(Carrtera estatal 353)
パレンケから国道199号を南下し、その後州道353号を北へ行きます。 でもこの選択は間違いでした。 国道も州道も山がちで曲がりくねり
あまり治安のよくないチアパス州内です。 写真は州道353号に入った辺りです。
(Puente Boca de Cerro, por Google Earth)
やや苦戦しながら何とか国道203号エミリアノ・サパタ-テノシケ線に出て、見覚えのあるボカ・デ・セロ橋に至ります。 橋の全長は
100m はあって その美しいフォルムが GOOGLE EARTH でもはっきり確認出来ます。 手前が丘陵部で橋の向こうが平野になり川幅が
広くなっていきます。
(Puente Boca de Cerro)
時間に余裕があるのでちょっと休憩。 橋の脇には既に使われなくなったレールがあり、往時はガムの原料のチクレの輸送に重要な
役割を果たしたようです。
(Monumento a la entrada de Tenosique)
そして程なくテノシケの街に入ります。 でもここで問題が。 検問の警官が親切にサン・クラウディオへの道を教えてくれたまでは
良かったのですが、タイヤを見てパンクしてるのではないか、と。 そう言えば山道で穴ぼこにタイヤを突っ込ませていた! 穴には
気を付けて運転していても、木の影と道の穴を識別しながらスピードを出して運転していると、一瞬遅く ドカン。
(♪♬ Le falta una llanta para correr ♪♬)
幸い検問所の筋向いでパンク修理が出来て事無きを得ましたが、南回りのルートは失敗でした。 北回りだと道はずっと平坦だったの
ですが…。 写真はタイヤが外れた哀れな愛車 (レンタカー) です。
(Río San Pedro Martir, en La Palma)
遠回りした上にパンクまであって時間をロスしたのに更に道を間違えてサン・ペドロ・マルティール川まで来てしまいました。 写真は
怪我の功名で目にした La Palma にかかる木造の橋です。 国境が近いからか、橋の手前には警官ではなく機関銃を持った兵隊さんが詰めて
いました。 遺跡はほゞ真南ですが道が無いのでまたテノシケ近くまで戻ります。 (涙)
(Desviasión hacia San Claudio)
国道203号はテノシケを出て 2Km 位で右折だったのですが、そのまま直進してしまった訳です。 戻って正しく右折するとちゃんと
エル・セイボ、グアテマラの標識がありました。 まあ今日は急ぐ旅ではないし、いろいろ経験出来て、と負け惜しみ。
(Entrada al sitio sobre Federal 203)
流石に国道は穴ぼこが
少なく 30分もかからずにサン・クラウディオに
到着しました。 写真は国道に面した遺跡の入り口、 注意していないと見過ごしてしまいそうな小さな看板です。 ここまで
訪問記と言うより失敗談!朝パレンケを出てから何と4時間半近く経過していました。 (帰りは 2時間ちょっとでしたが。)
(Vista aerea de Laguna de San Claudio)
サン・クラウディオは予定外で事前調査ゼロ。 後で GOOGLE EARTH で確認しましたが、見えるのは中央にあるサン・クラウディオ湖
だけ。 小さな建造物は識別できません。 左右に走るのが国道203号線で、湖に向かって右に分岐する所が上の写真です。
(Entrando al sitio)
遺跡の門を通り抜けて芝地につけられた轍に沿っていくと写真の小屋が有りましたが無人です。 でも遺跡は何処?
草地の中に石の壁を見つけて西の方へ歩いてみました。
(Grupo 2 al norte de laguna ?)
これが草の中から顔を出していた石組みです。 修復の手が入っているのか、それとも手付かずなのか。 後で調べてわかった
事ですが、サン・クラウディオでは 94 の建造物が 6つのグループに分かれて湖の周りに点在するそうで、この石組みは湖の北の
グループ2 の建造物だったようです。 でもこれだけではないでしょう。 石組みに上がって周りを見渡してみました。
(Grupo 1)
ありました、南東方向に芝生ともっと大きな石組みが見えます。 小屋から西ではなく真っ直ぐ南方向でした。
(Caseta de Servisios al Grupo 1)
南の方へ歩いていくと小型トラックと壁のある小屋があって、INAH のおじさんが、ここまで車で来れるよ、と。
人がいるではありませんか、でも勿論入場無料です。 車を止め直して探索開始です、と言っても遺跡としては大したことありませんが。
(Fachada norte de Estructura 1)
ここはサン・クラウディオ湖の東岸に隣接したグループ1で、写真はその建造物1でした。 建造物の番号は INAH のおじさんに
教えて貰いましが、写真は建造物の北面で南側には広場があります。
(Esquina noroeste)
建造物1の北西角は丸くなっていて、ペテン様式を汲んでいるようです。 資料によると建造物1の高さは北側は 12m になります。
(Lado oeste de Estructura 1)
建造物1の西側。 2段目の基壇が南に延びて広場を形作り、広場のレベルからは建造物1南面は 8m です。
(Fachada sur de Estructura 1)
南西側から見た建造物1。 建造物1ばかりですが、修復されたまともな建造物はこれだけなのです。
(Vista panorámica hacia este desde cima de Estructura 1)
建造物1に登って西側のパノラマです。 右側(南側)にはサン・ペドロ川の南の丘陵地帯が望めます。
(Patio de Grupo 1, visto desde cima de Estructura 1)
同じく建造物1の上から南側の広場を見下ろします。 左の未発掘の土塁が建造物2、正面の土塁が建造物3だそうです。
そして西側は急傾斜を降りていくとサン・クラウディオ湖。
(Vista panorámica hacia noroeste)
建造物1の上から北西側を見返したパノラマ画像がこれ。 サン・クラウディオ遺跡はこの東岸のグループ1の他に、北にグループ2、
西にグループ3など6つのグループが確認されていますが、修復の手が及んでいるのはこのグループ1だけです。
(Estructura 4 de Grupo 1)
建造物3の土塁から南を見下ろすと建造物4があり、これで修復済みだそうです。
テノシケからエル・セイボの道路整備で 22ヵ所の保全すべき遺跡が確認され、その中でサン・クラウディオが最も規模が大きかったそう
ですが、文字が刻まれた石造物はなく、発掘された遺物や粗末な埋葬から、より大きなマヤセンターに従属するマヤ集落だったと
考えられます。
鏃、ナイフ、斧、小刀など数多くの石器とその半製品や作りカスが見つかっている事から、ピエドラス・
ネグラスに属し、武器製造工場の役割を果たしていたのではないかという専門家の推論もあります。
位置関係を確認してみると、成程 パレンケやヤシチラン、或いはポモナやモラル・レフォルマと比べて、現在は国境を跨ぎますが、
ピエドラス・ネグラスが最も近かった事がわかります。
予定外とは言え随分苦労して辿り着いたサン・クラウディオ遺跡はあまり大した遺跡ではありませんでしたが、秘境で未訪問の
ピエドラス・ネグラスとの関係が見えて、少し納得感が…。
(Vista panorámica hacia norte desde Estructura 3)
建造物3の土塁から北側を見返すと、右に建造物1、そして左はサン・クラウディオ湖へ向かう傾斜です。
(Laguna de San Claudio)
湖面近くに降りてみました。 美しい湖面とその向うに緑の草原と山並み。 長閑な光景が広がりますが、ここが古典期のピエドラス・
ネグラスの武器工場だった!?
(Fachada sur de Estructura 1 en tres fotos)
最後に建造物1の広場に面した南面の近接画像を3枚で。
サン・クラウディオは小規模遺跡でしたが、古典期後期におけるタバスコ州東部の状況はポモナとモラル・レフォルマの文字記録で
興味深い史実が確認出来ました。
タバスコ東部の後にチアパス州の遺跡を回り、最後にビリャエルモサへ戻る途中、タバスコ州最西南部の
マルパシート遺跡に寄りました。
次はその
マルパシート遺跡 です。