マヤ遺跡探訪
XCAMBO
ユカタン半島の北端、マヤ文化圏の中でも最も北に位置する遺跡の一つです。 州都メリダから北へ30Kmで港町 プログレソ、ここから更に海岸沿いに東へ40Km程行った海岸に程近いところにシュカンブ遺跡はあります。

塩と言う生活に欠かせない物資を産出し、海上交通の要所を占めて、古典期後期にかけてマヤ社会では交易上の重要な街だったようです。

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   (訪問日 2002年2月10日)
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 (Chicxulub cerca de Progreso, donde calló gran meteolito hace 65 millón de años)

写真の標識にあるチクシュルブはプログレソから東へ6Km位、シュカンブ遺跡へ行く途中の港ですが、実は大変なところなのです。  のっけからですが、少々脱線します。

6500万年前、直径10Kmにも及ぶ巨大隕石が落下し、隕石は地下のマントルまで到達、地上には直径100Kmものクレーターが 出来たそうです。 地球は 大爆発による火災がもたらす煤で厚く覆われ、太陽が射さない暗黒時代を迎えます。  その結果、緑は枯れて気温が下がり、恐竜は死に絶えて恐竜時代が終わったと言うことです。

その巨大隕石落下の中心地点がこのチクシュルブなのです!!!  現地では全くと言っていい程無関心ですが、科学雑誌のニュートン でも特集され科学的に裏付けられた事なのです。 日本なら隕石饅頭くらいありそうですが…。

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 (Salina cerca de Telchac)

脱線しましたが、この隕石衝突で出来た石灰層はユカタン北部マヤにとって欠くことの出来ない取水源であるセノーテ  (地中の石灰層を流れる水流が、地表の崩れで池のように露出したもの) と関係あるものと思います。

本題に戻って塩田です。 国道をテルチャックでシュカンブ方向へ右折すると写真の塩田が見えてきます。 マヤの時代から塩田だった ところです。

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 (Salina cerca de Telchac)

塩田の中に杭で長方形に仕切られたところがありますが、マヤ時代の塩田跡ではないかと思います。 現地では一切 説明がないので、定かではありませんが…。

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 (Una choza al lado de salina)

塩田横にある、マヤ式の住居です。 古いものかどうかは??? 新しいものなら壁面は木の蔓で出来ていると思いますが。

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 (Estructuras recién restauradas, cerca de estacionamiento)

さてシュカンブ遺跡です。 この遺跡、以前は全く注目されていませんでした。 遺跡地図に名前が記されるだけでしたが、 盗掘が横行し、住民の訴えから、1976年に調査が始まったようです。 調査してみると沢山の交易品が確認され、 マヤの時代の重要な交易地点として遺跡の重要性が注目される事になりました。

遺跡の入口で車を降りると、綺麗に修復された建造物が幾つか並んでいます。 建物の表面が綺麗なので、修復してから あまり時間が経っていないように見えました。

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 (Sacbé hacía sitio principal)

入口の周辺は、遺跡の中心部ではなく、中心部へは写真にあるサクベ(マヤの白い道)を歩いていきます。 サクベの先には 遺跡の中心部が見えています。

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 (Sitio de Xcambo por Google earth)

Google earth で空から見ると、上の写真のサクベは東から西へ延びていました。 暑い中 訪問時の記憶は定かではないので、 後で空から確認出来るのは有難いです。

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 (Parte nuclear de Xcambo)


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サクベを通り過ぎると十字架のピラミッドの裏手にでます。 地図で Acceso → で示した辺りです。 この地図は 雑誌 Arqueología から書き写したもので、中央広場の周りに主要な建造物が並んでいます。

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 (Pirámide de la Cruz y Capilla Moderna)

西側から見た十字架のピラミッドと、右側は植民地時代の礼拝堂です。 小振りのピラミッドの上には木切れで出来た粗末な 十字架が置かれており、十字架のピラミッドと呼ばれるようです。

マヤを征服したスペイン人は原住民のカトリック改宗に努めましたが、この礼拝堂もその目的で作られたもので、現在でも使われて います。 スペイン人到着時に原住民がこの地域に居住していた証しになりますが、礼拝堂の建築にはマヤ時代の建造物が建築資材 になってしまったのは残念ですね。

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 (Pirámide de los Mascarones, desde Patio 3)

中庭3 辺りから、中央広場の南の方を見たところですが、写真中央奥に庇の付いた仮面のピラミッドが見えています。

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 (Pirámide de la Cruz y Templo de los Sacrificios)
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中央広場に出ると、北側の十字架のピラミッドと生贄の神殿がみえます。

シュカンブ遺跡が最も栄えたのは古典期後期ですが、古典期前期には既に存在し、建造物にはペテン様式が 見られたり、40Kmくらい西南西にあるジビルチャルトゥン遺跡の影響を受けたところがあったり、またキンタナロー州の マヤ・沿岸様式を汲むところがあったりと、交易上の要衝として、いろいろな時代の変遷を辿ったようです。

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 (Gran Plataforma y, al fondo, Pirámide de los Mascarones)

生贄の神殿まで歩いて仮面のピラミッドの方向を撮りました。

全体的に建築様式がばらばらですが、交易上の要衝として大きなマヤセンターによる奪い合いの対象だった事が、 建築様式の多様化をもたらしたようです。

ジビルチャルトゥンの勢力が及んでいた時代から、イサマルの飛び地になり、 イサマルの重要な交易地点として機能した時代が最も栄えたようです。 その後チチェン イッツァが強大化すると、 西のセリートス島に交易拠点が移り、シュカンブは衰退の道を辿っていったようです。

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 (Esquina noroeste de Plaza 1)

上の写真と同じ場所(中央広場の北東角)から西側を見たところですが、マヤアーチの入口の奥に藁葺き屋根の礼拝堂 がみえます。

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 (Techo abovedado de El Palacio)

マヤアーチはここだけに見られますが、細長い石が積み重ねられた持ち送り式アーチです。

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 (Pirámide de los Mascarones)
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仮面のピラミッドを正面から撮ったところです。 粗石積みの時代的には結構古い建造物で、唯一ここに漆喰装飾が 部分的ですが残っています。 もっと沢山装飾はあったのでしょうが、海岸に近く気象条件の厳しい立地なので 止むを得ないでしょうね。

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 (Mascarone estucado)

これは右側の仮面で、左側の仮面は更に風化が進んでいます。 こうした仮面の漆喰装飾は先古典期から古典期前期にかけて マヤでは共通に見られます。

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 (Plaza 1, en frente, Pirámide de la Cruz)

仮面のピラミッドに登って、中央広場全体を見渡してみました。 北側正面に十字架のピラミッド、生贄の神殿、 左手に宮殿、右手に大基壇の一部が見えます。

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 (Basamentos de Patio 1)

同じ場所から左側(西側)に目を転じると、屋根の無い建物の基礎部分が広がっています。 地図上の中庭1のところです。   交易の要衝として、交易品を蓄える倉庫、交易に携わる人達の住居があった筈です。



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 (Plato policromado recuperado en Xcambó, Museo Nacional de Arqueología)

さてこの着色された装飾皿ですが、シュカンブ遺跡からの発掘品としてメキシコ市の人類学博物館に展示されているものです。  地界を現す霊鳥がモチーフで、南部からの交易品でしょう。 こういう皿は何枚も回収されていて、盗掘が横行したという 事実が頷けます。 私も欲しい。 (^-^;

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 (Artículos excavados en Xcambó, Museo Nacional de Arqueología)

シュカンブでの発掘品はお皿だけにとどまらず、ヒスイ等の装飾品、ケツァール鳥の羽、等々 遠くはゲレロ州からの土器や、グアテマラ等の南部マヤのものまで多岐に亘ります。  シュカンブからは、塩、蜂蜜や農産物を主要な交易品としていたようです。

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(Artículos de bronce recuperados, Museo Nacional)

交易品の中には銅製品も! 古典期後期に既に銅器も
存在していたのに何故普及しなかったのか不思議です。



マヤの大規模センターとは違って商業的側面を持つシュカンブ遺跡は、当時の様子を違った側面から 偲ばせる興味深い遺跡でした。



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