(Mapa de area de Chalchuapa)
と言う事でまずはチャルチュアパ地域の説明から。 地図はタスマル遺跡の博物館で写真に撮り、遺跡名の日本語を
書き加えました。
時代と共に中心が移り、最も古いのが エル・トラピチェとラス・ビクトリアスで、先古典期の
中期に既に繁栄期を迎え古典期に入る前に衰退、次いでカサ・ブランカが先古典期後期から古典期後期、タスマルが
古典期後期から後古典期前期に繁栄したようです。 多少大雑把ですが、先古典期中期 (1000-300BC) から 後古典期前期
(1000-1250AD) 迄、2000年に亘り繁栄を続けた事になります。
(Entrada al sitio arqueológico de Casa Blanca)
カサ・ブランカの名称は同地にあったコーヒー農園の名前に由来し、1977年に政府が土地を買い上げ、2004年にカサ・ブランカ
遺跡公園が開園されました。 遺跡公園は幹線道路に面し写真は公園の標識と入口の建物です。
遺跡の地図は併設の博物館にあったものですが、建造物の呼称が古いので要注意。 左下は FUNDAR (遺跡整備の為のNGO) のページ
からで、建造物の番号がずれていますが、遺跡内はこの番号標示に沿っており、上の地図にはオレンジ色の数字で新しい建造物番号
を書き加えました。
右下は GOOGLE EATRTH からで、画像をクリックすると大きな画像が開きます。
(Hacia zona arqueológica)
遺跡へは入口にある併設博物館を通過していきます。 訪問時はカサ・ブランカ遺跡の事前知識は皆無で、先古典期の遺物が沢山
展示されているのに驚かされました。 これはまとめて最後に紹介します。
(Montículo de Estructura 6)
最初に見えてくるのがこの土塁の 建造物 6。 未発掘で柵もしてあるので素通りです。
(Estructura 5)
次に建造物 5 の東側に出ます。 カサ・ブランカ遺跡の調査発掘は 1940年代から着手され、1995年頃からは日本の調査隊も
入って調査修復が続けられています。
(Estructura 5 y su parte inferior excavada)
東側には最近の調査で掘られた跡が屋根をつけて保存されています。 横に張られた説明の紙は雨で汚れていてあまり
良く読めません。 掘り出された部分は先古典期に遡るようですが、博物館にあるカサ・ブランカの暦年表では建造物 5 は
古典期後期に位置付けられていました。
(Estructura 5)
建造物 5 は南向きに建てられ、写真は南東側から見たところです。 高さ 15m で土製。 博物館にアドベ(日干し煉瓦)が
展示されていたので、サン・アンドレス同様、アドベを積み上げて造られたようです。
(Altar de sacrificio ?)
建造物 5 の前面、階段下には石柱と祭壇のようなものがありました。 ガイドさんによると石柱は生贄の人を押さえつけて心臓をとった
ところとの事でしたが、果たして???
(Estructura 1)
建造物 5 から南へ 100m 程行くと建造物 1 があり、こちらは東向きに建てられています。
(Partes dañadas, Estructura 1)
建造物 1 は先古典期後期もしくは原古典期の 200BC - 200AD 辺りに位置付けられるので、建造物 5 より古いようです。
セメントで修復され、傷んでいる部分からは内部の細かい石材が見えます。 この辺りはアドベではない???
(Estructura 1)
カサ・ブランカのピラミッドで修復されているのはこの建造物 1 と上の建造物 5 だけ、正面と少し左からの写真です。
建造物 1 は正面に幅 50m の広場を挟んで建造物 2 と向かい合っていたそうですが、建造物 2 は基部を残すだけです。
(Estructura 2)
これがその建造物 2 なんですが、建造物 1 と並び古い建造物だと言われても、基部だけでは。 ここはもう柵は無く自由に
入れ、これ以上破壊の心配がないと言う事でしょうか。
(Monticulos que corresponden a Estructura 3 y 4)
そして左が建造物 3 、右が建造物 4 で、植生が整理され芝生が貼られているますが 特に見るべきものも無く、そのまま
入口方向に戻ります。
(Árbol de café con semillas)
元コーヒー農園だっただけあって、途中実を付けているコーヒーの木もありました。 丁度コーヒーの収穫時期だったようです。
(Resultado de última excavación)
入口の手前に調査の為に発掘されたところが屋根をつけて保存して有り、日本の調査隊の手によるもののようです。 断面の中
ほどにTBJ (Tierra blanca joven) と呼ばれる 260年頃のイロパンゴ火山噴火が残した白い地層があり、カサ・ブランカが
築かれた当時の床面はこの TBJ の下にありました。
(Cuadro cronológico de Casa Blanca)
これは遺跡併設の博物館にあったカサ・ブランカの発掘物に基づく暦年表で、以下博物館の展示品を見てみます。
(Articulos de exhibicion provienen de Bypass, sur de Casa Blanca, periodo Preclásico Tardío)
カサ・ブランカ遺跡南側のバイパス建設時に発掘された 小像、呼子、彩色土器が展示されています。 これ等は先古典期後期の
早いうちに分類されるようです。
(Articulos de exhibicion desde La Cuchilla, sur de Casa Blanca, período Preclásico Tardío)
バイパスの南側に位置するラ・クチーリャの墳墓からの展示物もあります。 古典期に入る前の原古典期に位置付けられる
ようです。
(Articulos desde el sitio Casa Blanca, período Preclásico Tardío)
そしてこれ等はカサ・ブランカ遺跡からとなっています。 先古典期後期と表示されていましたが、石像はより古そうにも
見えます。
(Cerámicas policromadas, período Clásico Tardío)
カサ・ブランカが度重なる火山噴火を乗り越えて古典期後期にも維持された事を示す 古典期後期の彩色土器も展示されます。
(Articulos excavadas, período Posclásico)
後古典期前期末には街は放棄されたようですが、埋葬などには利用されたようで、後古典期後期の彩色された装飾容器や耳飾り等も
回収されています。 これ等は後にエルサルバドル西部に入ったポコマム族の手になるようです。
(Materiales de construcción)
アドベ(日干し煉瓦)等の展示。 この辺りはサン・アンドレス遺跡で見たものと似通っています。
(Monumento 1 de El Trapiche)
最後にこの石碑の断片、幅 50cm 位の小さなものです。 カサ・ブランカ遺跡自体からではなく、チャルチュアパ地区で最初に
栄えたエル・トラピチェ遺跡で発見されたもの。 エル・トラピチェはカサ・ブランカの北 約 1Km にあり、現在は私有地に
なっていますが、土塁は残るようです。 重要な発掘物としてここの博物館で展示されており、かなり風化していますがマヤ文字
の日を表わすウィナルの文字が読み取れるそうで、時代は BC 600-500 と考えられています。
チャルチュアパ地域では、最も大きな建造物が残るタスマル遺跡が一番有名で、次はこの
タスマル
へ行ってみます。