(Desviación hacia Parque Nacional Yaxhá-Nakum-Naranjo)
フローレスからティカルへ向い、ペテン・イツァー湖東端の El Cruze の町で左へ行くとティカルですが、右に折れてベリーズとの国境
の町のメルチョール・デ・メンコスを目指します。 途中 Yaxha 11Km の表示が出てくるので、ここを左折してヤシャー・ナクーム・
ナランホ国立公園へ向います。 写真左の黄色い看板の手前を左折です。
(Camino hacia Yaxhá y la entrada)
左折して5分後、豊かな緑に囲まれて未舗装の道を進みます。(写真左) そして更に10分後、国立公園入口に到着、公園入場料
を支払います。(写真右) フローレスからヤシャーまでは車でおよそ1時間半でした。
(Vista aérea de ruinas Yaxhá y Laguna de Yaxhá)
GOOGLE EARTH の解像度はこの辺りでは今ひとつですが、ヤシャー湖とサクナブ湖の間を通って遺跡に向う道は確認出来ます。 勿論一面
緑ですが、Yaxhá と記した所の上に茶色い点がふたつあり、これはヤシャーの北辺となり遺跡は南の湖岸に向って広がります。 (赤線で囲った
所)
(Panel de explicación a la entrada)
駐車場で車を降りて、遺跡探索開始です。 スタート地点に地図つきの案内板があり、前回訪問時とは大違いです。 地図は建物を
立体標示し、丸の白抜き番号で説明をつけたイラスト地図で、前日に訪問したアグアテカ遺跡と同じスタイルです。 ところが方角が
間違っている!
(Mapa de Folleto anterior indicando la dirección correcta)
タクシーの運転手ビセンテ氏 「昨年まで公園入場者に配っていた地図があるが買わないか?」と。 この地図を見るとこちらは方角
が正しく書かれている。 地図で左上がN、つまり北です。 看板を作り変えて間違えてしまったのでしょうか、困ったものです。
今回公園の入場料を払った時に配られたのは見開き4頁の小さなパンフ、古いパンフの6分の1のエコサイズ。(^-^; この地図はその
パンフにあったものです。 因みに方角の記載はありませんでした。 ⑦ が北で、③ ② が南方向になります。
(⑯ Complejo Astronómico Menor (Plaza C))
地図の右端のⓅが駐車場で、ここからまず北へ、⑯ Complejo Astronómico Menor (Plaza C) (天文観測複合・小)です。 天文観測複合は
ウアシャクトゥン の先古典期のものが有名ですが、この複合は 700-800年頃の
もの、でも下に古い建造物が眠っているそうです。 右の写真はイラストで右端の建造物になりますが、未修復。
(⑯ Complejo Astronómico Menor)
これは天文観測複合の西のピラミッド。 ここから東側に築かれた建築複合上に現れる太陽を観測していた事になります。 ウワシャクトゥン
よりかなり大きなピラミッドで、2003年訪問時には修復されていませんでした。
(⑯ Complejo Astronómico Menor)
東側の建築複合は未修復で、前面に石碑が並びます。 この石碑は前回も見ましたが、実物なのでしょうか? 前回はここが天文観測
複合とはわかりませんでした。 でも今回もその表示がなければ…。
(Detalle de la estela, y ⑮ Calzada de los Peregrinos)
石碑のひとつは上半分が欠けていますが図像が残り、左下に王の足元が読み取れます。
天文複合を後にして ⑮ Calzada de los Peregrinos (巡礼者の道)を北へ。 右はその斜面につけられた木製階段です。
(⑭ Plaza de las Columnas)
階段を登ると ⑭ Plaza de las Columnas (列柱の広場)に出ます。 パノラマ画像で位置関係は明瞭ですが…。
(⑭ Plaza de las Columnas)
細部がよく見えないので、今度はパノラマの中から部分写真です。
左上の写真は西側の建造物で7本の円柱の跡が残り、ここから
列柱の広場の名前がついています。 円柱はユカタン地方の影響と説明されますが、プーク様式でしょうか。 右上の写真、広場の
北側に4つの祭壇が並ぶそうですが、未修復で目で見てもよくわかりません。
広場の東側は高さ 15m を越す大きな建造物で、上部には 15 の入口を持つ宮殿があります。 これが右下の写真の右側の斜面で、
斜面上に石碑が置かれています。
(⑭ Plaza de las Columnas)
これがその石碑で、石碑11(クリックすると大きな画像が開きます)。 実物は下に横たわっていて、斜面上(階段上)にあるのは複製。 石碑に刻まれた図像は明らかに
メキシコの雨の神トラロックの姿をしています。
ティカルの石碑32
もこの石碑に酷似し、397年にティカルにシャフ・カックというテオティウアカンからと考えられる人物が入ったとされ、
同じ時期にヤシャーにもテオティウアカンの影響が及ぼされたと考えて良さそうです。
(Palacio de las quince puertas)
15 の入口を持つ宮殿に登りました。 手前(北側)は修復され屋根がつけられ、奥の方に続きます。 建造の最終段階は 600-700年
と考えられますが、より古い建造物を覆う形で出来ており、どの時代まで遡れるのでしょう?
(Palacio de las quince puertas)
屋根の付いた部分の室内は壁が厚く、漆喰が塗り込められています。
(⑬ Acrópolis Este)
15 の入口の宮殿の裏側に回り込むと ⑬ Acrópolis Este (東のアクロポリス)で、この宮殿がアクロポリスの西側を閉じる形に
なります。 基壇下部にはマヤアーチも見られ(写真右下)、西側とは異なる建築段階を示すようにも見えます。
(⑬ Templo 216 de Acróopolis Este)
これが東のアクロポリスの主神殿となる神殿 216。 上のイラストで想像復元図が示されますが、急勾配の基壇上に仮面彫刻の
屋根飾りが付いた神殿があり、ティカルの神殿を思い起こさせます。 最終建築段階は 600-700年ですが、増改築が繰り返された
結果です。
(Templo 216)
神殿 216 は北側につけられた木製階段を使って上に登れます。 高さは 30m 越すそうで、ヤシャーでは一番高い建造物になります。
(Vista panoramica de Laguna de Yaxhá desde Templo 216)
階段を登りきると目の前に晴らしい眺望が広がります。 曇りがちで青空が少なく残念でしたが、緑に囲まれたヤシャー湖は絶景
です。 ヤシャーの紋章文字はオウムの頭で表わされ、表音的にYax (青緑)、 ha (水)と読め、マヤの時代からヤシャー(翡翠色の水)
と呼ばれていたようです。
(Estructura superior de Templo 216)
上部神殿は屋根飾りのみならず天井も半分以上喪失されていますが、内部のマヤアーチが残っています。 入口には柵がしてありますが、
2003年の訪問時には柵が無く、右の写真はその時のものです。 内部に赤い手形が残されていたので、赤い手の神殿とも呼ばれますが、
ちょっと見た限りでは赤い手形は見つかりませんでした。
(Patio de Acróopolis Este)
上から見下ろした東のアクロポリスの中庭。 左右(南北)の建造物は修復されていませんが、聖職者の住まいで儀礼用具が保管されて
いたと考えられます。 正面の宮殿前面には囲いがあって石碑が置かれていた感じですが、空き家でした。
(⑫ Complejo de Pirámides Gemelas)
神殿 216 を降りると直ぐその北側が ⑫ Complejo de Pirámides Gemelas (双子のピラミッド複合)、写真左が西のピラミッド、
右が東のピラミッドです。 双子のピラミッド複合はティカルで 20年毎のカトゥンを祝う為に造られた様式で、
ティカル以外では殆ど見られず、ヤシャーがこの時代ティカルの影響を強く受けていた事が窺われます。
(B⑫ Complejo de Pirámides Gemelas)
現地に案内板がなかったので、ティカルの復元模型の写真を借ります。(注:南が上で北が下になっています。) 双子のピラミッドの北に
四角い囲いが作られ、その中にカトゥンを祝う石碑と祭壇が置かれました。 右の写真はティカルのピラミッド複合N の北の構造物と石碑です。
(⑫ Complejo de Pirámides Gemelas)
ヤシャーのピラミッド複合の北の囲い、左が今回の写真、右は 2003年の修復途上の写真。 7年ですっかり古色を帯びています。
中にある筈の石碑も祭壇も見当たらず、残念ながら どのカトゥンを祝ったピラミッド複合か特定できません。 ティカルには
7つのピラミッド複合があり、それぞれ 672年から 790年のカトゥンにあたる事が判明しているのですが。
(⑫ Complejo de Pirámides Gemelas)
写真左は 2003年の修復中の囲いの中で、石の破片が集められており石碑の破片のようにも見えます。 同じ国立公園内にある
ナランホには状態の良い石碑が沢山あり、710年と 799年の2回にわたってヤシャーに対して戦勝した事が記録されているそうで、ナランホに
よってヤシャーの記念物が破壊された可能性もあるでしょうか。
写真右の遺構はピラミッド複合の南の構造物、9つの扉を持つ横長の建造物にあたります。
(⑪ Calzada Este)
先を急ぎます。 双子のピラミッド複合から ⑪ Calzada Este (東の道)を通って西へ進みます。 左の写真は振り返ってピラミッド
複合から降りてきた木製階段、右の写真はこれから更に下っていく木製階段です。 2003年の訪問ではここから先が何処が何処やら
訳がわからず終わってしまったのですが、今回はしっかり地図があるので7年前の謎解きです。
(⑱ Acrópolis Noreste o Acróopolis de los Tucanes)
東の道から北の方向へ開けていたので行ってみました。 この辺りは修復されておらず土塁のままです。
(⑱ Acrópolis Noreste o Acrópolis de los Tucanes)
更に進むと古い木製の看板があり、Acrópolis Noroeste 北西のアクロポリスとあります。 でも地図で照合すると現在は ⑱ Acrópolis
Noreste o Acrópolis de los Tucanes(北東のアクロポリス 若しくはトゥカンのアクロポリス)と呼ばれるようです。
(Entrada a la Acrópolis Norte)
北東のアクロポリスを抜けると修復された建造物が見えてきます。 北のアクロポリスになりますが、南側にもうひとつ広場がありこちら
を先にまわってみました。
(⑨ Plaza de los Pájaros)
ここは ⑨ Plaza de los Pájaros (鳥達の広場)になり、覆いがあって石碑があります。
(⑨ Plaza de los Pájaros)
石碑の前に左の写真、これは球戯場になるようです。 植生に覆われたままで、ここに球戯場があったという事だけですが。
そしてその先の石碑、屋根の下が石碑の実物で、立っているのがレプリカです。
(⑨ Plaza de los Pájaros)
この広場は北側の北のアクロポリスと東側にあたる北東のアクロポリスに囲まれて、ヤシャーで最も大きな広場になります。
建造物は未修復ですが、3本あった石碑のうち石碑31は複製が作られ広場に立っています。
(Estela 31)
レプリカを大きくしてみました。 文字も含めてほぼ完全に再現してあり、ここから年号や王の名前が読み取れないものかと思い
ますが、案内板の説明では大きな頭飾りの中に鳥が沢山彫り込まれている事だけ記載され、年代はわかりません。
(Entrada a la ⑧ Acrópolis Norte)
北のアクロポリスは一段高いところにあり、南側の階段(写真左)を登って行きますが、階段の右側に覆い(写真右)が付けられ
ていました。 中を覗いてみると全く予想していなかったものが…。
(Mascarón de estuco a la subida a la Acrópolis Norte)
漆喰彫刻が修復されて保護の屋根の下に保存されています。 ヤシャーで表に出ている建造物は 600-700年頃
と言われますが、これは明らかにもっと古いもので、古典期前期か、もしかすると先古典期に遡るものかもしれません。 右にある
環は耳飾りで顔の部分が喪失された神か王が表わされていたものと想像しますが、実際のところどうなんでしょうか?
発掘・修復の過程で古いものが掘り出されてしまったものと
思いますが、ヤシャーの歴史が先古典期中期になるという説明が頷けます。
(⑧ Acrópolis Norte)
北のアクロポリスの南の階段を登り、広場に出ました。 場所は地図の ⑧ Acrópolis Norte です。 このパノラマ画像は
北のアクロポリスを半分に切った西側の半分になり、右側の欠けた建物が北の主神殿になります。
(⑧ Acrópolis Norte)
案内板の説明によると、3つの神殿の形態は先古典期の様式で、北の主神殿が天を現し、日が沈む西側の神殿が冥界を示していて、現在目に
する建造物の下には古い建造物が眠っているそうです。 と言う事は南の階段にあった漆喰彫刻仮面はその古い建造物の時代に対応するもの
と言う事になりそうです。
(⑧ Acrópolis Norte)
これは南西方向から見た東側のピラミッドです。 冒頭にすっかり様変わりしたヤシャー遺跡と書きましたが、どうでしょう? 左が今回の、
そして右が 2003年の修復中の写真です。
2003年の状況は上部が崩れたままで石材は新しく、さながらピラミッドの新築現場という印象でした。 でも今回は完成したピラミッドが
しっかり古色を帯びて昔からそこにあったような…。
(Templo principal de Acrópolis Norte, 2010 y 2003)
北の主神殿もこんな状況、勿論上が今回で、下が 2003年です。 主神殿は多層の基壇上に神殿がのる形で、上の神殿は 2003年の写真を
見ても修復の必要がない状態でしたが、多層の基壇の方は階段が全く崩れていました。 今回 階段が修復されていたので一番上まで
登れました。
(Templo superior)
多層の基壇の階段を 70段登ると踊り場になっていて、その前に上部神殿が姿を現します。 でも頂上はまだ上です。
(Vista hacia patio de Acrópolis Norte)
更に階段を 29段登ると頂上です。 上から見下ろすと左右(東西)に神殿を伴った形式がよくわかります。 正面の林がなければ
鳥達の広場まで見渡せたでしょうか。
(Templos Este y Oeste)
上から見た東の神殿(写真左)と西の神殿(右)です。 両神殿ともかなりの高さがあり、主神殿は更に高いので何メートルあるのか
知りたいところですが、資料がありません。
前回の訪問で場所不明だった建築現場は北のアクロポリスだと判明しましたが、もう一ヶ所場所のわからない再建現場がありました。
遺跡には北にもうひとつのグループがあるので行ってみます。
(⑦ Plaza de las Sombras)
北のグループは ⑦ Plaza de las Sombras と名付けられていました。 名前の由来はわからず、Sombra は日陰とも暗闇とも解釈できる
ので、訳をつけるのに困ります。 取敢えず日陰の広場としておきます。
(⑦ Plaza de las Sombras)
案内板には 祭礼の行列が北のアクロポリスを通り、⑥ Calzada de las Aguadas (水場の道?)を通って、この日陰の広場が終着点
だっただろうと書いてありました。 それにしてもここでもまた方角の間違いが! この建物の配列からすると北は右上になります。
(Templo de los Tableros)
西側のピラミッドは均整のとれた神殿で Templo de los Tableros と呼ばれ、 750-800年頃の建造と説明されています。 Tablero は
基壇の垂直壁の意味ですが、良い訳が思い浮かびません。
(Templo Principal)
上の神殿ピラミッドに向かい合う形で建てられた主神殿は横長の階段を持ち、前に3本の石碑と大きな祭壇が置かれていました。
(Estelas y Altar erosionados en frente de Templo Principal)
石碑と祭壇の残骸です。 屋根がつけられている割に、下の石碑からは殆ど図像が読み取れません。
(Templo Sur)
西側から見た一番南の神殿。 この辺りも前回の訪問時は作業員が入って改修の真っ最中でした。 当時は新しい建築材料で白く見えた
建造物も今ではしっかり熟成されて苔むしています。
(Templo de los Tableros, antes)
これは 2003年に撮った写真で ユニークな形状のピラミッドで印象が深かったのですが、今回の訪問時にはこれが何処にあったのかわからず
仕舞いでした。 帰ってから撮った写真をじっくりつき合わせて見ると、何とこれがこのグループの西の神殿ピラミッド! (Templo de
los Tableros)
(Templo de los Tableros, después)
同じ方向から撮った写真があったので、良く見比べてみると間違いありません、同じピラミッドです。 それにしても改修が進み新装開店
直前だったピラミッドは、その後7年の月日を経て成長し、その姿がここに。 帰国して暫く経ってからの謎解き完了でした。
翌28日に久し振りのティカルを一日たっぷり時間をとって行くつもりでしたが、直前にマヤ・ファン憧れの
エル・ミラドール へ行けることになり、ヤシャーとティカルを一日で回る事にしました。 この為にヤシャー
の訪問は後半少し時間不足。 今考えると西のピラミッドは登っておけば良かったと多少後悔が残ります。
(Lado este de Acropólis Norte)
⑥ Calzada de las Aguadas を南に戻り、西側から見上げた ⑧ 北のアクロポリスです。 ここから西へ折れて ④ Complejo Astronómico Mayor
(天文観測複合・大)を目指します。
(④ Complejo Astronómico Mayor)
一面鬱蒼と生い茂る林です。 残念ながら発掘修復の手がまだ及んでいません。 右の土塁が観測基点となる四方に階段の付いた矩形
のピラミッドの筈です。
(④ Complejo Astronómico Mayor)
そしてその東に広がる細長い基壇がこれ。 この基壇上に太陽の経路を観察する3つの神殿がある筈です。 ヤシャーの修復プロジェクト
は一段落しているので、ここが発掘修復されるのはかなり先の話になるのでしょうか。
(② Calzada del Lago)
② Calzada del Lago (湖の道)を南に下ります。 湖に近づくと降り道になって、先に湖が見えてきます。 湖まで行ってみたかった
のですが、時間切れ。
前回の訪問で見れたのはこの辺りまでですが、その後更に南のアクロポリスが修復されているので、そこを通って駐車場に戻ります。
(③ Acropolis Sur, vista del sur)
③ Acropolis Sur y Patio IV (南のアクロポリスと中庭4)の説明版。 南のアクロポリスで発掘修復されているのは写真の南西角の建造物
です。
(③ Acropolis Sur, vista del norte)
上に登る階段には立ち入り禁止の標識があり、近寄れないのでよくわかりせんが、マヤアーチで屋根がつけられていた様子はわかります。
南のアクロポリスには王の住まいもあったとの事ですが、ヤシャー湖からの道に面したこの建物はヤシャーに入る交易品の管理が行われて
いたと言う見方もあるようです。
(③ Acropolis Sur y Patio IV)
裏に回って撮った写真ですが、多分上と同じ建物だと思います。 室内には入れませんが、落書きが残されていたようです。
(⑩ Juego de Pelota del Palacio)
南のアクロポリスの北東側に、⑩ Juego de Pelota del Palacio (宮殿の球戯場)があります。 前回は見ておらず、最近発掘修復された
ものと思います。 この写真は北側から見たところで、奥は南のアクロポリスの宮殿です。
(⑩ Juego de Pelota del Palacio)
これは南側から見た同じ球戯場。 東西の建造物は急斜面になっていて、ユカタンのウシュマルには似た形の球戯場がありますが、ペテン
地域ではあまり見ない形でした。
(⑲ Calzada de las Canteras)
⑲ Calzada de las Canteras (石切り場の道)を通って帰途につきます。 この辺りは石灰岩の石切り場になっていてヤシャーの建築
に使った石はここから切り出されたようです。
ティカルにも寄りたかったので、ヤシャーの後半はすこし駆け足になり、多少未練も残してしまいました。 でも前回の訪問とは異なり、
今回は遺跡の整備が進んでいた為に、ヤシャー遺跡の概要が掴め、それなりに満足感を感じながら遺跡を後にします。 最後少し
急いだのに、遺跡到着後 たっぷり2時間半は経過していました。 (
2003年の訪問記
は不正確なところもありますが、当時の写真はそれなりに意味があるので消さずに残してあります。)
ヤシャーの次に目指したティカル遺跡、暗くなるまで遺跡中を走り回りましたが、如何せん時間不足。 前回の訪問記の全面書き換えは無理
なので、部分的にアップデートを考えていきます。
翌 28日は 先古典期に最盛期を迎え、ティカルの規模を凌いだと言われる
エル・ミラドール遺跡。
ヘリコプター利用で、メキシコ国境近くまで行きました。