マヤ遺跡探訪
MALPASITO
タバスコ州東部の遺跡を探索後、チアパス州でマヤ遺跡4か所を再訪、州都トゥーストラ・グティエレス郊外ではソケ族の古い遺跡 チアパ・デ・コルソに寄りました。 ビリャエルモサへの戻りは 西廻りでチアパス州を北西に抜けタバスコ州の南西端に入るルートです。 途中に公開されている遺跡があるので、寄ってみました。  1992-94年に調査が始まったマルパシート遺跡です。

マルパシートはマヤ圏を外れてソケ族の遺跡になるようです。 事前に下調べはしましたが、得られる情報は限られています。 でも マルパシートの村まで行けば遺跡には何とか行きつけそう…。

トゥーストラから先は有料の高速道路が整備され、テウアンテペック地峡の東端の景色を愛でつつ、高速を飛ばします。  右下の地図で 茶色の部分がテウアンテペック地峡地帯で北側がベラクルス州、南はオアハカ州。 ピンクで塗った部分がタバスコ州で、南西の赤丸が マルパシートです。
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   (訪問日 2011年11月25日)
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 (Puente Chiapas en Presa Netzahualcoyotl)

トゥーストラ市内では道に迷いましたが、高速に乗ってしまえば快適そのもの。 写真はマルパソのダム湖にかかるチアパス橋、ここは まだチアパス州内です。 右手はハンドル、左手でコンデジのシャッターをパシャリ。

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 (Zona montañoza cerca de frontera Chiapas-Tabasco)

タバスコ州に近づくと少し山がちになり、こんな奇妙な形をした山の頂も。 車を進めるにつれてその姿を変えていきます。

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 (Caseta de cobro - Malpasito)

程なくタバスコ州に入りマルパシートの料金所に到着。 料金所で料金を支払い遺跡への道を聞くと、料金所手前の出口から出るんだって、 もう遅いではないですか。 でもそこはおおらかなメキシコの事、交通量も少ないし、対向車線を横切ってUターンさせてくれました。  日本だったら次の料金所まで延々と… (汗)。

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 (Ubicación de zona arqueológica)

GOOGLE EARTH の画像で、料金所とマルパシートの村、そして赤で囲ったところがマルパシート遺跡です。

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 (Acercando al sitio Malpasito)

村に入ると遺跡の方向表示がありましたが、肝心の遺跡へ曲がる所に表示が無くて、子供たちに聞きながらやっと遺跡への道に車を 乗り入れます。 未舗装の細い道で対向車が来たら大変。

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 (Última terracería al sitio)

そしてガタガタ道の突き当りにマルパシート遺跡がありました。 殆ど人が来そうもない所ですが、遺跡の看板と料金を徴収する 小屋があります。

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 (Señal de Malpasito y un Petrogravado)

遺跡の看板脇には大きな岩がありました。 周辺一帯では巨岩に人、動物、幾何学模様などを陰刻したものが沢山あり、マルパシートからは 10個見つかっていて、そのひとつがここに運ばれているそうです。 残念ながら鉄条網の中にあり草に邪魔されてか彫刻は殆ど見えません でした。

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 (Breve explicación y mapa del sitio)

さて入場料を支払い、ここから遺跡です。 遺跡の概略説明と地図がありました。 地図右下の遺跡事務所から赤線のルートを辿って 6分位歩くと ② の中央広場に出ます。

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                 (Parte nuclear de Malpasito)

                 看板から遺跡部分を切りだし、北を上にして地図を作り直しました。

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 (Vista aérea de parte nuclear de Malpasito)

GOOGLE EARTH で見ると遺跡は森に囲まれていますが、実際は遺跡は丘陵の尾根部分を階段状に造成して建物と広場が設けられ、  北側が低く南へ向かって高くなっています。

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 (Parte sur de Plaza Principal)

中央広場に出ると南側に大きな階段がありました。 チアパ・デ・コルソでも見た、幅広の手摺の付いた立派な階段で、ソケの様式です。  広場は自然の斜面を削り取って 2300㎡ 程の広さが確保されています。

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 (Parte este Plaza Principal)

広場の東側は森に見えますが、実際は下り斜面で谷間です。 広場は下の写真の広場の北側に続きます。

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 (Parte norte de Plaza Principal y Juego de Pelota)

広場の下(北側) も斜面が削られ、そこに球戯場が設けられています。 球戯場を形成する横長の2本の基壇は南北に築かれ、 南側の基壇上にはスティームバスがあり保護の屋根が取り付けてあります。

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 (Parte oeste de Juego de Pelota)

球戯場の形状が変わっているので少し詳しく見てみます。 これは広場から見下ろした球戯場の西側です。

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 (Parte oeste de Juego de Pelota)

球戯場の西側は T 字型に閉じられていますが、よく見ると T 字の北西角だけ更に西側に伸びています。

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 (Juego de Pelota, vista desde oeste a este)

球戯場の西側から東の方を見ると綺麗な 逆 T 字が確認出来ます。 普通 T 字型は反対側も同じ T 字 で閉じられ、ダブル T 字型とか I 字型と呼ばれますが、ここでは謂わば シングル T 字型。 マヤのみならずメキシコ中央高原の遺跡でも シングル T 字型の球戯場は 見たことがありません。

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 (Parte este de Juego de Pelota)

これが球戯場の東側で、東が谷間なのでダブル T 字型に作れなかったのかもしれませんが、この球戯場は東西だけでなく南北をとっても 非対称で、ソケの人達にとってシンメトリックの美という感覚があまりなかったような感じがします。 またマヤでは通常東西に築かれる 2つの基壇がここでは南北になっているのも特徴的です。

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 (Baño de Vapor bajo techado)

次にスティームバスを見てみます。 球戯場の南基壇の保護の屋根の下に半地下に掘られたスティームバスがあります。

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 (Baño de Vapor, de oeste a este)

これは西側から見たスティームバス。 手前の階段を降りて正面の入り口を入ると左右に長いベンチのついた浴室があり、ここに座って水蒸気で 体を浄めたようです。 球戯場に設けられている点から、球戯を行うに当たって事前に身を浄めたと考えられます。

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 (Baño de Vapor, de este a oeste)

これは反対側から見たスティームバスで、手前に四角い空間が作られていて、ここで燃料を燃やして水蒸気を発生させたようです。  スティームバスには木製の柱に屋根が葺いてあったと考えられますが、どんな高さだったのか?

マヤで見たことのない形のスティームバスですが、類似したものがオコソクアウトゥラ、サンアントニオ、チアパ・デ・コルソ(全てチアパス 北西部のソケの遺跡)で見られると案内板に書いてあり、ソケ様式になるようです。

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 (Desde parte oeste de Juego de Pelota hacia Plaza Principal)

球戯場の北西角から球戯場の T の字の頭の部分をみると非対称と言った意味がわかると思います。 
球戯場はこの辺にしてその先に見える中央広場の南に取り付けられた階段の方へ移動します。

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 (Escalinata grande que conduce a Plaza Sur)

中央広場南に設けられたこの階段はかなり幅広で、頑丈な作りです。 マヤでは建築材料は石灰岩が一般的ですが、マルパシートでは 砂岩が用いられ、砂岩を粘土で接着して石の構造物を築いていったそうです。

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 (Panel de explicación con dibujo de un Petrograbado de Malpasito)

中央広場にあった説明板です。 遺跡の南西部から見つかった岩の彫刻には草ぶき屋根の家に階段が彫られていて、マルパシートの当時の 様子が描かれているようです。

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 (Desde Plaza Sur hacia Plaza Principal)

階段を登り、下を見下ろしてみました。 中央広場の先に球戯場とスティームバスが見えます。

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 (Escalinata central y pequeña escalinata para subir a Plaza Sur)

階段を西横からみたところ。 右上の小さな階段を登ると南の中庭にでます。

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 (Panel de explicación con dibujo de Reconstruccion de Plaza Sur)

南の中庭の説明版には建造物を補った想像復元図があり、当時の状況を理解する手助けになりました。

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 (Parte norte de Plaza Sur)

南の中庭の建造物13(多分小さい階段を登った所)からは葬室のようなものが発見され土器が回収されています。

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 (Plaza Sur vista desde oeste)

これは西側から見た南の中庭で、左の基壇が多分建造物13(跡)です。 この中庭にはマルパシートの一般の人達(平民)が集まり、 写真右の高い建造物 (多分建造物10) に陣取った支配者階級との間で祭祀が執り行われたと考えられます。

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 (Estructura grande, al lado sur de Plaza Sur)

建造物10(?)の階段は幅が細くなり、ここから上は支配者階級の占有スペースだったようです。

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 (Foto panorámica de Plaza Sur)

上から見下ろした南の中庭。 2枚の写真を無理やり繋いでいるので少し歪んでいますが、広場に集まった庶民を王はここから見下ろし ていた!

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 (Acropolis)

南の中庭の上(南)にアクロポリスが広がります。 支配者階級の居所です。 所々に柱が建てられたと思われる礎石のようなものがありますが、 建物は石造ではなかったので柱も屋根も風化して残っていません。

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 (Parte mas alta de Acropolis)

アクロポリスの一番上部、マルパシートの最南端です。 一番高い所ですから一番身分の高い人がいたのでしょうか?

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 (Vista desde Acropolic hacia norte)

その一番高い所から北側の眺望です。 遠くに見える山の頂は今も昔も変わらないでしょう。

遺跡の南西にペトログラバード (岩に陰刻されたもの) があるという事ですが、見渡したところ森に覆われていて 行けそうもありません。 帰途につきます。


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 (Desde Acropolis hacia parte oeste de Plaza Sur)

アクロポリスを北に向けて降りていくと山並みが綺麗に見えました。  そしてこの建造物10 の西端に小径を見つけました。  もしかするとその先にペトログラバードが?

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 (Sendero hacia montículo piramidal)

これがその小径、というか殆ど獣道でしょうか。 後は帰るだけなので駄目元で行って見ました。

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 (Montículo piramidal ??)

3分ほど行くと道の右側が開けてきて、大きな岩石を含む土塁のようなものがありました。 マルパシートのピラミッドでしょうか?  大きな岩石に彫刻は?  私有地になるようで、鉄条網の中なので近づけずに謎のまま。 遺跡の管理人に聞いてみるべきでしたが…。

マルパシート遺跡は以上ですが、何か生活の匂いのするものは?



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 (Cerámicas de San Isidro, Tecpatán, Museo Regional de Chiapas)

タバスコ州都の 地方人類学博物館 は閉鎖中で、マルパシート からのソケの遺物は目にする事が出来ません。 代わりにトゥーストラのチアパス地方博物館にソケの展示品があったので最後にこれを 一部紹介してみます。

この土器群はマルパソのダム湖近くにあるテクパタンからのものです。

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 (Incensario, Cintalapa, MRC)                 (Estela, El Tornillo, Ostuacán, MRC)

左はマルパソダム湖 南約 60Km のシンタラパからの香炉、右はマルパシートからおよそ西 40Km のオストゥアカンの石碑です。

土器も香炉と石碑も全てマルパシートと同時代の古典期後期のもので、やはりマヤとは文化的に異なるように見えますね。


マルパシート遺跡については、マヤ・ソケ文化の遺跡と書いてあるものもありますが、太平洋岸とカリブ海を結ぶ交易路にあたる為、 古典期に東のマヤと頻繁に交流していた事は間違いないようです。 ただソケは先古典期に既にチアパ・デ・コルソで繁栄期を迎えており、 その文化が古典期にソケ文化の独自性を保ちつつチアパス北西部からタバスコ南西部に広がっていったと考えて良いでしょうか。

マヤか非マヤかは使用される言語で区別されますから、その意味ではマルパシートがミヘ・ソケ語族のソケ人の手によるものとすると ソケ文化の遺跡と言って良いと思います。 建造物や博物館の展示物からもマヤとは少し異質な感じです。



管理人以外 人っ子一人いないマルパシート遺跡。 好天にも恵まれて思う存分遺跡を徘徊?できました。
マルパシートを後にして一路ビリャエルモサへ。 約 150Km 2時間以上のドライブでした。

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