マヤ遺跡探訪
HOLMUL
2000年を過ぎてペテン地方奥地で驚くような発見が相次ぎますが、その多くが保存や研究の為に公開されていない中、 巨大な彩色漆喰装飾や先古典期に遡る漆喰仮面が発見されたホルムル遺跡では見学が可能と聞き、一晩野営が必要との事でしたが、 意を決して行ってみました。

ホルムルはナランホから北へ直線で 20Km、ティカルからは西北西に 38Km で、ティカルからカリブ海に出る東西のルートと カーン王朝のシバンチェからナランホを通りグアテマラ南部高地へ抜ける南北のルートが交差する 交易上及び 戦略上の重要な位置を占めていました。

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ホルムル川沿いの低湿地にある為、ナクーム、ナランホ同様、コーディネーターに事前に四駆トラック、ドライバー、ガイドを用意して貰って カスタムツアーです。

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     (訪問日 2018年3月16-17日)
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ヤシャーからホルムルへ   De Yaxhá a Holmul
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  (Ruta de Yaxhá a Holmul)

ナランホから 20Km と言っても真っ直ぐ北へ道が伸びている訳ではなく、一度メルチョール・デ・メンコスへ出て、 ベリーズとの国境沿いに北へ入っていきます。

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  (Partida desde Melchor de Mencos)

コーディネーターのコルネリオ君、運転担当のジョバニ君と共に朝 7時半前にヤシャーのエル・ソンブレロを出発、 メルチョールのガソリンスタンドでガイドのサンドラさんと合流してホルムルへ向かいます。 後で分かったのですが、 前を走るバイクは我々を先導するホルムルの監視員でした、勿論サンドラの手配です。

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  (Entrada a la Reserva de la Biósfera Maya)

メルチョールを出て 40分位で RBM (マヤ生物圏保護区)に入ります。 アーチの両脇に人の顔のようなものが描かれていますが、 これはリオ・アスール遺跡出土の翡翠の仮面で 本当は緑色なのですが。 リオ・アスールはメキシコ・カンペチェ州との国境近くの遺跡で、 ここが入り口になるようです。

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  (Control militar)

アーチの先が軍の検問所で、ここでパスポートコピーを渡して通行許可を貰うとゲートが上がります。 ベリーズ国境に近いので警備が厳重なのでしょう。

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  (Unidad de Manejo, Yaloch)

その後 1時間で湖畔のヤロッチに到着し少しだけ休憩。 メルチョールからここまで約 2時間、順調です。 後で GPSロガーの軌跡を見ると メルチョールからホルムルまでの 3分の2位まで来ていました。 このまま問題なければ昼前にはホルムル到着だったのですが…。

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  (Camino hacia Holmul)

ヤロッチを過ぎるとだんだん道が悪くなってきました。 大きな轍を避け、倒木を処理し、時には道の脇の木々の間をすり抜けながら、何とか進みます。 でもとうとう大きな轍に嵌まってしまいます。

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  (Rescatando camión 4wd de rodada profunda)

太い丸太を探し出し 梃に使える若木をマチェテで切り出して 必死に脱出を試み、 1時間かけて轍から抜け出します、年寄りは殆ど役に立ちませんが。

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  (Díficil tránsito en Río Holmul)

折角難所を通過したと思ったらその先にホルムル川が控えます。 深い轍を埋めて突破を図りますが、川を越えた所でまた轍にタイヤをとられてしまい…。 サンドラは1週間前に道の状況を調べに一人でバイクで往復したそうですが、数日前の雨が災いしたようです。 ここでまた 1時間のロス。

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  (Rodada profunda impide el paso)

そして3度目の立ち往生、今度の轍はかなり深かったようです。 今晩はホルムルのキャンプで野営、夕食の食材はトラックに積んだクーラーボックスの中、 何とかキャンプに辿り着かないといけません。 キャンプまであと 4Km位との事で、監視員が同道するから歩いて行ってくれ、と言う事になりました、 監視員はキャンプからウィンチを持ってレスキューに戻ると。

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  (Ruta de Yaloch hacia Holmul)

3つの星印が立ち往生地点、最後の星印からキャンプは徒歩ですが、ナクーム遺跡の 14Kmを考えれば 4Km なら楽勝です。

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  (Crusando el Río sin zapato)

監視員についてホルムル川手前の獣道を分け入りますが、その先ではやはりホルムル川を越えなくてはならず、靴を脱いで裸足で渡河。

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  (Llegada al Campamento de Holmul)

歩く事およそ1時間、無事ホルムル遺跡のキャンプに到着しました。



ホルムル遺跡のキャンプ   Campamento de Holmul
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  (Campamento de Holmul)

パノラマ合成したキャンプの写真です。 草葺き屋根の小屋が立ち並び、遺跡の発掘調査チームの拠点ですが、現在は監視員が2名常駐して遺跡管理に あたっています。

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  (Guardián regresa para rescate)

ここまで同道してくれた監視員は車を救出する為のウィンチを持って、もう一人の監視員のオートバイに同乗して現場に戻ります。 監視員は 22勤 8休 の交替勤務、つまり 22日間続けて遺跡に詰めてから家に戻り連続 8日間の休みを取る、の繰り返しだそうです。

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  (Campamento Holmul al oscurecer)

二人の監視員がキャンプを後にすると誰も居ないキャンプに一人取り残されます。 時計は既に午後 4時を回っていて本日中のホルムル遺跡訪問は不可能、 と言うか皆無事辿り着けるのだろうかと心配になります。 キャンプには電気は通じておらず携帯の電波も届きません。 卵を産む鶏を連れてきても 直ぐにジャガーに食われてしまうジャングルの奥地です。

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  (Llama de horno en pura oscuridad)

竈に火がくべられていましたが、辺りはどんどん暗くなってきます。 竈の火が消えかかってきたので火を絶やさないよう急いで新しい薪をくべて皆の到着を待ちました。 ロマンチックなんてものではありません。

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  (Preparación de Cena)

7時近くなってやっとエンジン音とヘッドライトが! 懐中電灯を片手に竈のある食堂に戻ってきた監視員がスイッチを入れると蛍光灯が! ご免、電気の付け方を 教えていなかったね、と。 灯りは太陽電池パネルで充電したバッテリーを利用していたのでした。 早速夕食の準備です。

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  (¡Buen provecho!)

トルティーリャを焼いて、ポークチョップにサラダ、そして冷えたビールで乾杯です。 この日は遺跡は無し、冒険談だけで終わりです。

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  (Carpa montada al suelo)

そしてこれが今夜のホテル。 壁のない草葺き屋根の下にビニールシートを敷いてその上に組み立てたテントです。 石ころだらけの地面ですから 背中が痛く寝心地は悪いですが、虫の入ってくる心配はありません。

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  (Ducha y baño moderno ?)

寝る前に懐中電灯を頼りに風呂場に案内され、と言っても水は白いバケツの中の雨水一杯で、タオルを濡らして体を拭きました。 写真は翌朝明るい所で撮ったバス・トイレで、風呂は4人一緒に使えるものでした。



ホルムル遺跡  Sitio Arqueológico de Holmul
ホルムルのホテルで快適な一夜を過ごし? 今日はいよいよ遺跡ですが、キャンプから遺跡は約 3Km あり、車で移動です。

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  (Salvando camión con winch)

早速轍に捕まりますが、今日はウィンチを積んできているので 15分位で脱出、帰路の為に轍を埋めて先へ進みます。

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  (Llega al letrero de Holmul)

40分位かかりましたが、ホルムル遺跡の看板が見えてきました。 やれやれと言うか、いよいよと言うか。

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  (Montículos de Grupo II y Ruina X)

周りに建物が埋まっている土塁が現れてきますが、車はそのまま先へ。 まず漆喰壁面装飾のあるグループ II へ行くようです。 右はルイナ X の土塁、左がグループ I の土塁でした。

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ホルムルの発掘修復は部分的で土塁ばかりですが、やはり地図が必要です。 Visit Holmul にあった地図をお借りしました、 ホルムル・プロジェクトが作った地図になるようです。 地図の右下から左上に伸びる道が車で通った所で、 Ruin X と Group I の複合建造物の横を通ってきたのでした。


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ホルムル遺跡は 1909-11年にハーバード・ピーボディー博物館のレイモンド・マーウィンによって初めての調査が行われます。 遺跡の概要が明らかになり、グループ II の建物 B からは 漆喰の上に彩色を施した古典期前期の見事な土器や 先古典期に遡る彩色土器類等の副葬品を発掘しますが、マーウィン自体熱帯の病気にかかり (サシガメによるシャーガス病が原因と 言われ、現地では虫刺されに要注意です)、その報告は彼の死後 1932年になってからになり、 しかもナランホのような碑文の刻まれた記念物がなかった為、その後 90年もの間正式な発掘が行われる事はありませんでした。 ご多分に漏れず宝物目当ての盗掘は広範にわたって行われたようですが。

2000年になって先古典期のホルムルを調査するプロジェクトが開始され、先古典期に地域の中心だったシバル遺跡や周辺の遺跡の調査も進み、 新たな発見が相次いで 少しづつホルムルを取り巻く地域の状況が明らかになってきます。 ホルムルの北に位置するシバル遺跡では紀元前 800年頃に建物の建設が始まり地域の中核センターに成長しますが、古典期前期に入る前には放棄されて地域の中心がホルムルに移っていったそうです。 そのホルムルでも紀元前 400年頃には建築が始まったようで、2007年に発見された建物を飾る巨大漆喰仮面は 紀元前 350年頃に遡る事が判り、 エル・ミラドールの仮面装飾よりも更に古いと言う指摘もあって驚かされます。

発見は先古典期のものに留まらず、2013年には古典期前期が終わる 600年頃の 巨大な彩色漆喰装飾が見つかります。 これは霊廟の壁面上部を飾ったもので、 王朝の歴史を物語る碑文が残されており、当時のカーン王朝 やナランホとの関係が記される大変に興味深い資料でした。

発掘調査はまだまだ初期の段階で 遺跡に行っても土塁だらけですが、これからどんな史実が明らかになっていくのか興味の尽きない遺跡です。

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グループ II 建物 A   Grupo II Edificio A

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  (Basamento de Grupo II)

車でグループ II の前まで来てしまいます。 写真は南側から見たグループ II の基壇(写真上)とその左右(写真下)です。 漆喰彫刻と仮面はこの基壇上で、いよいよご対面です。

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  (Parte frontal sur de Edificio A)

最初に案内されたのがこちらの建物 A でした。 グループ II は先古典期に作られ 建物 B を含む北側の建物が紀元前 400年頃に遡る 最も古い建造物ですが、建物 A は古典期前期になって建てられたようです。
建物 A、B 等、建造物や広場などの用語はマーウィンが20世紀初頭に付けた呼称が踏襲されます。

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  (Entrada a Edificio A)

階段を登って建物 A の入り口に来ました。 戸口の上には仮面装飾の跡があり、壁が厚く頑丈な造りです。 現在目にするこの入り口は古典期後期のものですが、この下に少なくとも2期にわたる古い建物が認められ、 漆喰彫刻はその古い地下建造物を飾ったものでした。

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  (El interior de Edificio A)

入り口を入り中の通路です。 壁は黒く塗られていたそうで、ここはまだ地下建造物ではありません。
先に種明かしをしてしまうと、下の地下建造物には玉座があり壁に描かれた文字に 558年の日付が残されるそうですが、これは一般には見れません。 王の死後 この建物が埋められ王が埋葬され、その上に新たに葬祭殿が建てられ、その壁面上部に施された彩色漆喰装飾が 2013年にほぼ完全な形で 発見されたのでした。 装飾には神聖文字でホルムル王朝の歴史も刻まれ、この葬祭殿が 593-600年に作られた事が判明しています。 王の埋葬は既に盗掘されていましたが、盗掘者が直ぐ近くのこの漆喰装飾に気が付かなかったのは幸いでした。

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  (Puerta de aluminio y batería para iluminar el interior)

壁面装飾に降りる階段の手前にはアルミ製の扉が取り付けられ普段は施錠されています。 中は真っ暗なのですが監視員さんが鍵を開け、持ってきたバッテリーを配線に繋ぐと内部に照明が灯ります。

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  (Personaje de esquina suroeste)

階段を下りて行って最初に目に飛び込んでくるのが壁面の右側、建物は西向きに建てられていたので南側にあたるのがこの横向きの人物像です、 頭飾りにある文字が崩れているので、神か王か不明の様です。

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  (Fachada estucada vista desde sur)

葬祭殿は王の霊廟であり丁重に埋められた為 ほぼ当時の姿が残されますが、発掘で地下建造物を覆っていた土砂を取り除いていった訳で、 壁面の前は1m位の隙間しかなく、正面から全体の写真を撮る事は出来ません。 上の人物像の横から左(北)方向を見た所で、 16mm の広角レンズで横から撮ってやっとこんな感じです。 左側に遺跡の方で用意した蛍光灯が写っていますが、 左右に2本あったように思います。

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      (Difunto Rey al centro)

これは壁面中央にある主人公の王、つまり被葬者で、頭飾りに記された文字から ツァーブ・チャン・ヨパート・マーチャス(Tzahb Chan Yopaat Mahcha's) と王名が読み解かれています。 王は冥界の大地の怪物の上に座り、ここから左右に羽毛の生えた蛇が伸びています。

この中央部の下が葬祭殿の入り口でしたが、板が敷いてありその上を歩いていたようです。 中央はやや明るさが足りないので、コルネリオ君に 持参した LED ランプで照らして貰いました。

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  (Parte o)

そしてこれが更に北へ伸びる壁面装飾で、北端には南端と同じような人物像が飾られていましたが、足、手、頭の一部分を残してかなりの部分は 失われています。 壁面装飾は南側から北側まで約 8m、高さは 2m になり、赤を基調に青、黄緑、黒で彩色されていました。

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      (Personaje de esquina suroeste)

これは南側に戻って最初に見た人物像で、中央の被葬者の王と同様に顔が半分崩れていますが、 これは建物を埋納する時にその力を減ずるように意図的に壊されているそうです。 葬祭殿を作った新しい王は碑文に記された文字から、 キニチ・タハル・ツゥーン(K'inich Tajal Tuun)とされますが、左右の人物像はこの王になるのでしょうか?

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  (Fachada sur)

壁面装飾は建物の側面まで伸びていて、これは南面です。 紋章が描かれていますが、家系の家とか王位継承の家と言うように読めるようです。

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  (Glifos grabados a la cornisa inferior)

壁面装飾の下部で梁にあたる部分には碑文が 40文字記され、最初の(左側の) 5~6 文字と最後の方の 1 文字が消えていますが、それ以外は綺麗な状態で 残され、この写真の文字は 27 ~ 31 目の文字にあたります。 碑文には当時のホルムル王朝の歴史が記され、テオティウアカンとの繋がりや、 カーン王朝の属王であった事や、ナランホ王朝との血縁関係などが読み解かれます。


この壁面装飾の図像と碑文については ページを改め ホルムル遺跡の壁面漆喰装飾 で 写真を追加し詳細に解説をつけてあります。


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  (Foto de recreación por Proyecto Arqueológico de Holmul, National Geographic)

ホルムル考古学プロジェクトにはナショナル・ジオグラフィックも支援を行っており、紙面で何度か紹介され、ウェブでも検索すると全体の画像が 確認出来、更に 3D画像まで用意されている ので興味のある方はこちらをクリックしてみてください、少し重いです。 全体画像は 写真を 130枚も撮ってデジタル合成したようですから、 とても素人に真似が出来る代物ではありません。

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  (Patio en frente de Edificio A)

これは建物 A の出口から南方向で、建物の前に広がる広場です。 写真を合成したので歪んでいますが、奥に見える道路から 基壇が持ち上がっているのが判ります。


グループ II 建物 B   Grupo II Edificio B

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  (Parte frontal sur de Edificio B)

建物 A から回り込んで裏側にある建物 B に出ます。 建物 B は紀元前 150年頃の建物で、この時代の建物は普通発掘されたものですが、 そのままの姿で立っているマヤで最も古い建物と言う解説もあり、ちょっと驚きです。 ガイドの話では ここで行われた生贄の儀式で流された血が 地下建造物の巨大漆喰仮面に流れて仮面に生気を与えた事からこの建物が生贄の神殿と呼ばれたそうですが…?

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  (Parte frontal sur y lado oriente de Edificio B)

南を向いた正面と東側面です。 建物の東側面は古典期前期に手が加えられているような印象ですが、いずれにしても重要な建物と言う事で 草葺きの屋根で保護されています。

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  (Hacia lado oeste de Edificio B)

建物 B は四段階の異なる建築時期が認められ、最初の紀元前 350年頃の建物が巨大漆喰仮面で飾られていたそうです。 その地下建造物への入り口は西側にあり、階段を降りて西方向へ回っていきます。

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  (Entrada a la subestructura)

これが土塁西側の中腹にある地下神殿への入り口で、ここも当然扉が付けられて施錠されています。 建物 A と同様に 監視員が鍵とバッテリー持参で案内してくれました。

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  (Pared de la subestructura de primera fase)

扉の中に入り今度は階段を降りていくと、紀元前 350年の最初の建物に出ます。 写真左側がその建物の側面です。

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  (Perfíl del Mascarón)

更に階段を下りていくと、仮面が見えてきました。 これは仮面の側面で、上から(写真左)そして横から(写真右)。 仮面の正確な高さはわかりませんが、大人の背丈二人分はありそうです。

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  (Gran Mascarón vista desde suroeste)

建物 A の漆喰装飾よりも仮面の前のスペースは確保されていて、精いっぱい後ろの壁まで下がって何とか全体の写真を 撮りましたが、真正面は 16mm 広角でも無理でした。

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  (Imagen idealizado de B-5, primera fase)

この建物 B は仮面の前以外は掘り出されておらず、発掘調査を踏まえた 建物の復元図と仮面の模写 がウェブで公開されていますが、四層の基壇上にテラスがあり、一対の仮面の間の階段を登ると上部に前後二列に6部屋ある神殿だったそうです。

仮面の方ですが、ジャガーの口の中から老人が顔を出すモチーフで、冥界から世界の創造神が姿を現す様子が表現されていると言った解釈になるようです。 仮面装飾全体がマヤの聖なる山と洞窟の Witz で、仮面上部がジャガーの顔、下が目と鼻だけの蛇の顔、左右には骸骨とその上に2の本の交差する骨で 構成されます。

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     (Parte central del Mascarón)

中央の口の中から現れる人物は皺が刻まれていて老人と解され、口の端に両手を掛けて出てくる様子は可愛らしくもあります。

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  (Partes izquierda y derecha del Mascarón)

仮面の両側に骸骨とその上に2本の交差する骨が描かれ、冥界を表すようです。

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  (huella de manos en la pared posterior)

仮面の左奥の壁面に赤い手形が残されています、今から 2350年も前の手形です。

年代の同定は、仮面に塗られた漆喰の中の木の煤を炭素年代測定した結果で、科学的な裏付けのあるものです。  ホルムルが エル・ミラドール と同じ時代にこうした巨大仮面を作れるマヤ・センターだった事なり、ホルムルより更に古いと考えられる 近隣のシバル遺跡でも発掘調査が継続しており、今後どんな発見が報告されるのか楽しみです。、

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  (Lado oeste de Edificio A)

これでグループ II を終わり、正面は建物 A の西側面、左が建物 B の南側基部です。


見どころの2ヵ所は済ませましたが、他にグループ I とグループ III があります。 時計を見るとまだ 10時前なのですが、 今晩のホテルはフローレス。 前日 ヤシャーから 10時間もかかってしまったので帰り道が心配になりますが、 これで帰ってしまっては心残りなのであと少しだけ駆け足で。



球技場  Juego de Pelota

朝方は遺跡の看板を通り過ぎてグループ II まで来ましたが、帰りは歩いて入り口の方へ向かいます。

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  (Juego de Pelota)

グループ II から少し南へ歩いていくと球戯場跡がありました。 見て直ぐにそれとわかる土塁がふたつ向かい合っています。

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  (Juego de Pelota)

球戯場の中心に立って、西の土塁(写真左)と東の土塁(写真右)で、東側に盗掘坑があるだけで、石材は殆ど露出していません。  球戯場の場所が確認できただけですが、それでも少し納得。

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  (Paisaje del sur de Juego de Pelota)

これは球戯場の南側で、この先は斜面で下っているようです。



グループ II  Grupo II
そのまま車で来た道を歩いて戻ります。

グループ II  Grupo II

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  (Lado oeste de Gran complejo piramidal de Grupo I)

左手にとても大きな土塁が見えてきましたが、これが グループ I のピラミッド建築複合でした。 写真は西の側面で中央に階段が作ってあり、 これを登ると更に上の建造物に登れて見晴らしが良いとの事でしたが、時間を考えてここはパスしました。 後で少々後悔しています。

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  (Parte sur de complejo piramidal)

同じ建築複合の南側にも階段が取り付けてあり、上に石組みの建物が見えるので、ここは登りました。

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  (Parte central de los edificios sur del complejo)

階段を登りきると目の前がこれ。 石組みが崩れていて これぞ遺跡 と言った感じです。 最近起きた崩落でアーチが塞がれて通れなくなったそうで、 この先にまたピラミッドが立ち上がっているので残念でした。、

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  (Boveda alta del lado este)

でもここがピラミッド複合の入り口になっていて、左右に広がる横長の建物に通じていました。 写真は突き当りの右(東)方向で、 細い通路から鋭角的に高いアーチが立ち上がり、ホルムル特有の様式だそうです。

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  (Pasillo y boveda del lado oeste)

こちらは突き当り左(西)方向の建物内部で、右側同様 高いアーチ天井があり、狭い通路はジグザグ状に次の通路に繋がり、 迷路の様でした。

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  (Pared esxterior de los edificios sur)

建物の崩れた側壁から見た左右の建物の南面です。 内部と言い壁面と言い、補修されていない当時の遺構は往時の様子を偲ばせる とても興味深いものでした。



ルイナ X  Ruina X

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  (Montículo de Ruina X)

ピラミッド建築複合の南東に大きな土塁があり、地図にも記されているルイナ X だそうで行ってみました。 ルイナ X とは 20世紀初頭に マーウィンが付けた呼称で、当時から調査されていたようです。

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  (Estela 7)

ピラミッド複合の下で南西にあたる所に石碑が1本苔むしていたので写真を撮りました。 ホルムルから西へ 1km 位の所にある スフリカヤと呼ばれる遺跡はホルムルの一部の祭祀センターだったと考えられ、ここでは碑文の刻まれた石碑が多く残されるようですが、 (全て風化が著しいようですが)、ホルムルに残されている石碑は殆どが彫刻がない無地の石碑だそうです。

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  (Lado oeste de Ruina X)

これが西側から見たルイナ X で、階段がありますが時間がないので諦め。 上部神殿はどんなだったのか?


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  (Templo superior vista desde suoeste)

南西側から上部神殿を見上げてみました。 やはり石組みを残した上部神殿あるようです。

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  (Lado sur de Ruina X)

こちらはルイナ X の南側とその上部の拡大です。 基壇下部には大きな盗掘坑が口を開けていました。

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  (Plaza este que rodea Ruina X)

広場ではコーディネーター、ドライバー、ガイド、監視員の面々が帰り支度です。 写真正面は広場の北東方向で 僅かに土塁が顔を覗かせますが、 ここには南北に細長い建造物があり、ルイナ X の上から横長の建造物上に登る太陽を確認する天文観測複合を形成していたそうです。 でももう本当に時間切れ。

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  (Estela 1 envuelta totalmente por el árbol estranglador y pedazo de Altar 1)

最後にルイナ X の南側に残された石碑、イチジク科の絞め殺しの木とも呼ばれる宿木に絡め取られて殆ど窒息状態? これは石碑 1 と呼ばれ、 手前の祭壇 1 の残骸と共に遺跡に残されます。

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  (Estela 1 y Altar 1)

凄まじい光景で 近寄って写真を撮りました。 何とも過酷なジャングルの生物環境です。

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  (Otro lado de Estela 1)


石碑 1 の裏側と絞め殺しの木の拡大で、石碑の石灰岩が一部顔を出します。 石碑の倒壊を守ってくれますが、 木が倒れる時には石碑も文字通り共倒れになりますね。


以上、最後は時間切れで何とも心残りですが、遺跡紹介はここ迄です。 道路状況が良ければ前日のうちにホルムル遺跡を片付けて、 今日はスフリカヤまでは足を伸ばせたのですが、止むを得ません。 天気には勝てません。


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  (Despedida a Holmul)

まだ 11時前ですが、長距離の帰途を考え遺跡を後にします、後ろ髪を引かれる思いですが。

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  (Río Holmul)

キャンプに帰る途中のホルムル川です。 帰りは一発で通過、胸を撫で下ろします。


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キャンプに戻り、ヤロッチ、メルチョールを通りペテン・イツァー湖畔のフローレスへ戻ります。 帰りもやはり3ヵ所程で立ち往生しましたが、 これはもう割愛します。 ヤロッチを過ぎてベリーズ国境近くを走ると遠くにピラミッドが見えました。

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  (Castillo A-6 de Xunantunich, Belice, vista desde Guatemala)

望遠レンズで撮って拡大してみました。 ベリーズ側にある シュナントゥニッチ遺跡 の建造物 A-6 カスティーヨでした。 ナランホとも関係の深かった遺跡で、ベリーズのビザもなくなったようですから、また行ってみたいものです。 ホルムル遺跡もまた…… いやどうでしょう?

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  (Puesta de sol antes de llegar al Lago Itzaes)

イッツァー湖手前で太陽が沈みましたが、7時前にはフローレスのホテルに帰着しました。 ピエドラス・ネグラスから、ナクーム、ナランホ、 そして最後にホルムル遺跡をまわり、今回のペテン地域の旅行が終了です。 普通には行き難い遺跡ばかりなのでかなり過酷な旅になりましたが、 無事生還。 ジャングルトレックやテントでの野営など過ぎてみれば得難い経験だったと思います。



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