マヤ遺跡探訪
CHIAPA DE CORZO
ウシュマシンタ川に次いでメキシコで2番目に水量豊かな大河とされるグリハルバ川はタバスコ州都ビリャエルモサを通ってカリブ海に 流れ込みますが、上流を辿っていくと有名なスミデロ峡谷があり 更に 15Km 位上流に古くからの街チアパ・デ・コルソが広がります。

この交通の要衝となるチアパ・デ・コルソには先古典期から先住民の文化が花開き、同名の遺跡が存在します。 「先住民の」と書いた理由は このチアパ・デ・コルソ遺跡がマヤ語族ではなく、オルメカの系統をひくミヘ・ソケ語族のソケ人の手による為で、マヤ周縁部の遺跡として、 またマヤの起源を辿る重要な遺跡としても興味深い所です。

遺跡は 2009年12月に公開されたばかりで、チアパ・デ・コルソ郊外にあるとしか情報が無かったのですが…。
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    (訪問日 2011年11月24日)
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 (Ciudad de Chiapa de Corzo)

午前中に州都トゥーストラ・グティエレスの地方考古学博物館へ行き、サン・クリストバルへの 帰途チアパ・デ・コルソに寄って遺跡を 探しました。 大きなピラミッドはない為、事前にGOOGLE EARTH で調べましたが見つからず、行き当たりばったりです。 幸い赤丸で マークした幹線道路の分岐点で石造建造物を発見、探索開始です。

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 (Parte noroeste de Estructura 32 sobre Federal 190)

この建造物はおよそ南東向きに建てられ、写真は北西側の背面です。 この写真で建造物の向う (南側) に 国道 190号が走り、北環状線との 合流点の三角地帯に建造物が取り残された形です。

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 (Esquina norte de Estructura 32)

三角地帯は金網で囲まれ係員が数名 清掃作業をしていましたが、公開されていないとの事で中には入れませんでした。 北側の角に階段が ありますが、外から眺めるだけで上には登れません。 後で判明したところでは、チアパ・デ・コルソ遺跡には建造物が 200 位あり、 この建造物は 建造物 32 でした。

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 (Fachada frontal de Estructura 32 con escalinata típica de Zoque)

南東側には正面階段があり、階段左右に幅広の手摺部分が取り付けられ、これがソケ特有のスタイルになります。 係員に中に入れて くれるよう頼みましたが、駄目でした。 でも別に公開されている場所があるという事で、そちらを探します。

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 (Ubucación de Estructura 32 y sitio arqueológico abierto)

国道 190号を跨いで南側にネッスルの工場があり、その更に南の方に公開されている遺跡があり (赤い四角で囲んだ所)、道が混み 入っていて迷いましたが、なんとか到着です。

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 (Entrada al sitio arqueológico)

駐車場は無く路上駐車ですが、遺跡の事務所 (写真左にある赤い屋根の小屋)はあります。 写真正面の緑に覆われた土塁も遺跡ですが、 公開されているのは事務所のある左側。

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 (Anuncio de apertura del sitio, Diciembre 2009)

入り口に色の褪せたビニール製の幕がかけてあり、2009年12月オープンと書かれていました。

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 (Taquilla de la caseta)

遺跡事務所にはチケット売り場が作られていましたが、まだ入場料の徴収はしていないとの事で、記帳のみ、無料です。

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 (Zona arqueológica de Chiapa de Corzo)

チケット売り場の横に遺跡地図が掲示してあり、北を上にして切り直しました。
上の方で東西に走るのが国道 190号で、北西方向から北環状線が合流して三角地帯を作りだし、その中に建造物 32 が確認出来ます。 でも今いる公開部分はその下の方で赤線で 囲まれたところ。 ネッスルの工場は遺跡の上に建てられています!

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              (Parte nuclear de Chiapa de Corzo)

主要部分を拡大しました。 数字は建造物番号で、公開されている赤線内の赤文字 1、5、7が修復中、1、5はほぼ修復され、7 がまだ 修復半ばで、これが完成したら 入場料の徴収が始まるのでしょうか。

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 (Lado norte de Estructura 7)

遺跡に入ってすぐ前に広がるのが建造物7の北面です。

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 (Anuncio del sitio y persona encargada)

遺跡の看板と管理のおじさん、INAH の係員です。

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 (Explicación sobre la historia del estudio y excavación)

西側の金網にビニールの垂れ幕が2枚掲げてあり、チアパ・デ・コルソ遺跡の歴史が説明してあります。

遺跡の発見は 1870年に遡り、建造物1、5、7を含む遺跡の発掘は 1955年に始まっているそうです。 70年頃に道路際の建造物 32 と ネッスルの敷地にある建造物 17、18 が保護され、80年頃に職業訓練学校内の建造物 26、更に建造物 73 と遺跡の保護が続き 85年に 遺跡全体のマッピングが行われています。

2006年になり 建造物1、5、7を含む土地が買い上げられ 2007年から本格的な発掘修復が行われて、2009年12月の遺跡の公開に至って います。 2008年には道路を隔てた建造物 11 の発掘でオルメカの影響を示す奉納物が沢山見つかり、土地の購入と発掘が更に 続くようです。

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 (Lado norte de Estructura 7)

話を遺跡に戻して、写真は建造物7の北側のパノラマ画像です。 低層の基壇は修復が進みますが、その上の土砂を取り除くのはまだ これからの様に見えます。

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 (Pequeña escalinata del lado norte)

北面の西寄りの階段。 ステップ4段だけですが手摺が取り付けてあります。

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 (Foto panorámica que cubre lado norte y oeste de Estructura 7)

建造物7の北面から西面にかけてのパノラマ画像です。

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 (Lado oeste de Estructura 7)

建造物7は南北に長い建造物で、西側面は縄が張られて遺跡保全がこれから進むようです。

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 (Estructura 5)

これは建造物7の先にある建造物5。 こちらは基壇の上の建造物まで発掘保全が終わっているようです。

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 (Lado oeste de Estructura 5 y su escalinata principal de estilo Zoque)

建造物5は西側が正面で、ソケ様式の特徴的な階段が取り付けられています。 

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 (Parte residencial sobre Estructura 5)

4m 位の高さの基壇を登ると上部に構造物が残され、建造物5はその構造から特権階級の居住区だったと推定されています。

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 (Estructura 1 y 4 visto desde Estructura 5)

建造物5の基壇上から見た建造物1です。 建造物1は幅 30m で、左側(東側)に建造物4が隣接して設けられています。

発掘された土器から、チアパ・デ・コルソの歴史は 1400BC まで遡るとされ、ソケ人の小さな農村から発展していきます。 先古典期中期 にあたる 700-500BC 頃には大きな建造物が建てられ始め、湾岸のオルメカ文明ではラ・ベンタの時代に重なります。

その後マヤ同様、建造物は常に増改築が加えられ、古典期前期にあたる 400-500AD 頃に最盛期を迎え、550AD 頃に街は放棄された そうです。 ペテン地方へ侵入したテオティウアカンの勢力に滅ぼされたという仮説もありますが、果たしてどうでしょうか?

建造物は初め干し煉瓦が用いられ、河原の丸石、そして原古典期になると切り出した石灰岩が用いられるようになります。 遺跡ではあちら こちらに異なる時代の建物が露出しているように見えますが、建造物1と5 の修復された姿はおおよそ古典期前期のものになるようです。

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 (Escalinata central del lado norte de Estructura 1)

説明が少し長くなりましたが、建造物1の北に面した中央階段です。 修復作業中でしたが、階段左右の壁面が異なる角度で修復されつつ あるのが気になりました。

建造物1の基壇は 6m の高さになり、基壇上にも建造物が築かれていて、宮殿の役割を持っていたと考えられています。

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 (Esquina noroeste de Estructura 1)

これは建造物1の北西角で、正面階段と同時に西側面に沿ってもまだ修復作業が進行中でした。

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 (Lado oeste de Edificio 1)

これはその西側面。 手前部分が複雑に入り組んでいます。

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 (Detalle del lado oeste)

入り組んだ部分を正面から見てみると、基壇が窪んでスペースが設けられ、基壇上に上がる階段までつけられています。 マヤでは 殆どの建造物が左右対称で分り易いのですが、ソケでは機能重視で建物のバランスはあまり重視されなかったようにも見えます。

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 (Detalle del lado oeste)

上の写真の更に南側で、作業員が働いていたところ。 ここにも上に登る階段がありました。

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 (Esquina suroeste)

建造物1の南西角まで来て南面を横から見たところです。

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 (Lado sur)

南面は修復済みですが、複雑な作りでどの時代のものが露出しているのか?

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 (Lado sur)

中央部が崩れていて、その中に前の時代の建造物が露出しているようにみえます。 中側も石灰岩を切り出した石が使われているので 原古典期以降になるでしょうか。

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 (Lado sur)

建造物1南面の東側。 大きな傾斜があります。

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 (Inclinación o escalinata del lado sur)

一番手前に最も新しい時代の基部が残り、その中側に大きな傾斜が残されますが階段にはなっていません。 形状からして当時は ソケ様式の階段があったように見えますが。

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 (Esquina sureste)

建造物1の南東角から北方向です。 正面は建造物4の背面になるようです。

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 (Lado este de Estructura 1)

建造物1と4を南東方向から。 建造物1 基壇上部の南東方向に建造物が残されます。

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 (Ecalinata central en proceso de restauración)

建造物1の北正面に戻って、中央階段の修復現場です。 階段の左に 4m程の壁が部分的に残りますが、何時の時代のものか?  専門家でないと判りませんね。

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 (Foto panoramica de la parte superior del basamento de estructura 1)

建造物1の基壇上部に登って東方向のパノラマ画像です。 画像左が中央階段で、右隅に南東方向の建造物が小さく見えます。 

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 (Pequeño templo a la esquina sureste del basamento)

基壇上部にはあちこちに建造物跡が認められますが、南東角に一番完全な建造物が修復されています。 宮殿と言う事ですから、 いろいろな政事や祭事を執り行う建造物があったものと思います。

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 (Resto de construcción a la esquina noroeste)

北西角には建造物跡が床面と共に露出していました。

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 (Estructuras 4, 5 y 7 hacia al fondo)

北東角から北方向を見ると、建造物4、5、7が一直線に並んでいる様子が見てとれます。

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 (Estructura 5)

建造物5は建造物1から見下ろすとその作りが一番よくわかります。



遺跡での写真は以上ですが、公開されている遺跡の建造物を見るだけではチアパ・デ・コルソの素顔がいまひとつ見えて来ないので、 午前中に訪問したチアパス地方考古学博物館からチアパ・デ・コルソ出土の遺物を一部ご紹介します。

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 (Exhibicion en Museo Regional de Chiapas)

博物館にはチアパ・デ・コルソのセクションが設けられており、発掘された墳墓も再現されていました。 古典期前期なのか先古典期に 遡るものかよくわかりませんが、仮面こそないものの全身を翡翠の装身具で飾られた貴族の埋葬で、貴族を頂点にした階級社会が成立 していた事を物語ります。 

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 (Esculturas exhibidas en el Museo)

先古典期の石造物の断片も展示されていました。 左のものはイサパの様式に似ていて、右の石彫りには文字と思われるものが 彫られています。 チアパ・デ・コルソの石碑2号 (下の模写、 Wikipedia より) はメゾアメリカ最古の長期歴が刻まれていた事で知られますが、  3トゥン2ウィナル13キン6ベンが読み取れ、上下の欠けた部分を補うと 7.16.3.2.13. 6 ben 13 xul で、紀元前 36年12月 に なるようです。

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 (Estela 2 de Chiapa de Corzo)

2016年2月には石碑2号が展示されていたので、画像を追加しました。

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 (Ofrendas funerarias exhibidas en el Museo)

これは建造物1で発見された墳墓からの副葬品で先古典期後期のものになりますが、彫刻された骨片や装身具等の質の高さが目を引きます。  

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 (Ofrendas de recipientes de chocolate)

これも先古典期後期の副葬品でチョコレート飲料をいれた容器です。 原料のカカオはソケ語の Kakaw が起源で、これがマヤを始めと した先住民の言葉になり、スペイン語、英語の Cacao になったそうです。



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 (Zona de nueva excavación)

チアパ・デ・コルソ遺跡について最後にもうひとつ興味深いニュースを。 道路の反対側の未公開部分には天文観測複合を構成すると 考えられる建造物 11 と 12、および建造物 13がありますが、2010年5月に赤丸で記した建造物 11 から 従来の定説を覆すような 重要な発見がありました。 

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            (Zona de nueva excavación)

発見されたのは 700BC 頃の貴族の埋葬で、50歳を超えると考えられる成人男女の遺骨は全身 翡翠の装身具をつけた豪華なもの であり、早速 Arqueología Num.107, Jan-Feb. 2011 に 10頁にわたって特集されていました。

まずピラミッドに墳墓が設けられたのが 紀元前 700年に遡ると言うのは マヤのみならず全メゾアメリカで最も古い例になると言う点が 特筆されます。 そして副葬品には多くのオルメカを示す遺物があり、翡翠はマヤ地域のモタグア川流域からと、チアパ・デ・コルソが 広範に交易をおこなって事が推し量られ、それがオルメカの湾岸地域でもマヤ地区でもなく、チアパス中央盆地のソケ人の土地だったと 言う事…。 オルメカ文明の伝播やマヤの起源についての定説にも一石を投じかねない発見で、更なる発掘・調査が期待されます。

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 (Fotos de excavación escaneadas de Arqueoogía #107)

写真は Arqueología からスキャンさせて貰いました。 左は発掘調査中の建造物 11 の西側正面、右は航空写真で、ピラミッド上部から 6m 以上掘り下げた所で墳墓が発見されました。


墳墓の発見後に土地は買い上げられ 更に詳細な発掘調査が進められるようですから、今後また新たな発見が期待できるかもしれません。  期待した建造物 11 は立ち入れませんでしたが、およそのチアパ・デ・コルソの概要は把握できたので、これからのニュースに 注目です。 

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