マヤ遺跡探訪
ACANCEH
古典期前期の漆喰仮面で知られるアカンケー遺跡は、州都メリダから州道 18号を南東へ 25 Km、遺跡と同名の町の中心にあります。

町の中心にあるという事は、遺跡のあった場所に町が作られた訳で、マヤの建物は新しい町づくりの為に大半が破壊されてしまいます。  人口百万を超える州都 メリダ も昔は Tihó と言う名の大きなマヤ センターでしたが、遺跡として見るべきものは 何も残っていません。 アカンケーは小さな町なので、辛うじてマヤ時代の建造物が幾つか残ったのでしょう。

2002年に初めて来た時は遺跡への入り方がわからずに入場料を払わず不法侵入でした。 12年振りに再訪した今回、初めて正しい入り方がわかりました。 料金を払って正規に入場です。

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  (Plaza Central de Acanceh)
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   (訪問日 2002年2月10日、2014年1月13日)
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 (Iglesia Principal en el Zocalo de Acanceh)

中央広場 (ソカロ) の東側にある黄色く塗られた教会は 聖母マリア生誕教会で、創建は 16世紀に遡るようです。  広場ではいろいろな催し物が行われるようですが、訪問時は駐車場として使われており、車を停める場所を心配せずに済みました。

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まずアカンケー遺跡を地図で確認しておきます。 仮面のピラミッドは広場の北側で、地図の上部には5つある仮面の番号を図示してあります。 仮面の ピラミッドの他に漆喰装飾の宮殿が公開されており、これはピラミッドから 3 ブロック南になります。

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Google Earth で空から見た街の中心部。 広場の北の仮面のピラミッドと 3ブロック南で緑に囲まれた漆喰装飾の宮殿がはっきり確認できます。

La Pirámide  仮面のピラミッド
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 (Pirámide de Acanceh, al lado norte de Zocalo)

最初に中央広場北側の仮面のピラミッド。 幅 32m、高さ 1m の基壇の上に築かれた三層のピラミッドで、発掘調査で姿を現した巨大な漆喰の仮面は 保護の覆いの下にあります。

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 (Pirámide de Acanceh en la reja)

ピラミッドは黒く塗られた鉄柵の中で、新しい遺跡の看板も整備されています。 でも鉄柵の中央にある扉は施錠されていて入れません。

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 (Módulo de INAH en frente de la Pirámide)

ピラミッドから道路を挟んで反対側に係員が常駐するモジュールがあり、ここで入場料を支払います。 写真にある黄色く塗られたモジュール で、よく見ると INAH と書かれていますが、ピラミッドの入口から少し離れていて、町の人に教えて貰いやっと見つけました。

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 (Entrada a la Pirámide)

係員のおじさんに鍵を開けて貰い、無事遺跡に入ります。 初めて来た時は入り方がわからず、東側にある小さな教会の裏庭伝いに無断侵入したのでした。

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 (Pasillo del lado este de la Pirámide)

係員のおじさんの後について、ピラミッド東側の細い通路を奥へ進みます。

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 (Estructura 1-A)

中央広場からは見えないのですが、仮面のピラミッドの北東に大きな建造物がひとつ修復されています。 アカンケーでは 1996年から発掘修復活動が始まり、 この建造物は 1999-2000年シーズンに修復され、建物上部と南東角の下部で埋葬が2ヶ所発見されているそうです。 南北に階段が取り付けられた、幅 20m、高さ 10m の建造物です。

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 (Lado noreste de la Pirámide)

係員のおじさんは 「見終わったら奥の小屋にいるから声をかけてくれ」 と。 ここから暫し自由行動で、まず修復されたピラミッドに登ってみました。  目の前に仮面のピラミッドの北東角が見え、その先には車を停めた中央広場が望めます。

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 (Lado norte de la Pirámide)

お目当ては仮面のピラミッドの漆喰成形された巨大仮面です。 12年前とはデジカメの性能が全く異なり、写真の撮り直しが今回の一番の目的で、急ぎ仮面へ 向かいます。

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 (Escalera para subir al tercer cuerpo)

仮面は三層のピラミッドの一番上の三層目の基壇側面を飾ったもので、ピラミッド北面に取り付けられた鉄製の階段で上に上がります。

仮面のピラミッドは古典期前期にペテン様式で建てられますが、古典期後期になって新しい建物で覆われて巨大仮面は姿を消します。 しかし植民地時代になりピラミッドは建築資材として石材が剥ぎ取られていくと、古い時代の建造物が顔を出して仮面が発見される事になりました。

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 (Pasillo en frente de los Mascarones)

階段の先はこの写真にあるように通路になっていて ここから仮面を見る事になります。 2002年にはこの通路がなかったので、仮面を見る位置が 変わりましたが、遺跡の保全には必要な措置でしょう。

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 (Mascarones 2 y 3 del lado oeste)

これが中央広場から覆いが見えたピラミッドの西側で、階段左が仮面2、右が仮面3です。

この仮面のピラミッドでは 1908年に広場に面した南側で仮面が2つ見つかり記録されますが、補強せずに放置された為に風化してしまい、1933年 には既に殆ど喪失されていたようです。

他の面にも仮面がある事はわかっていたようですが、 1997-98年の発掘修復作業で初めて陽の目を見ることになります。 西、北面に 各2つ、東面に1つの合計5つの仮面が掘り出され、修復保存が行われました。 元々は各面に一対、計8つの仮面装飾があった事になります。

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 (Mascarón 3)

これは正面から見た仮面3です。  5つの仮面はおよそ高さ 360cm、幅 320cmで、大きな耳飾りは共通ですが、頭飾り、目、 顎の下の渦巻き模様などはそれぞれ微妙に異なります。

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 (Mascarón 2)

これは同じく西面を飾る仮面2です。 大きな耳飾りをつけた仮面は太陽の神 キニチ・アハウの姿をした王家の祖先と考えられます。  全ての仮面で鼻が欠けていますが、新しい建物を増築する為 仮面のピラミッドを埋めた時に、鼻を壊してから土を被せていったそうです。  どういう理由だったでしょうか。 

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 (Mascarón 2)

仮面2 の側面には 赤い塗料が一部残りますが、仮面のピラミッドは建築当時は全面真っ赤に塗られていたようです。 古典期前期のマヤの建造物は ユカタン州で現存する最も古いものひとつになりますが、古典期後期に新しい建造物が積み重ねられた為に、風化を免れた仮面装飾と共に現在に 残される事になります。

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 (Mascarón 1)

これはピラミッドの北面で 階段右側にある仮面1 です。

アカンケー遺跡の石造建造物は新しい町作りにとって格好の資材調達源であり、上に積み重ねられた新しい建造物の石材は目の前の聖堂の建築に 使われたかもしれません。 こうして上の石材が取り除かれていった為、新しい建物で保護されていた仮面が 1908年になって発見される事になる訳です。

マヤ古典期の仮面装飾は、いろいろな遺跡で見つかっていますが、建造物 4面全てに 仮面装飾があるものとしては、グアテマラのマヤ初期の ウアシャクトゥン遺跡 が有名で、アカンケー遺跡もペテン様式の影響を色濃く受けているようです。

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 (Mascarón 1)
これは上と同じく仮面1 で、正面下から撮りました。                        画像

新たに取り付けられた通路からは仮面1 を正面から撮影できなかったので、これは 2002年に撮った写真です。 当時のカメラの解像度は現在のものとは 比較になりませんが、それでも今回の写真より 12年前の写真の方が綺麗に見えます。 仮面そのものが風化して汚れてしまったような気がします。

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 (Mascarón 4)

こちらは北面の階段左にある仮面4 で、頭飾りと耳飾りに顔の下の渦巻きまで綺麗に残っていますが、顔の表情が全くわからないのは 残念です。

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 (Mascarón 5)

これは東面右側の仮面5です。 目は半眼で丸みを帯びた頬が残されます。 東面の左側の仮面は失われてしまったようです。

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 (Lado noreste del tercer cuerpo)

以上 5つ見つかった仮面の全てですが、最後に通路の一番後ろまで下がって仮面のある三層目を広角で撮ってみました。 左が仮面5、中央が仮面4 で、 右端に仮面1 が見えます。 三層目の上には神殿があったようですが、現在は仮面を守る屋根の支えになっています。

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 (La Pirámide actual)

三層目に張り付いて仮面のみ注目してきましたが、一層目と二層目はどうなっているのでしょう。 広場に面した南面で下の二層の基壇が確認出来ます。  北面の基壇は四層以上あるので古典期後期に増築された姿であり、この写真の南側が古典期前期の地下建造物が露出しているものと考えてよいでしょうか。

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              (La Pirámide antes de restauración desde Mini Guia)

ミニガイドの表紙に仮面のピラミッドの古い写真がありました。 発掘前の状態がわかって興味深いです。


El Palacio de los Estucos  漆喰装飾の宮殿
係員のおじさんに見学終了を告げて、次の漆喰装飾の宮殿へ案内して貰います。 仮面のピラミッド同様扉が施錠されているので開けて貰わなくてはなりません。  ここも前回は中で遊んでいる子供達に案内して貰い 南側の民家の庭を通って 無断で侵入したのでした。

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 (El Palacio de los Estucos)

写真手前の入口の鍵を開けて貰い中に入ります。 また暫しの自由行動です。
この漆喰装飾の宮殿にはテオティウアカンの影響を示していると言われる 漆喰で壁面上部を飾った建物があり、アカンケーのもうひとつの 見どころになっています。

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 (El Palacio de los Estucos)

これは北東方向から見た漆喰装飾の宮殿で、幅 50m、高さ 7m の基壇上に多くの部屋が設けられ、アクロポリスとも呼ばれます。 ミニガイドの古い写真を見ると 全くの緑の土塁でしたが、96年から発掘が始まり今日見る姿に修復されました。
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                         (El Palacio de los Estucos antes de restauración)


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 (Lado norte del Palacio de los Estucos)

これは宮殿の北側で、地上から建物上部まで階段が続きます。 複合建造物の為、建物の全体像が掴み難いですが、こちらが正面になるでしょうか。

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 (Lado oeste del Palacio de los Estucos)

これは北側から見た宮殿の西側面で、こちらも幅広の階段が上部まで繋がっており、北側同様、中央階段の左右には居室が設けられています。

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 (Parte superior del Palacio de los Estucos)

西側の階段から宮殿の上に登りました。 宮殿上部は一枚の写真に収まらないので2枚の写真を合成しています。 向かって左が北になり、屋根のついた建物 の壁面上部に漆喰装飾があります。 向かって右が南で、現在は草木が生えた緑の空地です。

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 (Edificio 1 del Palacio de los Estucos)

これは南西側から見た漆喰装飾のある建物で、南北に細長い造りです。 漆喰装飾についてあまり情報がなかったのでウェブで調べてみたら、 アカンケー・プロジェクトの報告書・Informe de Trabajo が アップされていて、建物の見取り図や漆喰装飾の模写を含めた情報があり、とても参考になりました。

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                (Plano y recorte de Edificios 1 y 2)

これはその報告書にあった見取り図です。 壁面装飾のある建物は 建物1 (Edificio 1) で、南北に 2部屋並び、更に東西両端に2部屋追加され、 上の写真でその間取りが確認できます。 北に面した部屋だけ開口部が3つあり、その外壁上部に漆喰装飾があり、保護の屋根が取り付けられています。

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 (Friso con decoración estucado del Edificio 1)

これが屋根の下の建物1 の北側で、半ば埋もれていますが3つの開口部がわかります。 建物の幅は 13m あり、高さ2m の壁面上部全面に漆喰装飾が 施されていました、現在残るのはその一部ですが。

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 (Friso con decoración estucado)

この漆喰装飾も仮面のピラミッドの巨大仮面同様 1906年頃に発見され 注目を浴びますが、1933年まで何の保全措置も取られず かなりの部分が 失われてしまいます。 現在残るのは発見当時の3分の1以下のようで、この画像にあるのがその全てです。

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 (Dibujo de reproducción de la escultura)

幸い発見当時に写された写真や模写されたものが残されていて、ここから漆喰装飾の詳細を見ることが出来ます。 これは上記報告書にあった Eduardo Seler に よる模写で、およそ現在残る部分をカバーします。

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                                 (Parte ya desaparecida)

1933年にやっと保護の為の屋根が設けられますが激しい風雨から守るのには不十分で、壁面左端にあった装飾は模写はありますが 現物は残念ながら 残っていません。


写真の撮り直しが再訪の大きな目的でしたが、漆喰の仮面同様、解像度の低いカメラで撮った 12年前の写真の方が鮮明で、漆喰装飾の劣化は進む一方のようです。  以下 2002年の写真で細部を見てみます。

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 (Detalles de la decoración, fotografiados en 2002)

漆喰装飾には上下の帯の間に 階段状の枠で縁どりされた人間や動物の像が二段にわたって描かれていました。 模写には全部で20体ありましたが、現在残るのは 10体以下で、そのうち 2002年の写真で鮮明だったものを並べてみました。 上からイタチ、ジャガーと カエル、ペリカン、コウモリと考えられています。

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 (Detalle en 2014)

これはコウモリの部分を今回 2014年に撮った写真ですが、大きな最新の一眼レフで撮っているにも拘わらずこの写真ではガッカリしてしまいます。

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                     (Detalle en el dibujo)

同じ部分を発見当時の模写と比べると、初めてコウモリと言うのが納得できます。 コウモリの姿をした人間というか、擬人化されたコウモリというか、 解釈によっては これはアカンケーの王家の人たちの動物に例えた化身(ワイ)であり、この人物の場合はワイがコウモリだったと考えられるようです。

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                                (Parte ya desaparecida)

下の帯の端には羽毛の生えたヘビが描かれ (ていた)、幾何学模様の階段状の枠や描かれた人物の口から出る渦巻き模様等、テオティウアカンと 共通する特徴が多く見られる事から、アカンケーがテオティウアカンのユカタンに於ける拠点だったという説もあります。 拠点はともかく、出土物等も 考え合わせるとテオティウアカンの影響を受けていた事は間違いなさそうです。

仮面のピラミッドに見られるペテン地方との繋がりに、こうしたテオティウアカンとの関連も示すアカンケー、何とも興味深い遺跡です。 ペテン地方への テオティウアカンの到着が 378年とされますが、アカンケーに至ったのはその前なのか後なのか? まだまだ解明すべき事柄が沢山残されます。

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 (Reproduccion de acuarela por Breton, Museo de Bristol)  (Foto coloreada, Museo Peabody)

ここまで模写は Seler の単色のものを見てきましたが、発見当時にイギリス人 Adela Breton により描かれた彩色水彩画がブリストル市博物館に残され、 またカラー写真がなかった時代でモノクロ写真に彩色を施したものがピーボディ博物館に納められていて、どちらも赤、黄、青、緑で彩られており、 その鮮やかさに驚かされます。 こういう被写体だったら写真の撮り甲斐もあったのですが…。


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 (El interior de Edificio 1)

漆喰の壁面装飾はこの辺にして、建物の中に入ってみました。 マヤのアーチ天井の一部が残り、正面(東方向) には東端の部屋に通じる戸口の枠組みも残ります。

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 (Lado este de los Edificion 1 y 2)

建物1 の外に出て北方向に建物の入口がありますが、これが建物1 の北側にある建物2 の東側になります。 建物2 は見取り図にあるように 3部屋が横に 並んだ細長い建物で、ここからは多くの文字を含む壁画が発見されたそうで、模写だけ残されます。

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 (Lado este del Palacio y Calle 18)

宮殿の上部から見た 東側の 18番通り(Calle 18) です。 通りと宮殿の間には円形の構造物の基部だけ残り、宮殿の下部に部屋の跡もありますが、 修復は無理でしょうか?

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 (Escalera del lado norte del Palacio)

宮殿上部には他にも随所に石組みが顔を表しますが、特筆すべきものは残されておらず、北側の階段を使って下に降ります。 写真右の石組みは建物2 の 東側面で、その左は修復された北面の階段です。


Nueva Restauración  新たに修復された建造物
中央広場の INAH のモジュールに戻り、係員のおじさんに見学終了を伝えます。 彼は鍵を閉めに行くので、少しの間モジュールは無人になります。

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 (Ubicación del templo restaurado últimamente)

1996年からの活動でアカンケー遺跡の全貌が調査され、400を超える建造物が 4 ㎢ の範囲に広がっていた事が明らかになっていますが、その殆ど全てが植民地 時代からの街づくりの中で姿を消し、辛うじてその痕跡を留めるのみです。

でも念の為 他に見るべき場所がないのか聞いてみました。 数ブロック東に最近修復された建造物があるそうで、どんなものなのか、折角なので探してみました。  仮面のピラミッドがある 21番通り (Calle 21) を東へ5ブロック程行って北に折れた所に小さな神殿がひとつ修復されています。 Google Earth で赤丸で囲った所です。

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 (Estructura de nueva restauración en Acanceh)

東西に細長い低層の基壇があり、東側がもう一段基壇で持ち上げられ、中央にドーム天井を持つ神殿のような構造物がありました。

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 (Estructura de nueva restauración en Acanceh)

これは基壇に上がり東方向で、階段の先に小神殿が見えます。

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 (Pequeño templo en la segunda plataforma)

階段を登るとその先の一段下がった所に小神殿の戸口があり、小神殿は古い時代の地下建造物のようにもみえますが、低い位置に築かれた特別な目的を 持つ神殿だったのかもしれません。 何の説明もないので詳細は不明です。

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 (Interior y exterior del domo del templo)

小神殿の入口は縦横とも小さく、大人が何とか潜り抜けられる位のサイズです。 中はドーム状で丸くなっていて、写真を撮りましたが、小さな画像では 丸みも感じられず何が何だか?  ドームの上を外から撮ったのが右の写真で、こちらは丸い外形がわかります。。

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 (Lado trasero de la segunda plataforma con templo recondeado)

これは東側の2段目の基壇の背面で、右端の丸くカーブした所が小神殿の背面でした。 東西に長い基壇は、この小神殿の為だけに造られたような感じ ですが、どういう性格を持った建造物だったのでしょう?
メキシコ中央高原では風の神エーカトルを祀った円形のピラミッドがよく見られますが。


殆どが新しい町に飲み込まれたとは言え、400を超す建造物があったとされるアカンケーですから、更に新しい発掘と発見を期待したいところです。  でも仮面や漆喰装飾を凌ぐような大発見は???


アカンケーはこの辺りにして次の目的地のマヤパンへ向かいます。


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