ると
こんな具合。 必死によじ登って、また恐る恐る這い降りる、人には見られたくないですね。
実用と言うより装飾階段だったでしょうか。
(Esquina noreste de El Palacio en 2006)
宮殿の上から北東側を見ると手前に急階段の付いた宮殿北東部の張り出しがあります。 ここも以前は全くの瓦礫の山でした。
登れない装飾用の階段は、チェネス様式、リオ・ベック様式共通の特徴です。
この宮殿、古い資料では部屋が27あると書いてありますが、最新の資料では46部屋となっていました。 マヤの建造物
は古い建物を覆うように新しい建物を積み上げていくのが通常ですが、この宮殿は貴族層の住居としてマヤには珍しく全て一度に
計画・築造された複合建造物だそうです。
(Edificio con Boca de Serpiente)
宮殿はこの辺にして、これは宮殿の広場北側にある、蛇の口のある建造物です。
チェネス様式と南のリオ・ベック様式で共通して見られる、建物の入り口を飾る壁面装飾で、蛇が口を開けた入り口になっていますが、
これはマヤの生と死の世界観を現していると言われています。(入口を入ると中が地下世界=冥界)
この建物は2001年も2006年も変化なし、新たな修復は為されていません。
(Edificio con Boca de Serpiente)
これは、蛇の口のある建造物の裏側の装飾です。 トカゲだとか蛇だとか、良くわかりませんが、表の装飾と一体感を
持っているようです。 これは2001年に見た記憶がありません。
(Lado este de El Cuartel en 2001)
これは2001年に撮った El Cuartel (兵舎)の東側で、写真左側に瓦礫が見えます。
(Lado oeste de El Cuartel en 2001)
同じく2001年の兵舎の写真で西側にあたりますが、、上の写真の瓦礫が右側に見え、同じ形の入口が続きます。
(El Cuartel restaurado con escalera central, en 2006)
そしてこれが2006年の兵舎の写真。 上2枚の写真の東西の瓦礫が、兵舎の中央の階段として復元されていました。
兵舎には入り口が5~6箇所ありますが、全て蛇の口の装飾になっていて、典型的なチェネス様式の宮殿でした。
(El Cuadrángulo del Sureste, en 2001)
さてもう少し先に進みます。 El cuadranglo del Sureste (南東の矩形)の一部、2001年の写真です。
(El Cuadrángulo del Sureste, en 2006)
2006年訪問時は大規模な修復中でした。 今頃はどのように完成しているのでしょうか?
(Cerro de la Estrella)
Plaza Sur(南の広場)に面した Cerro de la Estrella(星の丘)と呼ばれる階段です。
地図で確認すると、これはシュタンパックで一番大きなピラミッド状の建造物の階段になり、この露出した階段
以外は土塁のままです。
シュタンパックでは最も古い時代のもので、石碑が8本発見されているそうですが、
チェネス地区のマヤ遺跡では石碑はあまり見つかっておらず、この遺跡の重要さが裏付けられます。
(El Cuadrángulo del Suroeste, en 2001)
さてそろそろラストスパートです。 El cuadrangulo del Suroeste (南西の矩形)の一部、2001年の写真です。
立派な入り口の石組みがあり写真を撮りました。
(El Cuadrángulo del Suroeste, en 2006)
今回修復が済んでいて見違えるようですが、特徴的な入口の造りから同じ場所です。 修復作業、大変なものですね。
(Techo abovedado de El cuadrángulo del Suroeste)
修復された部屋に入ってみました。 宮殿の鋭角的な天井と比べると傾斜が緩やかな弧を描いていて、プーク様式の影響を
受けているように見えます。
(Caseta de Servicios, Santa Rosa Xtampak)
さて一通り遺跡を踏破して入り口の遺跡事務所に戻りました。 殆ど訪問者のない遺跡ですが、入場料はしっかり30ペソ
徴収されました、勿論その価値はありますが。
入り口の記帳を見たら、ページの頭は9月26日で、約50日間で我々は11組目の訪問者、つまり、5日に1組くらいしか
訪れる人もいない。 そうでしょうね、こんなアクセスでは。 受付で遺跡の修復が完了したら遺跡に至る道も整備
されるのか聞いた所 遺跡整備は国(考古学局)、道路は周辺の自治体で、予算がないから難しいだろう、との事。
何をか云わんやです。
また道路の遺跡を2時間以上かけて国道に戻りました。