MUSEO DE ARQUEOLOGÍA MAYA
Reducto de San Miguel, Campeche
マヤ考古学博物館 カンペチェ・サン・ミゲル砦
16世紀に築かれたカンペチェ城塞都市は世界遺産に指定されていて、南西端の海岸沿いで街の守りを担っていたのがサン・ミゲル砦でした。
現在はここに博物館が設けられ、カンペチェ州から出土したマヤの遺物が集められています。
(訪問日 2011年11月26日、 2001年4月10日)
(Area de entrada al Museo)
要塞を囲む堀を渡って博物館に入ります。 写真は博物館に入ったところ。 博物館は展示室 1 から 10 まであり、一部屋毎にじっくり
見ていきます。
展示室 1 SALA I El Mundo Maya
(Primera Sala de Exhibición)
マヤの世界と題された展示室 1 は博物館の導入で、地図や年表がありますが、正面の石碑が目を引きます。
(Estela "El Aviador")
グアテマラやチアパスの石碑とちょっと趣を異にするこの石碑は "El Aviador"(飛行士)と名付けられています。 飛行機に乗せられて密輸された
ところを差し押さえられたので この名がありますが、なかなかユーモアのある命名です。 遺跡から持ち出されてしまった為に出所不明ですが、
カンペチェ州北部からと考えられています。
(Cronología de Arqueología de Campeche)
ビデオからの切り出しで不鮮明ですが、博物館の年表です。 砦の小窓から差し込む陽光は強烈で、撮影には苦労します。 年表ではカンペチェ全体
および代表的な遺跡としてベカン、カラクムル、エツナの変遷が時系列的に示されます。
(Cerámicas de distintas épocas)
年表の展示に合わせて置かれた土器類です。 画像左上から右下へ時代が新しくなり、上段中央は古典期前期の典型的な三足土器、上段右および
下段中央と右は後古典期の土器です。
(Piedra tallada de Chicanná) (Figura tallada de piedra caliza) (Rostro en estuco)
左の石の彫刻だけ出所がリオ・ベック様式のチカナ遺跡と書かれていました。 花の中に顔が刻まれているそうです。
(Cabezas antropomorfas hechas con estuco modelado y policromado)
マヤ人の素顔に迫るべく頭部彫刻が展示されていますが、カンペチェ州のどの遺跡からか興味ある所です。
(左の赤い頭部彫刻はナーチトゥン出土でした。 カンペチェ最南部から現在はグアテマラに入った所です。)
(Distribución de las Salas)
これは博物館にあったフロア・プランで、展示室 1 は入り口を入って直ぐ右でした。 展示室 2 は一度中庭に抜けて入り直します。
展示室 2 SALA II La Diversidad Cultural
展示室 3 SALA III La Vida en la Ciudad
(Sala III)
展示室 3 は 展示室 2 の左奥で、入り口のアーチの先に石造物が並びます。 街の生活と名付けられていますが、シュカルムキン遺跡で建物を飾った
石造物の展示が中心です。 階級社会が進み祭祀センターとしての街が作られ、その一端をシュカルムキンの建物装飾で見てみよう、と言う事でしょうか。
シュカルムキン はウシュマルやエツナ程の大センターではありませんが、交易の
要衝を占める中級のセンターとして古典期後期に繁栄し、見事な石造彫刻が数多く残されている事で注目されます。
文字で何が書き残されているのか 説明が無くよくわかりませんが、初期プーク様式の石造物として 図像を眺めるだけでも楽しめます。
(Reconstrucción de pórtico de Palacio de Inscripciones, Xcalumkín)
まず奥にある建物の入り口の復元。 上の写真の中央で真横が見えているもので、2本の円柱で3つの入り口が確保されています。 イニシャル・
シリーズのグループにある碑文の宮殿からで、中庭に面した宮殿南面の入り口です。
(Foto en 1887 por Teoberto Maler)
この遺構は 1887年にテオベルト・マーラーによって写真に収められていて、2003年にメリダの博物館に写真が展示されていました。
(Jamba, Palacio de Inscripciones)
これは遺構の右横にある脇柱かパネルで、描かれているのはシュカルムキンの王でしょうか。 シュカルムキンでは王はサハルという文字で
表わされ、他の大きなセンターに従う 従属王だったようです
(Columna 2 y Jamba, Palacio de Inscripciones)
左の写真は2本ある円柱の右の円柱2で、マーラーの写真を拡大すると同じ文字が確認出来ました。 左側にあったもう一本の円柱は現在は行方不明のようです。
右の写真は遺構の左端の脇柱です。
(Dinteles, Palacio de Inscripciones)
この写真2枚は遺構のまぐさ石で、下は脇柱と行方不明の円柱の上にのったまぐさ石で、上はマーラーの写真で床面に落ちているものだと
思います。
(Paneles, Palacio sur, Xcalumkín)
展示室 3 の最初の写真に見えるように、入り口の遺構の手前に 一対のパネルと脇柱があり、これは左右のパネルを拡大したものです。
中庭を挟んで碑文の宮殿の南向かいにある宮殿を飾っていたもののようです。
(Jamba, Palacio Sur)
これは左にある脇柱の左側面と正面。
(Jamba, Palacio Sur)
こちらが右の方の脇柱の正面と右側面です。パネル同様、南の宮殿からのようです。
(Columnas esculpidas de Xcalumkin, Museo de las Estelas Román Piña Chan, Baluarte de la Soledad)
シュカルムキンからの円柱は他にカンペチェ市内のマヤ建築博物館に2本と、シュカルムキンのあるエセルチャカン郡 カミノ・レアル博物館に
2本あり、2001年には石碑博物館(現・マヤ建築博物館)で写真にある円柱5 と 6 が展示されていました。 円柱5 と 6 はその後
エセルチャカンの博物館に移され、改装されたマヤ建築博物館には代わりに円柱3 と 4 が展示されています。
(Pequeño altar de forma cilíndrica, Edzná)
展示室 3 にはシュカルムキン以外にエツナとベカンがパネルで説明されていて、申し訳程度に出土物が紹介されています。
エツナ からは有名な五層の神殿からの小さな祭壇が展示されています。
小型ですが彫刻が素晴らしく、上面にはエツナの支配者4と小人の女が彫られていると言う説明もあり、6世紀のものになるようです。
写真は別の角度から同じ祭壇を撮ったもの。
(Cerámicas de Becan)
これは濠で周囲を囲まれた要塞都市の
ベカン から。 カラクムルと同盟して
いたものの、濠に懸けられた橋に破壊の跡がある事から、その後北部の都市に侵略されたものと考えられるそうです。
展示室 4 SALA IV Jaina, La Casa en el Agua
(Sala IV)
シュカルムキンの次はハイナのコーナーです。 ハイナは質の高い写実的な土偶で知られ、各地の考古学博物館にその展示物がありますが、
カンペチェ州北部海岸沿いにある小島です。
ユカタン半島西の海岸沿いで、太陽が沈む方向となるハイナ島には 古典期前期から後古典期前期にわたる 20,000 を超える墳墓があると言われ、
土偶はその墳墓から発掘された副葬品です。
ハイナ自体は大きなマヤセンターではないので、エツナを始めとした半島本土のマヤセンターの人達がここに埋葬されたとも考えられるようですが、
はっきりした事はわかっていません。
(Figurilla femenica)
この女性の土偶は展示室の中央に独立して展示されているもので、博物館一押しの逸品という事でしょう。
初期の土偶は手づくね(手で捏ねて作られた)で、顔つき、服装、装身具など極めて写実的に作られており、当時の生活習慣を知る上でも貴重です。
土偶は貴族や戦士、神官、商人、或いは一般の男女、奴隷など様々で、マヤ社会の様子が偲ばれます。
(Figurillas de Época Clásica)
古典期後期に入る頃から成形する為に型が利用され、型取りした後に細部を仕上げていったようで、中空のものが増えていきます。
どの土偶が手づくね かわかりませんが、上段の左と中央はかなり細かい仕上げで古そうです。
(Figurillas de Época Posclásica)
時代が下がって後古典期になると、土偶は型で作られ画一的で面白味が少ないものになっていくようで、明らかに芸術性も下がります。
月の神イシュチュルが両手を挙げた土偶は後古典期に特徴的で、動物を模ったもの、呼び子等、いろいろな土偶が作られます。
(Figurillas hechas de mismo molde)
型を使って作られたと言う事は同じものがある筈ですが…、ありました。 右は展示室 8 にあった玉座に座った王と思われる土偶ですが、
メリダ市の地方考古学博物館に全く同じものがあります、左の土偶です。 頭飾りや首飾りを含めて明らかに同じ型で作られたように見えます。
(Figura-títere) (Entierro infantil)
左は操り人形とも通称される、手足が可変のもの。 右は幼児が埋葬された壺。 大人は伸展葬が普通ですが、幼児はこのような埋葬方法だった
そうです。 20,000 位確認されている埋葬のうち発掘調査されたのは 1,000 位だそうですから、今後更にいろいろな副葬品が期待できる
かもしれません。
(Figurilla y urnas)
土偶が沢山並べられた展示ケースです、下に並べられたのは埋葬に使われた壺でしょうか。
(Utensilios)
展示された石器類には、粘土に細工を施すのに用いられたヘラ類もありました。 土偶はハイナで作られたと考えられるようですが、埋葬された
人がハイナ島以外からであれば、副葬品の土偶が島の外から持ち込まれた可能性もあるのではと思います。 土偶を焼いた窯跡があったり、
破片がまとまって沢山発掘されたり、或いは鋳型の展示があったりすると、納得感があるのですが。
(Cerámicas de Jaina)
ハイナの遺跡自体は建造物に囲まれた広場がふたつと球戯場があるそうですが、一般には解放されていません。 ハイナからの彩色土器も数点
展示されていました。
(Figurillas de obras maestras, Museo Nacional de Antropología)
この2点は首都の国立人類学博物館に展示されている、ハイナの代表的な土偶です。 首都の方がカンペチェの博物館よりハイナの展示が質量共に
豊富かもしれません。
(Pirámide social creada con las figurillas de Jaina, Museo Nacional de Antropología)
ハイナの土偶でマヤの階級社会を再現した展示は圧巻です。 これも首都の人類学博物館。
展示室 5 SALA V Calakmul, Trascender la Muerte
(Sala V)
展示室 5 は展示室 4 の右奥で、カラクムルの墳墓と豪華な副葬品の展示が見ものです。
カラクムル はティカルと並んで古典期マヤの最大勢力です。
(Cámara funeraria del Gobernante Yuknom Yich'ak K'ak', Estructura II B, Tumba 4)
上の写真に見えるように、墳墓が二基移設されており、これは右の方の ユクノーム・イチャーク・カック王 (686-695?) の墳墓4。 カラクムルの
大ピラミッド、建造物 II から 1997年に発見されたものです。
遺体が置かれた木の板から遺体を包んだ布まで遺骨を含めて博物館に移され、かなりの木製品、布製品は風化してしまったようですが、復元された
翡翠の首飾り、胸飾りや副葬品の数々は凄い迫力です。
(Máscara de Yich'ak K'ak' restaurado en 2007) (Máscara de Estructura XV)
左の仮面はその墳墓4で断片で発見され、その後復元されたユクノーム・イチャーク・カック王の素顔?です。 この仮面と右の建造物 XV からの
仮面の2点が、展示室の壁面に展示されていました。
(Cámara funeraria de Yich'ak K'ak')
ユクノーム・イチャーク・カック王の遺体の上半身は夥しい量の翡翠の装飾品で飾られます。
(Ceramicas ofrendadas)
これもユクノーム・イチャーク・カック王の墳墓の副葬品で、彩色土器は文字が刻まれた質の高いものでした。
(Tumba 6 encontrada al lado de Tumba 4)
これはユクノーム・イチャーク・カック王の墳墓4と並んで発見された墳墓6とされる埋葬で、イチャーク・カック王の妃の墓と考えられて
います。
(Ofrendas de Tumba 4)
これは墳墓6の副葬品の数々。 翡翠の胸飾りはもとより、骨の加工品、黒曜石のナイフに細かい細工を施したもの、放血儀礼用のエイのトゲなど、
当時の技術の粋を集めた一級の工芸品です。
(Pectral de Concha)
これはスポンディルス貝を細工した胸飾りで、カラクムルの高位の貴族の装飾品です。
(Joyas ofrendadas)
他にも質の高い工芸品が展示され、翡翠やスポンディルス貝が用いられています。 写真右の一対の耳飾りの間に仮面が取り外された
跡が見えますが、この時期カラクムルの仮面は3つ外部に持ち出されていました。
(Máscara de Tumba 1 de Estructura VII) (Máscara de Tumba 1 de Estructura III)
外部に持ち出された3つの仮面の内の二つは、グアダラハラで開催されていたマヤの
特別展示会 "Rostros de la Divinidad : los Mosaicos Maya de Piedra Verde" で見ることが出来ました。
これはグアダラハラで撮った写真ですが、展示会が終了するとカンペチェのこの博物館に戻されるのでしょうか。 もう一つの仮面は
カナダの展示会へ外遊中でした。
展示室 6 SALA VI Los Dioses
(Sala VI)
「神々」と題された展示室 6 はマヤの宗教・信仰がテーマです。 彫刻された円柱の横の説明書きにはマヤの世界観が記されていました。
簡潔に説明されているので、そのまま訳します。
「 陸地は水に浮かぶオオトカゲの背にのった平らで四角いもので、四隅に空を支え持つバカブ神がいます。
4つの方位点は白、黒、赤、黄で表わされ、中央には垂直に5番目の方位があり、豊穣の象徴である聖なるセイバの巨木が空に向かって
伸びています。 木や土で作られた人間が住んだ旧い世界は、神々により大災害で滅ぼされ、最後にトウモロコシの生地で作られた人間が、
彼らを作った神を崇め支えたので、神により認められます。 」 ざっとこんなところがマヤ人の世界観と言う事です。
(Columnas redondas con la escultura de Dios L, Bakna)
左はマヤの世界観の説明の横にあった彫刻された円柱です。 2001年には右の別の類似した円柱が展示されていました。 説明書きは見当たり
ませんでしたが、首都の国立人類学博物館にも同様の円柱があり、L神が彫刻されたものとなっていました。 でも L神って? 出所はカンペチェ市
西のバクナで、プーク様式の遺跡になるようです。
(Instrumentos musicales de Maya)
神々に祈りを捧げるのに音楽は必須です。 様々な祭事、また日常の生活、或いは戦争と、いろいろな目的で楽器が用いられましたが、その楽器の
展示です。 マヤの音楽については
マヤの音楽博物館 で少し掘り下げてあり
ますので参照ください。 (左下のタンボールはカラクムル建造物XX出土)
(Incensario de Remero Jaguar) (Tapa de la bóveda, Chicanná)
左は漕ぎ手ジャガーの装飾を持つ香炉立て。 右は建物梁の下面に描かれた K神(カウィール神)で チカナ遺跡から。 梁に残されたカウィール神の
フレスコ画は
人類学博物館 マヤ室 II で解説してあります。
(Incensario de cerámica, Edzna, vaso bicromado y pendiente de jade)
左の火鉢だけ説明書きがあり、古典期後期のエツナ遺跡からのものと分かりますが、珍しい図柄の壺と翡翠のペンダントは詳細不明です。
(Plato policromados)
大型の彩色皿が2枚、皿の底には脚が3つ付いているようです。 説明は図柄だけで肝心な解釈がなく、出所もわかりません。 形式からして古典期
前期かもしれません。
(Rostro con pigmento verde, Calakmul) (Representacion de Chac, Naxtun) (Bracero con diseño de iguana)
左の緑色の人頭はカラクムルのもの、真中の青と赤で彩色され前に鼻が突き出ているのは水の神チャークで、ミラドール盆地のナシュトゥンから、
右はイグアナを模った蓋を持つ香炉で後古典期のものです。
(Máscara funeraria, Tumba 2 de Estructura IV-B, Calakmul)
神々のコーナーでどう繋がるのかわかりませんが、カラクムルからの黒色土器が集められていました。 これは建造物 IV-B の墳墓2 からの副葬品の
葬送面で、顔の造作を誇張してデフォルメされたような感じですが、実際の王の素顔を模していると考えられるようです。 展示室 6 にあっても
よい仮面です。
(Vasijas monocromas de Calakmul)
カラクムルの黒色土器がもう2点。 左上は冥界の神のハゲワシが蓋にあしらわれた三足容器。 右側は鳥の神だそうで、取っ手を拡大してみましたが、
何処がどう鳥なのか…? 全て古典期前期の土器になります。
(Estela 6, jugador de pelota, Edzná)
展示室 6 の最後に興味深い図柄の石碑がありました。 石碑の右下には側面から見た球戯場の斜面が描かれ、これに左足を折って凭れ掛かる
球戯者が防具を付けた姿が刻まれます。 球戯にまつわる祭事を執り行っているとの事ですが…。 エツナ遺跡の石碑6でした。
(Imagen de los Dioses)
神々がテーマの展示室ですが、展示品からは今一つマヤの神々に迫れません。 神々と題したパネルがあったので、そこに描かれた神々の姿と説明文
を紹介しておきます。 この画像は説明パネルにあったもので、以下 説明文を訳してみました。
「 マヤは多神教であり、神々の多くは自然にまつわる要素に結びついていて、特に土地、トウモロコシ、雨、太陽、月など農業に関する神が
多かったようです。 生命や豊かさに益する良い神がいる一方、人々に死や破滅をもたらす神もいました。 また状況によって優しかったり、
敵意を示したりする神もいたようです。
神々は通常人間の姿をとるものの、鉤爪や鼻など部分的に動物の姿を取る場合が多く、それぞれの神の姿形はその特性を表わす象徴を含むもの
でした。 魔術師、商人、機織りなどの専門家には夫々の守護神がいて、日、月、年にもそれぞれを保護する神がいました。
ジャガー、コウモリ、ヘビ、ケツァールなど多くの動物が、金星や北極星などの天体とともに神格化されています。」
展示室 7 SALA VII El Tiempo (Conocimientos y escritura)
(Sala VII)
展示室 7 はフロアプランでは 「時間」 となっていましたが、売店で求めた博物館のパンフでは 「知識と文字」。 石碑の奥の展示ケースは
がらんどうで、模様替えの途中かもしれません?
展示物も僅かなので、ここはまた展示パネルに頼りましょう。 左下のパネルは 「石と皮の本」と題されたもので、内容は次の通りです。
「 マヤ象形文字は古代アメリカ大陸で最も複雑で完成された表記法のひとつで、石碑、祭壇、階段、建物のまぐさや、貝、骨、翡翠板等に刻まれます。
また建物の壁に彫られたり 墓室に漆喰で描かれたり、紙や皮製のコデックス文書への記録に用いられたりしました。 マヤの記述法を知る事によって、
暦、時の周期、太陽、月、惑星の運行、神の行いや特性、或いはまた地名、人名、家系、同盟と戦争、宗教儀礼などの記述を読み解く事が
可能になります。」
(Panel de explicación)
右上のパネルでは 「時の息子たち」 というタイトルで、予言と暦について解説されます。
「 マヤの人々ほど時の経過を正確且つ熱心に書き残した民族はいません。 自然の周期や天体の運行が決まって繰り返されるように、現世の出来事も
不可避的に繰り返されるものと考え、古文書には、周期ごとに起こり得る戦争に関する予言、疫病や天変地異などを書きまとめています。 そして時の
経過は未来を予見する他、人々の日常生活を導き、農作業を指示し、祭礼の日取りを決めるものでした。
マヤの人達は遠い未来や過去の日付を記録できる暦を発展させ、これは複雑な算術を可能にしました。 日付の記録には大周期の日付に加えて月の
満ち欠け、月の長さ、それを支配する神、惑星の位置なども付け加えられます。 」
(Cerámicas de tipo códice)
マヤ文字が描かれたコデックス土器と呼ばれる円筒型の壺や皿の展示があります。 こうした土器には持ち主の名前や称号、使用目的や製作者名が
記されます。 意図的に穴が開けられたものは、所有者が死んで使われなくなり、副葬品として墳墓に収められたものだそうです。
(Vasiia cilíndrica de tipo códice)
掻取り仕上げのコデックス型円筒土器と正体不明の石像彫刻。
(Estela proveniente de Calakmul)
これは文字がびっしり刻まれた肉厚の石造彫刻で、博物館のパンフによると出所がカラクムルの石碑です。 上の部分が一番明瞭で拡大してみました(下の
画像)。 右端の大きな文字は長期暦の導入文字が寝ているように見えます。 と言う事は 90度左に傾かせるのがか正しい置き方でしょう?
展示室 8 SALA VIII El Poder y la Guerra
(Sala VIII)
さて展示室もあと3つ、まとめもかなり息切れしてきました。 展示室 8 は 「権力と戦争」 です。
(Figurillas de gobernantes y guerreros)
王や戦士の姿が土偶で表現されています。 土偶は上で見たハイナ島からのものです。
(Armas hechas de pedernal y obsidiana, los excentricos y cuchillos pintados para los rituales)
戦争や生贄の儀式などに使われた石器類です。 火打石や黒曜石で作られ、中段のエクセントリック石器は権力の象徴でもありました。 下段の
彩色された石のナイフは供犠に用いられたものと思われます。
(Cerámicas con la representación de los gobernantes)
王の姿が描かれた土器類。 いろいろな技法を凝らして豪華な仕上げです。
(Portaincensario de Edzná) (Escultura de sacrificio ?)
左は古典期後期のエツナからの香炉立て。 おそらく王家の祖先の姿が表わされ、王家の私的な祭礼に用いられただろうとの事。 右は
胸を切り裂かれた生贄の石像彫刻で、なんともおぞましい姿です。 出所がわかりません。
(Escultura ???) (Jamba de Cayal)
生贄の彫刻の奥にある石造物2点は説明書きが無く何だかよくわかりませんが、右は Arquelogia で カヤルの脇柱として紹介されていました。
(Dintel 1 de Itzimté) (Panel de explicación)
左下が一部欠けていますが、かなり綺麗な状態の石造物がありました。 イツィムテの石板1で、刻まれているのは着飾った王だと思います。
カヤルとイツィムテはあまり聞き慣れない遺跡ですが、カンペチェ州北部のプーク様式遺跡で、他にもマヤ建築博物館に状態の良い石造物が展示
されています。
戦争については次のような解説が付けられていました。
「 マヤ人にとって戦争は、政治、経済、宗教上の役割を果たし、王権を確固たるものにすべく、国境の拡大、交易路の確保、資源流通の管理を行い、
宇宙秩序を維持すべく生贄用の犠牲者を捕獲するものだった。
戦争は戦術、武器、防具を発達させ、街の防衛の為の城塞建設を促した。 マヤ古代社会では、戦士は貴族や聖職者に匹敵する名声を得、石碑や壁画
に威厳を持った姿で描かれた。 」
古典期マヤの二大超大国 カラクムルとティカルの抗争について
マヤの戦争
として別途まとめてあるので参照下さい。
展示室 9 SALA IX El Ciclo de la Vida
(Sala IX)
展示室 9 は展示室 8 の奥にあり、写真にあるように背の高い石碑が一本聳えています。 「生活の周期」 という漠然としたテーマですが、
マヤ人の生まれてから死ぬまでと、日常の生活を追ったものです。
(Estela 9 de Calakmul)
まず気になる石碑から。 大ユクノームと呼ばれるユクノーム・チェーン2世(在位 636-686年)の時代の石碑 9 ですが、662年若しくは 672年と
思われる日付と共に次の王のイチャーク・カックが Divino Señor (神聖王?)として言及されているそうで、600年誕生とされる高齢の大ユクノームを
補佐して、イチャーク・カックが既に実権を持っていた事が想像されます。
石碑は火山岩で作られ要塞の天井に届きそうな背の高いもので、説明にはベリーズから運ばれたようだとあります。 地図で見てもベリーズ国境
まで最短で 80Km 位、カラクムルの同盟国だったカラコルからは 直線でも 180Km はあります。 側面を見ると奥行きはあまりないですが、これだけの重さ
のものを、とんでもない話です。 それにしても石碑に刻まれた肖像は 大ユクノームなのか、イチャーク・カックなのか? イチャーク・カック王は
その後 695年にティカルに敗れ、哀れな最期を迎えたようです。
(Panel de explicación)
石碑はどうもこの展示室のタイトルとは直接結びつきません。
「生活の周期」という括りで何を伝えてくれるのか。 説明パネルはこんな内容でした。
「 誕生、成人、婚姻、病気と死という、人生の異なる瞬間は、マヤの習慣に則って行われる祭儀や式典で示されます。 家族が新しい命を授かると
占い師は、その行く末を見極めるべく時の書物を紐解きます。 そして生後数か月で頭蓋変形が行われ、更なる美を求めて斜視の処置、皮膚の乱切り、
歯の変形と貴石の埋め込み等が加えられました。 結婚相手を選ぶ時は、神の意志や家系の繋がりが尊重され、死に際して遺体は食糧、飲料他の副葬品
と共に大地に戻されました。 」
またもうひとつ「日々の責務」として別の解説も有りました。
「 生活の糧を求め、一般民衆の毎日は農耕、狩猟、漁労が中心で、共有地や家庭菜園で豆、カボチャ、トウガラシ、根菜類、果樹等の栽培を行い、
野生の食料と共に日々の糧としていました。
主食のトウモロコシはアトーレ、ポソレ、タマーレスやトルティーリャとして準備され、家畜のシチメンチョウや犬の肉、また弓矢や吹き矢で仕留めた
野生のシカやイノシシの肉にスープを併せて食されていました。
植物の特性についての知識は生活の様々な場面で有用で、ある種の液体は水に撒いて魚を麻痺させて捕獲するのに用いられ、得られた魚の一部は加工
して、他の必要品と交易されます。 熱帯の多様な品々は生活物資として有用で、木材、樹脂、野生の果物は、建設、祭礼、栄養源に活用されました。 」
(Figurillas femeninas, Esqueleto con dientes de incrustación y Platos)
さて上記の解説は展示物とどう関連付けられるのでしょう。 左上の土偶は子供を抱いた月の神イシュチュル、お腹を膨らませた妊婦、創造主の使いの
小人などです。 中央の土偶は子供を抱いた老婆で膝に幼児を抱いてあやしているところ。 右上の頭蓋骨には嵌め込まれた翡翠が部分的に残っています。
下段の左の彩色皿は副葬品、他は生活用品と言ったところでしょうか。
(Figurillas de perros y pavos, Platos dibujados con las aves)
上段の土偶は、家畜で食用にもなった犬やシチメンチョウが表現されたもの。 下の彩色皿には冥界の神のブクブ・カキッシュ等が描かれていて、
副葬品に用いられたかもしれません。 ここまでが展示室の左側の壁面に展示されているものです。
(Cerámicas y Masa de piedra para cocinar maíz)
右側の壁面に移って、彩色壺です。 カボチャ型の容器は副葬品として液体や樹脂を入れて用いられることが多かったそうです。 トウモロコシは
水と石灰に浸してメタテで粉末にされますが、まな板のような石の塊はトルティーリャやアトーレ、ポソレなどを作るのに使用されました。
(Cerámicas, Navajillas de obsidiana, Masa de piedra)
上に続いて壺類に、黒曜石製のナイフ、石のまな板?です。
(Figurillas de Jaina y Calakmul)
ハイナからの土偶がここにも集められていてす。 説明書きの中にカラクムルからの神の土偶という表現もあったので、カラクムルからのものも
混じっているようです。 マヤ人生活に関連した説明は見当たりませんでした。
(Platos policromados de Calakmul)
これ等彩色皿はカラクムルからのもののようです。 神や植物が描かれているようで、古代植物学の手掛かりになるような事が書いてありましたが、詳細
わわかりません。
これで展示室 9 は終わりで、残すは最後の展示室 10 になりました。
最後の展示室 10 SALA X La arqueologia de Campeche
(Exposiciones temporales)
(Ultima Sala X)
最後のの展示室 10 は展示室 9 の先の一番奥まった所にあります。 ここには最近の収集品や分類しきれない収蔵品が集められているようです。
(Vasija con tapa de representación de guacamaya, Becán)
これはベカンからの極彩色容器で、非常に芸術性の高い逸品です。 太陽の化身でもある赤いコンゴウインコが表現されています。
(Vasija monocroma con la representación de jaguar, Becán)
これもベカンからで、黒色容器にジャガーが成形され、蓋や側面には陰刻が施されています。 マヤの信仰では太陽は水平線に隠れると
ジャガーに姿を変えると考えられます。
(Vasija para los nobles, Becán)
これまた素晴らしい装飾壺で、やはりベカン出土です。 この種の壺は副葬品に用いられる他、重要な儀式で供物を備えたり、貴族や他のセンターの
王に対する贈り物として用いられたとの事です。
(Vasija policromada, sur de Campeche)
この極彩色容器は出所不明ですが、カンペチェ南部からとされます。 蓋の上部は赤黒で4分割され、昼と夜、或いは食を示すものと
考えられるようです。
(Estela de Bilimkok, Calkiní)
奇妙な図柄が彫られた石碑ですが、解説が有りませんでした。 Arqueología にビリンコック、カルキニの石碑というタイトルだけ
見つかりましたが、詳細は全く不明です。 何が描かれているのかわかったら書き足しますが、取敢えず謎の石碑です。
(Coleccion de los vasos ofrendados)
展示室 10 の中央には墳墓から回収されたコデックス様式の円筒土器が集められていますが、強烈な西日で写真になりませんでした。
彩色土器をこんな陽射しに晒して良いものか心配になりました。
以上、カンペチェのマヤ考古学博物館、大長編になりました。 こんな博物館が頻繁に行ける距離にあるともっとマヤの理解を深め
られるのですが、残念ながらそうもいきません。
(Entrada al Reducto de San Miguel fotografifada al momento de despedida)
帰途、サン・ミゲル砦の曲がりくねった入り口と城壁を撮りました。
マヤを滅ぼしたスペイン人の砦にマヤの遺物が保護されていると言うのは皮肉ではありますが…。