エメラルドグリーンのカリブ海を背にして断崖上に聳え立つトゥルム遺跡。 最もポピュラーなマヤの観光スポット
のひとつでしょう。
後古典期後期(1200-1520AD)の代表的なマヤ遺跡ですが、スペイン人の艦隊が最初に目にした大きなマヤの街として、
また 19世紀のマヤ人の反乱の拠点になった場所としても、知られます。
カンクンからの国道 307号が 1972年に 128Km 南のトゥルムまで開通し、チチェン・イッツァと並んで、カンクンへの観光客の多くが訪れる
マヤ遺跡になっています。
(訪問日 2002年8月28日、1999年5月4日)
空からも見ても綺麗なエメラルドグリーンの海が…。
(Tren turístico que conecta estacionamiento y caseta de servicios)
朝方ユカタン州の
チチェン ビエホ をまわり、その足で車を飛ばして
トゥルムまで来ました。
午後3時をまわりましたが抜けるような青空にカンカン照りの太陽。 暑いだけでなく写真も逆光は最悪で、早速逆光写真です。
駐車場からチケット売り場まで写真にある乗り物が利用できます。 有料ですが結構距離があるので
利用をお薦めします。 汗をかかずに済むし、時間短縮と観光気分で一石三鳥です。
(Entrada a la ciudad amurallada)
チケットを購入していざトゥルム遺跡へ。
トゥルムは、東側は海を背にし、西と南北には城壁を巡らした城塞都市で、正式な入口が南北に2ヶ所づつと西に1ヶ所の
合計5ヶ所あります。 この観光用の入口 (下の地図参照) は一見オリジナルの入口のように見えますが、後から開けられたもののようです。
(Sitio arqueológico de Tulum, vista desde Entrada)
入口をくぐると直ぐにカスティーヨ(城砦)を中心とした主要部が見えてきます。 照りつける太陽を遮るものは無く、帽子と水が
必需品です。
トゥルム遺跡の地図です。 1枚上の写真は北西の”入口”と記してある辺りから カスティーヨ 方向を撮ったものでした。
(Parte principal de Sitio arqueológico de Tulum)
西側の城壁を背にして広角で撮ると、主要部が殆ど一枚の写真に収まります。 乾季の後半で芝は枯れていました。
(Parte central de Sitio arqueológico de Tulum)
少し近づいて中心部のアップです。 雲ひとつない青空で、これぞトゥルムと言う感じです。
(El Castillo y parte posterior de Casa de Halach Uinic)
探索を開始しましょう。 主要部に近寄って ハラック・ウィニックの家の裏側と左側がカスティーヨです。
(Casa de Halach Uinic y Templo de Dios Descendente a la derecha)
少し南に進み、ハラック・ウィニックの家の西側に出ました。 写真右端に見えるのは降臨する神の神殿です。
(Parte posterior de Casa de las Columnas)
こちらは ハラック・ウィニックの家の向かいにある列柱の家の裏側になります。
(Parte frontal de Casa de las Columnas)
ハラック・ウィニックの家の南側、正面。 宮殿形式の建造物で独特な形をしており、正面に4本の柱があってその柱廊の奥に
部屋が続きます。
(Dios Descendente hecho en estuco, debajo de techo de protección)
中央の部屋の上にある覆いの下には、降臨する神の漆喰彫刻が残されています。
(Lado sureste de Casa de las Columnas)
カスティーヨの広場の入口から、列柱の家を南東側から撮りました、こちらが正面のようです。 この建造物も宮殿形式で
L字型に部屋が作られていました。
(Templo de Dios Descendente)
これはカスティーヨの広場の北側にある降臨する神の神殿で、典型的な
東海岸様式 です。 この様式の建物は外壁が内側へ傾いて
頭でっかちな形になりますが、この神殿ではその特徴が顕著です。
(Dios Descendente de la fachada superior)
建物の名の通り、この神殿の入口上部にも降臨する神の漆喰彫刻があります。
(Dios Descendente de Tulum, Museo Nacional de Antropología)
この写真はメキシコシティーの人類学博物館の展示で、トゥルムからのものですが、上の彫刻と酷似しています。 (この神殿からの
オリジナルでしょうか?)
(El Castillo de Tulum)
カスティーヨの広場の外側から撮ったカスティーヨの写真ですが、階段は登れないので、上部神殿はこの辺りからの方が
良く見えます。
(El Castillo de Tulum)
カスティーヨ前の広場に入って撮った写真です。 カスティーヨは、最初の小さな神殿が埋められて階段のついた基壇になり、
上に新しい神殿が造られる等、数度の増築が行われて今の形になったそうです。
(El Castillo de Tulum)
階段の下から上部の神殿を見上げました。 以前は階段を登れましたが、現在は建物保護の為に階段手前に柵が
してあります。
神殿の入口を支える2本の柱は蛇の形をして、尻尾が鴨居を支え、床面には蛇の頭が置かれ、
所謂マヤ-トルテカ様式です。
(Templo superior de El Castillo)
神殿のクローズアップですが、柱の根元にある蛇の頭は登らないと見えません。 入口上部の漆喰彫刻は、中央が降臨する神の彫刻で、
左右は人物像です。
(El Castillo de Tulum)
カスティーヨを南東側から撮ると、三層の神殿の構造が良くわかります。 建物に近づけないようにロープが貼ってあるのが
見えますね、残念です。
(Templo de la Serie Inicial)
これはカスティーヨの南側にある、イニシャル・シリーズの神殿です。 中から 564年の日付が刻まれた石碑が見つかり、現在はロンドン
の大英博物館にあるそうです。
(Parte posterior de El Castillo y el Mar Caribe)
カスティーヨの南側ですが、建物の後ろは断崖絶壁 (少しオーバーですが)で、下にはカリブ海が広がります。
トゥルムはもともとマヤ語で サマ(Zamá =夜明け)という名前だったそうですが、ここからの夜明けの光景は
間違いなく素晴らしいものだと思います。
(Templo del Viento, vista desde El Castillo)
カスティーヨの裏から北の方を見ると、入り江の向こうに風の神殿が見えます。
1518年にグリハルバの艦隊が見た、
「セビリアに勝るとも劣らない」マヤの街とは、海の向こうからトゥルムを見た訳ですが、トゥルムからも艦隊を
見て驚愕したのでしょう。 この辺りからでしょうか?
(Parte posterior de Templo del Viento)
トゥルムで一番東に張り出したこの風の神殿、入口は北側で南側には入口がありません。 円形の基壇の上に築かれた
神殿には風の神を祭った祭壇があるそうですが、暑いのでそこまでは行きませんでした。
(Parte posterior de Templo de los Frescos)
カスティーヨはこの辺にして、有名なフレスコ画の神殿に行って見ます。 逆光ですが、左側にフレスコ画の神殿の裏側、
右奥中央に チュルトゥンの家が見えます。
(Templo de los Frescos, lado frontal)
これがフレスコ画の神殿。 四方にロープが張られていて建物に近づくことが出来ません。 まずは大きな画像を見て下さい。
(Acercamiento de fachada principal del primer nivel)
フレスコ画の神殿の建築は三段階に分けられ、初めに一層の小さな神殿が築かれ、次に小神殿の回り三面(北東南)に回廊が設けられ、
最後に二階部分の神殿が積み上げられました。 最初の小神殿の壁に有名な壁画が残りますが、残念乍ら中へは入れません。
(Dios Descendente del centro de fachada superior)
入口を支える4本の柱の上に3つの窪みがあって漆喰彫刻が施され、左右は座った人物像、中央が写真の
降臨する神です。 下になった頭の部分は崩れているものの、全体的に赤や青の彩色が残されます。
(Escultura de Mascarón de esquina suroeste)
そして正面左右の角には大きな人面が形作られています。 装飾の施された目、鉤鼻、下がった
口元、出っ張った顎があり、雨の神チャークかイツァムナ神と考えられています。
(Casa del Chultún)
最後にフレスコ画の神殿の向かいの チュルトゥンの家です。 建物の南西の チュルトゥン(水溜) がその名の由来です。
逆光でよく見えませんが、入口の2本の柱の奥に
部屋があり、部屋の入口の上に降臨する神の装飾があります。
(Dios Descendente de Casa del Chultún)
この降臨する神はかなり崩れており、漆喰彫刻の下の壁が露出しています。
以上でトゥルム遺跡訪問は終わりですが、トゥルムを含む東海岸のマヤのその後について少し触れておきましょう。
スペイン人の持ち込んだ天然痘の為、免疫力を持たないマヤ人の人口は急激に減少します。 そしてモンテホ将軍による
ユカタン制圧後、残ったマヤ人は荘園に囲い込まれて労働に従事させられる事となり、ここに長く続いたマヤの文化は
崩壊に向かいます。
マヤの文化が失われていく中、一部は内陸に逃亡して細々とマヤ人としての生活を続けますが、19世紀になると逆境に置かれたマヤ人達が
集まって反乱を起こします。 これはカスタ戦争(カースト戦争)と呼ばれ、トゥルムもその拠点になります。
英領ホンジュラス(現ベリーゼ)経由イギリスの武器援助もあったようで、一時はユカタン半島の大半をその勢力下に収めますが、
農繁期になると軍隊が消えてしまう等、奇妙な戦争だったようです。
1847年に勃発したこのカスタ戦争も最後には鎮圧されてしまいます、20世紀に入り 1901年の事でした。
そして騒乱の中で手の付けられなかったトゥルム遺跡の本格的な調査、修復がようやく着手される事になります。