マヤ遺跡探訪
MONTE ALTO
モンテ・アルトは マヤ地域に於ける先古典期の歴史で オルメカやイサパと並んで語られる古代遺跡であり、”太鼓腹” の石像の中心地として 有名です。 サンタ・ルシア・コツマルグアパから南東に 20Kmと比較的近く、ビルバオからの帰り道に寄って貰いました。

残念ながら遺跡は整備されておらず、私有地にあって行っても見るべきものは無いとの事ですが、幸い石造物は 1960年に 500m 離れた ラ・デモクラシアの街に移されていて、中央広場に整備された考古学公園で見る事ができます。

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広場を一周して石造物を見て回ったら、ラ・デモクラシア地方考古学博物館が広場の北西にあるので、こちらもお勧めです。  自由に撮影できないのが難ですが、モンテ・アルト遺跡からの土器や石器を集めて展示してあります。

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     (訪問日 2015年1月14日)
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ラ・デモクラシア考古学公園    Parque Arqueológico de La Democracia

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  (Parque Central de La Democracia)

サンタ・ルシア・コツマルグアパを後にして 一路ラ・デモクラシアを目指します。 車でおよそ20分で写真のラ・デモクラシアの中央広場に 到着しました。

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 (Parque Central visto por Google Earth)

Google Earth の空からの写真を見ると、東西と南を赤い屋根で囲まれた考古学公園が確認できます。 公園には東西に茶色い小さな屋根が ふたつづつ、計4つ並び、ここに石造物が保護されています。  公園の北側東寄りの白い屋根はラ・デモクラシアの教会で、北西の青い屋根が博物館です。

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 (Monumentos de Monte Alto bajo techo de protección)

北西の屋根の下から反時計回りに見ていきます。 4つある屋根の下にはそれぞれ3つづつ石造物が置かれています。

モンテ・アルトの歴史は発掘物から先古典期前期の紀元前1800年位まで遡れるようですが、最繁栄期は先古典期後期の紀元前400年頃から 紀元250年辺りで、石造物はおよそこの時代のものになるようです。

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 (Barrigón, Cabeza Grande y otra Cabeza Grande)

これが北西の屋根の下の3つの石造物です。 丸い玄武岩の巨石を利用した彫刻には、体全体を彫刻した ”太鼓腹” と、巨大な顔だけを彫った ”巨顔” (便宜的にこう呼んでおきます) がありますが、北から太鼓腹、巨顔、巨顔と並びます。

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 (Dos Cabezas Grandes y un Barrigón)

これは南西の屋根の下で、巨顔、巨顔、太鼓腹です。 巨顔は太鼓腹の顔の部分であり、巨顔も太鼓腹も併せて Barrigon ” 太鼓腹” だ とする見方もありますが、何の為に作られたものかも含めて、定まった解釈はないようです。

太鼓腹は妊婦を表し豊穣を祈願するものだったと言う説もありますが、基本的には女性ではなく男性だと言うのが大方の見方です。  多くは目を閉じ、或いは半眼で、同じ顔をしたものは無く、神または祖先を巨石に彫り込んで信仰の対象にした、と言う辺りが無難な見方 でしょうか。

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 (Mas monumentos bajo techado en el extremo sureste del Parque)

広場の東側に回り、これは南東の屋根の下で、右奥には広場北に位置するラ・デモクラシアの教会の黄色い壁が見えてきます。

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 (Gran recipiente de roca, Cabeza Grande y Barrigón)

南東の屋根の下には、中を彫り込んだ巨石の水溜めがあり、北の方へ巨顔、太鼓腹と続きます。

帰国後調べていて知った事ですが、モンテ・アルトの石造物には彫刻の他にもうひとつ特徴があり、それは彫刻に使われている石が 磁性を持つ事だそうです。 広場に並べられた5つの太鼓腹の内の3つ、6つの巨顔の内の4つは、磁性を持つ磁鉄鉱だそうです。  訪問時に知っていればコンパスを向けてみたところですが。 それにしてもどうやって磁性を持つ事がわかり、その磁性を何の為に 役立てようとしたのか…、 謎です。

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 (Mas monumentos)

これは4つ目の北東の屋根です。 遺跡から移されたモンテ・アルトの石造物は、現在は白い柱と高く広い屋根でしっかりと保護されていますが、 少し古い写真を見ると以前はもっとみすぼらしい屋根だったようです。 2002年に国の遺産に指定されたお蔭でしょうか。

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 (Una Cabeza Grande y dos Barrigones)

北東の屋根の下、南側から 巨顔(側面と正面)、太鼓腹、太鼓腹です。

以上、考古学公園に移された12個のモンテ・アルトの石像物 ですが、どれひとつとして同じものはありません。 紀元前400年から紀元250年頃と言う、広い時間軸の中で、どれが何世紀頃に 作られたのか、どれとどれが似通った時代になるのか、等々疑問は山ほど湧いてきますが、どれひとつとして正しい答えを知る由も ありません。

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 (Iglesia de La Democracia)

さて考古学公園を一回りして教会の前に来ました。 考古学公園と言っても飽くまで ラ・デモクラシアの中央広場であり、公共スペースなので、 入場料の徴収はありません。 その代わりに市民の憩いの場となり、中には強い日差しを避けて昼寝の場に使う人もいます。 カメラを向けると 退いてくれる人が多いですが、全く無頓着な人も。

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 (La sombra sirve para descanso, charla y siesta)



ラ・デモクラシア地方考古学博物館

                      Museo Regional de Arqueologia de la Democracia

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 (El exterior del Museo)

博物館の外観です。 ラ・デモクラシア地方考古学博物館 ですが、外壁には ルベン・チャベス・バン・ドームと別の名前で表示 されます。 階段のある所が入口で、ここは有料です。

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 (Dos esculturas exhibidas afuera del Museo)

博物館に入る前に階段の左右の道路に面した所にあるモンテ・アルトからの石造物です。 左の彫刻は前から見るとカエルのようにも 見えますが、横から見ると牙や爪の生えた手足があり、ジャガーのようにも見えます。 右は小型の太鼓腹のようです。

博物館に入るとガラスの展示ケースの中に、土器や石器の類が展示されます。 先古典期のものが多く、見た目に地味なものが多いですが、 古典期や後古典期のものもあるようです。 残念ながら室内は写真撮影禁止なので画像で紹介する事ができません。

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 (Otro barrigon en el patio)

中庭にもうひとつ小型の太鼓腹がありました。 台座にはグアテマラ観光局の名前と1971年4月の日付があり、博物館の開館を記念 するもののようです。

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 (Artículos liticos en el patio)

同じく中庭にある石造物です。 彫刻は施されていませんが、モンテ・アルトの解説に 天文観測に用いられた石造物というものが出てくるので、 若しかしたらこれかもしれません。

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                        (Banca esculpida en el estilo de Cotzumalguapa)

もうひとつ中庭の石造物。 玉座のようですが、上面に彫られているのはコツマルグアパ様式の死の神です。 古典期後期の モンテ・アルトのものか、別の場所から持ってきたものか判りませんが、距離的に近いので影響を受けて当然かもしれません。

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                        (Una foto de la sala de exhibición)

                      室内撮影禁止なのですが、1枚だけ写真を頂いてしまいました。
                      m(_ _)m    謝って済めば警察は要りませんが。



博物館に展示された太鼓腹     Barrigones en los museos

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 (Tres pequenos barrigones de Kaminaljuyu en el Museo Nacional)

折角なので博物館で見た太鼓腹を集めてみました。 モンテ・アルト以外、カミナルフユやタカリク・アバフの太鼓腹が知られますが、 カミナルフユのものは首都の国立博物館で見る事が出来ます。 これは展示ケースの中に入った小型の太鼓腹です。

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 (Otro barrigon en el Museo Nacional)           (Barrigón exhibido en el Museo Miraflores)

左も国立博物館でカミナルフユからのものですが、上のものより少し大きめです。 右はミラフローレス博物館の太鼓腹で、 出土地が明記されていませんが、地元カミナルフユのものと思います。 同じ太鼓腹と言ってもモンテ・アルトのものとは 大分様式が異なるように見えます。 タカリク・アバフの方がよりモンテ・アルトに類似したものがあるようですが。

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      (Barrigón que se encuentra a la entrada del Museo Popol Vuh)

最後にポポル・ブフ博物館の太鼓腹です。 マロキン大学構内で、博物館が入っている建物の入口に置かれた大型の太鼓腹です。  首飾りが彫られていますが、出土地は何処でしょう?


以前から気になっていた太鼓腹について少し理解を深められました。 それ程何処にでもあったものではなさそうです。  先古典期の特徴的な石造物としては、他にキノコ型のものや長い台座のついた石彫りなどがあります。 太鼓腹と併せて、 先古典期の解明にヒントを与えてくれるかもしれせん。

これでモンテ・アルトのページは終わりにします。



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