古典期前期の素晴らしい漆喰彫刻が1990年に発見され、一躍脚光を浴びたバラムク遺跡です。 盗掘の通報を受けて調査した結果確認されたもので、
それまでは全く注目されない遺跡でした。
横長の漆喰彫刻は建物で覆われ、暗く細長い通路からは写真が難しく、3度目の2013年は魚眼レンズまで持参して写真の撮り直しを試みました。 でも
魚眼は邪道でした。 そして 2017年には超広角 16mm 持参で…。
バラムクは国道186号線 (エスカルセガ-チェトゥマル線) のカラクムル遺跡への分岐点近くにあり、カラクムル訪問の際は是非併せて
立ち寄ってみたい遺跡です。
(訪問日 2002年1月4日、2006年11月18日、2013年1月13日、2017年1月30日)
(Desviación desde Carretera Federal 186) (Entrada a Balamkú)
国道 186号線を エスカルセガから東へ 92Km、カラクムルへの分岐点手前に 遺跡の標識があり、左折して北西へ 3Km 入るとバラムク遺跡です。
写真左は 186号線を左折した所、右はバラムク遺跡の入口です。
ユカテク語で”バラム” はジャガー、”ク” は神殿を意味し、バラムクでジャガー神殿になります。
(Vista aerea por Google earth)
空から確認してみます。 186号線から真っすぐ駐車場へ、その先に遺跡の入り口があり、更に南のグループと中央グループが確認できます。
左は遺跡部分の拡大です。 他に北のグループ等もあるようですが、修復の手が及んでいるのはこの二つのグループだけです。
(Flechas a Grupo Sur y Grupo Central)
さて入り口で入場料を払って一本道を進んでいきます。 「真っすぐ」 と 「左」 の矢印があり、左へ行くと南のグループですが、真っ直ぐ進んで
まず漆喰彫刻がある中央グループを目指します。
(Hacia Grupo Central)
左手に建造物跡が見えてきますが、ここはまだ南のグループで、素通りして中央グループへ。
<中央グループ Grupo Central>
(Plaza A de Grupo Central)
100m 位で中央グループに着き 道の周囲が開けてきますが、修復されている建物は見当たりません。 でももう広場 A の前です。
新版のミニガイドに地図があり、中央グループを拡大しました。 上の パノラマ画像中央の土塁が ④ 広場 A の南の建造物になるようです。
(ミニガイドは 2016年の最新版がありますが、地図は 2009年の新版の方が見易いです。)
(Parte norte de Grupo A)
広場 A に入ると左(西側)に土塁があり、前方(北側)には 横長の建造物が広がって、中央の階段の上に入口が口を開けています。
(Entrada al Grupo Central)
中央階段を登ると 戸口の向うは ⑤ 広場 B ですが、階段を登る前に左右の石組みに注目です。
(Diferentes estilos arquitectónicos)
バラムク遺跡は調査の結果、先古典期からの居住が認められるようですが、現在残る建造物は古典期前期から、古典期後期、終末期にかけてで、
古典期前期にはペテン地域の影響を受けますが、古典期後期になるとリオ・ベック様式になっていきます。
中央階段左右の建造物ですが、写真左の階段左側は鋭角的なペテン様式を見せ、写真右の階段右側は角が丸く処理されたリオ・ベック様式に
なっていて、階段の左右で異なる建造時期が確認出来ます。
(② Estructura IV-A)
先を急ぎます。 ⑤ 広場 B に入り左(西側)には ② 建造物 IV-A が正面階段だけ修復されています。
(Parte norte de Plaza B)
そして目指すは広場 B 正面(北側)の ① 建造物 I で、ここに世界の注目を集めた漆喰彫刻があります。
(① Estructura I)
① 建造物 I の正面は木々が立ち並び視界を遮るので、建物の南東側から全景を撮りました。 建造物 I は I-A、I-B、I-C の
3つの建造物からなり、もともと I-A、I-C のふたつの建造物だったものが、後に建てられた I-B でひとつに繋げられたそうです。
上に登る階段は各建造物ごとに3つあります。
(Estructura I-A)
これが建造物 I 西側の建造物 I-A の部分で、漆喰彫刻が施され、「四人の王の家」 とも呼ばれる I-A sub が この中にあります。
I-A sub とは I-A の地下建造物と言う事ですが、I-A sub は漆喰彫刻ごと完成間もなく 新しい I-A で注意深く埋められ崩壊を免れます。
盗掘者が I-A を盗掘していった為に I-A sub が顔を出して漆喰彫刻の発見となりますが、現在はまたその漆喰彫刻を保護する形で I-A が再建されています。
(Entrada a Estructura I-A sub)
I-A sub の漆喰彫刻は I-A の横(西側)に設けられた階段を登った扉の中にあります。
2006年には鍵を持った子供がついてきて開錠してくれましたが、見学者が増えたのか現在は係員が常駐しています。
(Friso de Cuatro Reyes)
そしてこれが扉の内部です。 漆喰彫刻の幅は 16.8m あり、奥行きの無い細い通路から撮るのでどうしても斜めからになってしまいます。 発見当初は
I-A が取り払われていて 彫刻全体を正面から撮った写真も残されますが、I-A が再建された現在 正面から漆喰彫刻を一枚の写真に収めるのは無理です。
そこで冒頭の魚眼レンズ登場となるのですが、雰囲気は伝わっても 歪んだ写真では残念ながら 記録写真にはなりません。
彫刻の高さは帯状の部分が 1.75m で、その上の塔の様に伸びた部分が更に 2.35m あります。 I-A sub は3つの戸口をもつ建造物で
彫刻が施された帯状の部分は戸口の上にあたる壁面上部でした。 (左右の戸口は修復の過程で閉じられ現在は真ん中の戸口だけ口を開けています。)
通路は見学者の為に設けられたもので、この空間自体 新しい建造物で覆われた時は詰め物で埋め尽くされていました。
(Reconstrucción de Friso de Cuatro Reyes)
漆喰彫刻の全体像を理解する為に イラストを先に見てみましょう。 欠けている部分もありますが、帯状の部分の
下方の窪みに大地の怪物 (カウアック) が描かれ、怪物の上の渦巻きで表された大地の割れ目からカエルやワニの水生動物が現れ、
水生動物が頭を後ろに回して開けた口の上に玉座に座った王がのっています。 この大地の怪物、水生動物、王という組み合せのモチーフが4回
繰り返されて、その間を三体のジャガーが繋いでいます。 四人の王の内 残っているのは二人ですが。
(Cauac 1)
一番左の大地の怪物、カウアック 1、は右半分だけで、左半分は失われていますが、残った部分から彩色された当時の様子が窺われます。
最初に全体が赤で彩色され、その上に細部が暗赤色や黒で描かれたようです。
(Rey 2 - Cauac 2)
左から2番目のモチーフは大地の怪物から王までかなり当時の姿を残しています。
大地の怪物 は生命の生まれ出る神聖な地下界にあり、その割れ目から
水生動物が生まれ出て豊かな地上が現出し、水生動物が上に向けて開けた口の上に王座に胡坐をかいた王が表わされます。
聖なる大地から現れる水生動物から太陽の如く空に昇る王という発想は、王の治世の豊かさ、王の正統性、そしてマヤの宇宙観を示すものとして注目されます。
大地の怪物の口の両端から伸びたヘビは口を大きく開けて鳥を貪っていますが、これは昼間の太陽を表わし、世界の四隅の内の西を意味するとの
説明がありました。 上にのる水生動物は足の形からカエルと考えられるようです。
(Jaguar 2)
三体あるジャガーの内、左のジャガーは頭しか残っていませんが、このジャガーは中央のもので、ほぼ完璧です。 ジャガーについては下で
触れる事にして、ここではジャガーの左右にある大地の怪物の口から伸びるヘビについて。
ジャガーの左側はカウアック 2 のヘビで、既に説明したように口を開けて鳥を貪り 西を示しますが、右のカウアック 3 のヘビは口が空で、
昇る太陽を示して方向は東だそうです。 カウアック 2 と 3 は正面を向いているのに対し、左右両端のカウアック 1 と 4
は正面の姿の左右に横側も加えられ、方角は北と南になり、4体で世界の四隅を表わすそうです。
(Rey 3 - Cauac 3)
これはカウアック 3 ~ 王 3 で、4組あるモチーフの中で一番保存状態が良いものですが、入り口から奥へ進む為に少し暗くなります。
塗られた彩色を保護する為に勿論フラッシュ撮影は禁止ですし、室内に照明は無く、天井に開けられた小窓から差し込む外部からの光が頼りです。
水生動物 3 は 足のつま先からカエルではなくワニと考えられます。
壁面最下部に部分的に残る皮膚や鱗からも、左のふたつの水生動物がカエルで、右のふたつはワニとされます。
(Rey 3)
王 3 をクローズアップしてみました。 丸い耳飾り、動物の仮面の頭飾り、胸飾りや翡翠玉の腕飾りを付けて着飾っており、
王杓は持っていないものの両腕を胸の前に当てて威厳のあるポーズを取っています。
王はバラムクの歴代王と言う解釈も可能ですが、名前が文字で残される訳ではなく、顔の表情などからも、王は特定の人物ではなく、地上から
現出した太陽の化身として王を示すことでバラムク王朝の栄華を表わしたものと考えられるようです。
(Jaguar 2 y 3)
左がジャガー 2 で 左を向いていて、右はジャガー 3 で 右向きです。 バラムク (ジャガー神殿) の名前はこのジャガー像に因ります。
ジャガーは冥界、地下界に属し、夜の太陽や戦争、犠牲、死等を表わしますが、ここに描かれたジャガーは腰に結び目があり、手足を縛られて
跪いており、捕虜のポーズを示します。 豊穣を願って供犠に供される捧げ物と言う解釈があるようです。
(Cauac 4 - Cocodrilo 2)
そしてこれが一番奥の カウアック 4 ~ 王 4 の組み合わせで、上部が崩れ落ちているので王の姿は全く消えてしまっています。 水生動物
は手足の形からワニとされます。
以上、判らないながらも必死に漆喰彫刻の解釈に努めました。 資料は Arqueologia #18, Mar.-Abr. 1996 とミニガイドの旧版および新版で、
理解に大きな誤りがないと良いのですが…、碑文は記されずに図像だけですから 100% 正しい答えはないでしょう。
(Friso entero desde el fondo)
漆喰彫刻の最後の写真。 奥から入り口に向かって斜めに写真を撮りました。
バラムクの一番の見どころはここまで見てきた漆喰彫刻ですが、その他の建造物を見ながら入口へ戻ります。
(Mascarón del Estructura 1-A)
漆喰彫刻を覆った建造物 I-A の基部、階段右横に仮面の装飾が残されていました。 550-650年頃の建造と考えられる I-A sub をその建築後
間もなく覆ったのが I-A ですから、I-A も古典期後期の初期に遡る古い建造物になりそうです。
(② Estructura IV-A)
これは階段だけ修復された建造物 IV-A を北から見たところで、古い時代のペテン様式になるようです。
(Parte sur de Plaza B)
広場B の北東から広場B を見渡してみました。 中央左に広場B の入り口が見えます。
(③ Estructura IV-B)
広場B 入口左(東側)の ③ 建造物 IV-B です。 急傾斜の疑似階段と角の丸い仕上げからリオ・ベック様式とわかります。
中央グループは以上で、来る時に通り過ぎた南のグループへ行ってみます。
<南のグループ Grupo Sur>
この地図もミニガイドの新版(2009年)からスキャンしたもので、次の写真が北側から見た ⑧ 建造物 D5-3 になります。
(⑧ Estructura D5-3)
南のグループは地図によると4つの広場があり、D5-3 は ⑲ 広場D の東側の建造物です。 2部屋だけの簡素な建物ですが、南側は広場D の
調理場の役目を持っていたようです。
(⑦ Estructura D5-2)
これは北側から見た ⑦ 建造物 D5-2 で、上部構造は失われていますが、3部屋の貴族の居所だったようです。
(Puerta central de Estructura D5-2)
D5-2 の中央の居室入り口両脇には仮面装飾が施されていました。 現在は上下2連ですが、3連若しくは4連あったものと考えられます。
(Mascarones de D5-2)
仮面のクローズアップです。 切り石を嵌め込んだモザイク彫刻ですが、プーク様式のチャーク像とはかなり異なる仮面です。
(⑥ Estructura D5-1)
広場D の西側にも建造物が修復されていて、これは ⑥ 建造物 D5-1 です。 入口が3つあり、前後2列に合計6部屋をもつ建造物で、
D5-2 同様 貴族の居所と考えられます。
広場D の周辺は 2013年に初めて見たような気がしますが、発掘修復は比較的最近だったかもしれません。
(⑩ Estructura D5-6 y Estructura D5-7)
⑱ 広場C は殆ど見るべきものが無く、⑩ 建造物 D5-6 の西側まで来ました。 写真左横に見えている石組みが D5-6 で、中央に ⑪ 建造物
D5-7、奥に ⑭ 建造物 D5-10 が見えています。 右横の瓦礫は南のグループで一番大きな ⑬ 建造物 D5-5 の北東角になります。
(⑭ Estructura D5-10)
これは広場B に入って南の ⑭ 建造物 D5-10 です。 広場B はこの D5-10 と小規模な建造物の D5-7、5-8 から成り、 D5-10 が主要な
建造物になります。 古典期前期の建造物で、基壇上部に柱が並び屋根は茅葺きで、その奥は石組みの屋根が付けられていたようです。
(⑬ Estructura D5-5)
⑭ D5-10 の北西に南のグループで一番大きな ⑬ 建造物 D5-5 があり、古典期前期のペテン様式です。 高さ 10m の地下建造物との事で、
上に積み上げられた新しい時代の建造物は失われ、現在目にするのは古い時代の建造物が修復されたものだそうですが、
上部神殿は初期のリオ・ベック様式神殿が残されるようです。
(⑬ Estructura D5-5)
建造物 D5-5 は ⑯ 広場A に面して南向きに立てられ、正面の階段から上部の神殿にあがります。 崩れて落ちた上部神殿の戸口部分を下に拡大してみました。
(Templo superior de D5-5)
楕円形の窪みがあり動物の目のようだ、と文章では説明されますが、実際どれが窪んだ眼なのか釈然としません。 これがその後のリオ・ベック
様式やチェネス様式に発展したと言う事になるのでしょうか。
(Resto de dos aposentos)
上部神殿に登ると戸口上部が崩れた左右にはマヤアーチが残り、前後に居室がふたつ設けられていました。 この上部神殿からは高位の貴族の
ものと思われるふたつの墓所がみつかっているそうです。 マヤアーチの切り石は不揃いで、かなり古そうな感じでした。
(Estructura D5-10 vista desde templo superior de D5-5)
上部神殿から見下ろすと南東に 建造物 D5-10 が見渡せました。 広場A を挟んで正面には ⑮ 建造物 D5-11 があり、先古典期後期に遡る
ものだそうです。
(Saliendo de Grupo Sur)
これで南のグループも終了、建造物 D5-6 の辺りまで戻って、出口へ向かいます。
バラムク遺跡は四人の王の漆喰彫刻が圧巻ですが、彫刻以外でも興味深い遺跡で、盗掘が成程と頷けるくらい見事な彩色土器が博物館に
納められています。 下は コンゴウインコとコウモリの彩色土器で カンペチェのマヤ考古学博物館蔵です。 出所不明の展示物が多い博物館の
中で、発掘の歴史が浅い
バラクムからの出所が明らな展示物は嬉しい限りです。
(Ceramicas policromados de Balamkú, Museo de Campeche)
「四人の王の家」の漆喰彫刻の撮影
について別ページで解説してあり、正面からの詳細写真もあるので、ご参考ください。