グループ II 建物 A と 漆喰装飾 Edificio A de Grupo II y Friso descubierto
(Edificio A de Grupo II)
グループ II の基壇上に建てられた建物 A は8世紀半ばが最終の形ですが、その下に王の玉座が設けられた 558年頃の建造物と、
これを覆う形で 593年頃に建てられた葬祭殿があり、新たに発見された漆喰装飾は葬祭殿の壁面上部を飾ったものでした。
(Pasillo al friso)
建物 A の土塁に取り付けられた階段を登り、石組みの残る入り口から降りていくと葬祭殿の漆喰装飾に行きつきます。
漆喰装飾に降りる階段手前にはアルミ製の扉がありますが、遺跡の監視員が開けてくれます。
(Friso visto de sur a norte)
漆喰装飾は西を向いていて、これは南側から北側方向へ横から見た所です。 埋納された葬祭殿の上部だけ掘り出されたもので壁面前の隙間は 1m もなく、
ここから壁面全面の正面写真を撮るのは不可能ですが、 逆に漆喰装飾は手の届く至近距離から見れる事になります。
漆喰装飾は実際どんな建物の壁面上部にあったのか。 これは
プロジェクトの 2015年の報告書 から葬祭殿の想像復元図とその下の王の居室を図示したものです。 全て地中に埋もれており専門家以外が通れるのは
漆喰装飾前の狭い通路だけになります。
登場人物と図像の詳細 Protagonistas y detalle del friso
(P.117 de Informe Preliminar de la Temporada 2013, Holmul)
壁面全体を正面から見るには冒頭のデジタル合成写真か
この復元模写 に頼る他ありません。 模写には5人の登場人物が明示されていて写真より理解し易いかもしれません。
以下それぞれの登場人物に焦点を当てて壁面装飾の中身を読み解いていきます。
(Protagonist 3)
最初に中央に座る PROTAGONIST 3 から。 彼が主人公であり被葬者の王、ツァーブ・チャン・ヨパートで、斜めと正面から撮った写真です。
王は頭飾りや翡翠の装身具をつけて聖なる大地のウィッツ・モンスターの上に座り、肩の横に走る天空の帯から頭を突き出していて、
太陽の神として生まれ変わる場面と考えられるようです。 王の顔は後にこの葬祭殿を埋納して上部建造物を作る際に意図的に壊されています。
(Protagonists 2 y 4)
王の座る聖なる大地から2匹の蛇の胴体が左右に伸び ’くの字’ を描いて壁画の両端で口を開けますが、
蛇の胴に囲まれて王の左右に横向きの神が2体描かれます(PROTAGONIST 2 と 4)。 左が平民の神、右が王家の祖先神という事になるようですが、
共に空に昇る先王に最初の食事 <タマル> を差し出しています。
(Caption 3)
復元模写に CAPTION とあるのは頭飾りに刻まれた添え書きで、王や神の名前が表されます。 CAPTION 3 を見るために先王の頭の
部分を拡大してみました。 先王の名前が神聖文字で書かれているようです。 CAPTION 2 と 4 は1枚上の写真で確認出来ますが、
頭の上に付けられた神聖文字で神の名前が表されます。
(Protagonist 5)
これは建物南西角を飾る PROTAGONIST 5 で、中央の先王と同様に着飾って聖なる大地に着座しています。 頭飾り上部にある
CAPTION 5 が潰れて読めない為に実在した王かそれとも神なのか不明となっていますが、盛装した姿や顔が壊されている事から
神ではなく 葬祭殿を造ったキニチ・タハル・ツゥーン王が建物両端で父王を守護している姿ではないかと思います、私見ですが。
(Protagonist 1)
これは漆喰装飾の北西端で、PROTAGONIST 1 は残念ながら崩れていますが、残された左手と左足から PROTAGONIST 5
と同様の人物像が配置されていたように見えます。
(Boca abierta de Serpiente)
PROTAGONIST 1 は中央から伸びてきた蛇の開けた口の先に現れます(PROTAGONIST 5 も同様)。 左の写真では開けた口の中の歯、
右の写真では蛇の胴体の鱗が確認出来、開いた口の上の渦巻きが蛇の目になるようです。
(Banda celestial)
天界の帯の上にも羽飾りの装飾が加えられ、ふたつの目を持つ顔がありますが、これは星なのか、蛇の羽毛なのか、
解説が見つかったら追加します。
(Friso visto de norte a sur)
通路内の蛍光灯の照明は左右に2本で 中央が暗くなり、持参したLED照明で真ん中の先王を照らして貰いました。 中央の王の下に葬祭殿の
戸口があり、板が這わしてあります。
(Montaña sagrada)
最後に中央の聖なる大地、ウィッツ・モンスターの部分。
大地の怪物、ウィッツ・モンスター、カウアック については別途詳しい説明をしてあります。 左上隅の渦巻きの中にある ’葡萄の房’ は
カウアック(Cauac)、文字列の上に黒で描かれた ’鱗模様に点々’ はウィッツ(Witz)を表すようで、ここから左右に蛇の胴体が伸びていきます。
漆喰装飾で描かれた図像全体の解釈ですが、亡くなった王が中央で聖なる大地、ウィッツ・モンスターの上に座り、天空を超えて夜明けの太陽として
生まれ変わる場面で、左右の神々が最初の食べ物タマルを捧げ、聖なる大地から’くの字’を描いて左右に伸びる蛇の口から姿を現す新王がこれを守護する、
と言った事になるでしょうか。
亡くなった先王の名前が聖なる大地の下の2文字で表されますが、文字については次の項目で。
壁面装飾の下部で梁にあたる部分には神聖文字が一列壁面いっぱいに刻まれます。 碑文は左から読み、最初の部分が喪失されているので全体で何文字か
確かなところはわかりませんが、42文字とか40文字とか言われます。
プロジェクトの 2014年の報告書
の模写 ( A から N ' の 40文字 ) を参考に以下遺跡で撮った写真と見比べてみましょう。
現地では文字は足元にあり、初めの部分は置かれた土嚢で下半分が隠れていて、暗い中で頑張って撮った飽くまでスナップ写真です。
( G - K )
( J - M )
( M - R )
( Q - U )
( V - Y )
( X - A ' )
( B ' - E ' )
( D ' - H ' )
( I ' - L ' )
ピントの甘い写真ばかりでちょっと残念ですが、文字の G の一部から始まって L ' 迄の 32 文字は一応確認出来ました。
土嚢を退けてゆっくり正面から綺麗な写真が撮りたかったところです。
ここに何が書き残されているかですが、およその解読は進んでいるものの完全に解読されている訳ではありません。
でも重要な史実が含まれるのでプロジェクトの報告書を基に素人なりに少し掘り下げてみます。
碑文はホルムル王朝の歴史から始まりますが、初めの 5文字が殆ど消えていてここに長期暦があったかもしれませんが年代不詳のまま
残された文字を読み解いていく事になります。
碑文の中央に被葬者である先王の名前が現れますが、ここに至るまで碑文の半分近くは先王に先立つ4人の王名が記されるようです。
ここで興味を引くのは H の文字で、テオティウアカンとも解釈できそうな記述があり、テオティウアカンの入場と言われる西暦
378年以降にホルムルはテオティウアカンの干渉を受けたティカルの勢力下にあったと思われる点です。
これはホルムルとティカルとの距離を考えると自然な流れと言えます。
( T, U, V )
先王の名前はツァーブ・チャン・ヨパート・マーチャで、王が座る聖なる大地、ウィッツ・モンスターの下の2文字で表されます(碑文 T, U)。
ヨパート王は生前 葬祭殿の下の玉座のある建物を使用していて、その壁面に描かれた奉納文には 558年の日付がある事から
この年には既に即位していたと思われます。
( W, X, Y )
ヨパート王の次に跡を継いだキニチ・タハル・トゥーン王の名前が現れます (碑文 X, Y)。 X と Y に先立つ W は王が 20才と若年だった事を示すと言う
解釈があるようです。
( Y, Z, A ' )
トゥーン王の X と Y の次に来る Z は カーン王朝の従属王もしくは封臣を意味するヤハウ・カヌール・アハウで、
ここからティカルと対峙したカーン王朝との興味深い史実が明らかになってきます。 Z がトゥーン王にかかるのか 次に来るナランホ王を形容するのか よくわかりませんが、
どちらにしてもカーン王朝がティカルを破った 562年にはナランホもホルムルもティカル陣営を離れてカーン王朝の支配下にあった事が判ります。
( B ', C ', D ', E ' )
そしてナランホ王が登場します。 王はダブル・コーム(二つの櫛)の神聖文字 ( D ' )で知られるアフ・ウォサル王で、546年にカーン王朝の
トゥーン・カッブ・ヒッシュ王の後見のもとに即位した事が知られます。 C ' の huk yopaat も E ' の sak chwen もアフ・ウォサル王の
タイトルになるようで、4カトゥンの長命の王として知られますが、ここではまだ B ' の3カトゥンの王と形容されます。
( F ', G ', H ', I ' )
文字ごとの繋がりが今一つ明確ではありませんが、F ' から I ' でトゥーン王の母親がアフ・ウォサル王の娘である事が示され、続く J ' から
最後の部分で父親は 2カトゥンの長命のツァーブ・チャン・ヨパート・マーチャである事が記録されるようです。
ホルムルでは碑文が刻まれた石碑が見つかっておらず 王朝の解明はあまり進んでいませんでしたが、この壁面装飾の碑文解明によって、
ヨパート王の時代にアフ・ウォサル王の王女を迎え入れてナランホ王朝と婚姻関係を結び ホルムルはナランホと共にカーン王朝の一員となっていた、
と言う新事実が明らかになった次第です。
(Ubicación de los centros principales)
漆喰壁面装飾については以上ですが、これまであまり注目を浴びなかったホルムルからナランホとカーン王朝の足跡が見つかった訳です。
それもティカルが暗黒時代に入った、歴史記録の少ない6世紀の話です。 これはどんな意味合いを持つのでしょう?
古典期前期にマヤの超大国だったティカルが 562年に星の戦争で敗北した事がベリーズの
カラコル遺跡の祭壇 21 に刻まれ、
ティカルはその後 130年にわたって暗黒時代を迎えます。 祭壇の碑文は風化が進んでいますが、ティカルを破った勝者の名前は
カラコルの王ではなく カーン王朝の 「空見る者、Testigo del Cielo」 王だったと言う説が有力になっています。
カーン王朝 = カラクムル と言う従来の定説は見直され、カーン王朝はキンタナ ロー州のシバンチェ遺跡から 635年頃にカラクムルに移った
と言うのが最近の解釈で、6世紀のカーン王朝はシバンチェにあったと考えて良さそうです。 (ユクノーム・チェン I や 「空みる者」王 の埋葬が
シバンチェ遺跡で見つかっている。)
562年の星の戦争に先立ってカラコルはカーン王朝の支配下に入り、この漆喰彫刻にも登場するナランホのアフ・ウォサル王は 546年に
カーン王朝の後見の元に即位しており、カーン王朝のティカル包囲網が着々と進められた様子が窺えます。
地図で場所を確認してみましたが、ティカルからかなり離れたシバンチェはティカル周辺の王朝を支配下に収め 562年に遂にティカル攻略に
成功したと言う構図が見えるようです。
562年の星の戦争の詳細はわかりませんが、シバンチェは支配下に置いた従属王達と共にティカル攻略に当たった事は想像に難くありません。
558年には即位していた漆喰装飾の主人公、ツァーブ・チャン・ヨパート・マーチャ王もアフ・ウォサル王と共にティカルを敗北に追いやる
星の戦争の場に身を置いていたのでしょうか。 想像は更に膨らみます。