イスラ・ムヘーレスはカンクンの北東に浮かぶ全長 7.5Km の小島です。 キューバを発ったエルナンデス・デ・コルドバ
率いる第一次遠征隊の3隻の艦隊が暴風で流れ着き、スペイン人が初めてメキシコの地を踏んだ場所になりました。
1517年 3月の初めです。
島は女神イシュチェルを祭ったマヤ人の聖地で、出産を願うマヤの女性が巡礼し女性の偶像を奉納していく習慣があり、
スペイン人達はこの沢山の偶像を発見して、イスラ・ムヘーレス=女の島、と名付けました。
あまり見るべき遺跡は残っていないとは聞いていましたが、スペイン人が最初に上陸した場所を自分の目で
確かめたく、行ってみました。 碧い海と自然が売り物のイスラ・ムヘーレスですが、目指すは遺跡です。
(訪問日 2008年10月7日)
(Un Ferry desde Puerto Juares, llegando al Embarcadero de la Isla)
イスラ・ムヘーレス行きの船はカンクンホテル街からもありますが、カンクン・セントロ北東のプエルト・フアレス港からは
30分毎に船があり、航路も短く20分の船旅です。 デッキ付きの観光船ではなく写真の通りの実利的な連絡船ですが、
早く安く便利です。
(Mapa turístico en un folleto)
観光案内所で貰ったパンフレットの写真。 連絡船の船着場は島の北部で地図の左上ですが、遺跡は反対の最南端。
遺跡まで約 7Km あります。
(Calle principal de Punta Norte)
電動カート、バイク、自転車の貸し出しもありますが、自然目的の旅ではなく時間の関係で、赤いタクシーを利用しました。
運ちゃんから島の観光案内を聞きながら10分チョットで島の南端に到着です。
(Entrada al parque)
遺跡のある南端は公園が整備されて、しっかり入場料を徴収されます。
(Vista aérea de Punta Sur)
Google earth で見た遺跡公園です。 左上の公園入口から右下の先端まで 300m 位歩きます。
(Paisaje de Punta Sur)
公園入口から岬の突端を見ると水平線上に米粒みたいに見えるのがマヤの建造物です。
(Paisaje de Punta Sur)
彫刻公園という事でマヤの建造物の手前にモダンな造形物が並べられていて、折角の情緒をぶち壊してくれます。
入場料を払っても良いですが、彫刻は要りません。
(Templo Maya)
何だかんだ言いましたが、兎も角遺跡に到着です。 半壊した建物がひとつだけですが、三方を海に囲まれ断崖の上に立つ
石組みの建物で、スペイン人上陸を目撃した生き証人です。
(Explicación de Ixchel)
建物の説明書きには、女神イシュチェルに捧げられたマヤ神殿、とあります。 イシュチュルとは、神々の母である虹の神、
創造主イッツァムナの妻、潮汐の婦人、月の神、織物の守護者、分娩と治療術の保護者。 忙しそうです。 (^-^)
(Templo Maya)
北側から見たイシュチェルのマヤ神殿。 基壇上の神殿はかなり崩れていますが、やはり末広がりの
東海岸様式 のように
見えます。
(Templo Maya)
これはマヤ神殿の南西側。 神殿はイシュチェルを祭った他に航行する船の指標になったようです。 神殿の
向こうの水平線からスペインの大きな帆船が現れ、そして島に上陸してくる、どんな様子だったでしょうか。
(Estructura 3)
東の方を向いた神殿の正面には階段の痕跡があります。 この辺りには女性の偶像が沢山並べられたのだと思います。
コルドバの遠征隊は、植民地の鉱山で働かせる為の人集め、つまり奴隷狩りの目的を持っていましたが、当時のイスラ・ムヘーレス
は聖地で殆ど無人であり、遠征隊は直ぐに錨をあげて 3月4日にはユカタン半島北端のカーボ・カトーチェ
(カトーチェ岬)に上陸する事になります。
(Estructura 3)
最後にマヤ神殿から見下ろしたイスラ・ムヘーレスの海。 エメラルドグリーンの海が広がり、今は何事も無かったかのように
白い波が打ち寄せます。
コルドバの遠征隊はカーボ・カトーチェでエカブのマヤ人と小規模な戦闘の後、半島を一周してチャンポトン (カンペチェ市から更に
南へ約 60Km) に上陸。 ここでのイツァー人との激しい戦闘でコルドバ自身傷を負いキューバに戻った翌年にはこの傷が元で命を落とします。
メキシコ征服の役割は第二次遠征隊のフアン・デ・グリハルバに引き継がれる事になります。