エル・バウルでは 90年代にその半分位の地域で宅地造成が進められ、遺跡の破壊が進みます。 マヤ遺跡を壊して出来た新しい住宅地は
マヤ・コロニーと名付けられますが、何とも皮肉な話です。
(Acrópolis de El Baúl rodeado por la cañaveral)
幹線道路を外れ、マヤ・コロニーの横を通ってサトウキビ畑に囲まれた遺跡に向かいます。 正面に見える隆起がエル・バウルの
アクロポリスになりますが、単なる小山にしか見えません。
(Gran roca que permanece dentro de cañaveral)
アクロポリスに向かう前に少し寄り道してサトウキビ畑に残された巨石を見に行きます。 サトウキビの収穫後間もなく、若いサトウキビの
背丈が低いのが幸いでした。 サトウキビは成長すると2メートルを越して石造物は隠れてしまうところでした。
(Monumento 4 La Gran Hecatombe)
こちらはアクロポリスの方角を向いて彫刻が施された面ですが、風化しているのか汚れているのか図像が読み取り辛いです。
この石造物はモニュメント4、エカトンベ(大量の生贄)と呼ばれ、大きすぎて博物館に運べず遺跡に取り残されています。 模写の助けを
借りて図像を見てみると、中央で生贄の儀式を執り行っている主役は骸骨顔をした死の神で、右手に心臓、左手に頭飾りを持っています。
周りには胸を開かれた死体が4体…。
(Montículo de Acrópolis de El Baúl)
車でアクロポリスに近づき、更にサトウキビ畑を徒歩で横切ってアクロポリスに向かいます。 右手のセイバの木の下がアクロポリスの現在の
入口です。
(Entrada a la Acrópolis de El Baúl)
セイバの木の横に小道が上に伸びています。
(Vestigio de Patio en la Acrópolis)
上に登って北の方角を見下ろすとアクロポリスの中の広場が目の前に広がり、ここだけ人の往来があるように見えますが…。
(Monumento 3 El Dios Mundo en el Patio)
広場には石造物が残され、ここは周辺のみならず海岸地帯、グアテマラシティーを含めた高地から広く人々を集める、巡礼の地でした。
手前には香を焚いた跡が残り、石像は花や奉納物で飾られています。
(Monumento 3 El Dios Mundo)
石造物はモニュメント3、ディオス・ムンド(世界の神)で元々この場所に、つまりアクロポリスに置かれていた石造物だそうです。
現在は鼻から下が埋もれていますが、本の写真にあるように口も彫られていて、髭を生やした皺顔の老人が笑っているそうです。
(Monumento 2 Maria Tecún)
もうひとつモニュメント3に向かい合ってモニュメント2、マリア・テクンがあります。 これは近くの建造物にあったものがここへ移された
そうで、スカートを穿いており女性と考えられるようです。 ディオス・ムンドの妻とする説もありますが、セットで豊かさ、豊穣、
安全な収穫等が祈願されるようです。 花や葉巻、酒類等と共に砂糖やチョコレートが捧げられるそうで、実際石像の上の白い粉は砂糖でした。
サトウキビ畑に取り残されたモニュメント4 と違い、アクロポリスの土塁の中なので、周りのサトウキビが生い茂っても行けると思いますが、
地元の人の案内が必要でしょうか。
(Montículo de Estructura 21 al sur de Acrópolis))
これは振り返ってアクロポリスの南側で、正面は建造物 21 の土塁のようです。 ここからは下の方で紹介しますが、モニュメント1、エレラの
石碑、モニュメント14、ジャガー像、モニュメント27、拳闘士、等々、エル・バウルで最も代表的な石像物が発見されており、エル・バウル
でも重要な場所だったようです。
(Puente de Thompson)
アクロポリスから直線で 300m位北西にかかる橋、乾季で水が無いので降りて横から覗いてみました。
これはマヤの時代に作られた橋で、
1940年代に調査に当たっていたイギリス人考古学者エリック・トンプソンに因んで、トンプソン橋と名付けられているそうです。
(Mapa del sitio arqueológico de Cotzumalguapa)
地図で確認しておきましょう。 北からエル・バウル、エル・カスティーヨ、ビルバオで、黄色い太線が幹線道路、黒く塗られた部分が
市街地になり、エル・バウルの南に広がる市街地がマヤ・コロニーです。
(Letrero de Colonia Maya)
マヤ・コロニーの西側の道路を南下して幹線道路にぶつかった所に、写真の 「ようこそ マヤ・コロニーへ」 の看板があります。
遺跡の上に住宅地を作っておいて ようこそマヤ・コロニーもないものですが。
コツマルグアパでの建造物は河原石を敷き詰めたどちらかと言うと簡易な造りで、ペテン地方のように精巧に切り出した石灰石を積み上げた
ピラミッドと異なりますが、それにしても上に住宅を作ってしまっては破壊も然ること乍ら、これからの発掘調査もままならなくなります。
(Camión de carga que transporta caña de azúcar)
コツマルグアパの主要産業はサトウキビを材料にした製糖業で、幹線道路には材料のサトウキビを満載したトラックがひっきりなしに
行き来します。 トラックの向こうに写っている金網が現在のエル・バウル製糖所の入口だったと思いますが、製糖所の廃工場を利用した
エル・バウル博物館の入口は更に北になります。
(Museo de El Baúl)
20世紀初めから地上に現れた石造物を製糖工場に収容し、その後農作業で発見される石造物や40年代のトンプソンの調査で
見つかったものを加えて収蔵品は徐々に増加、90年代のマヤ・コロニー建設では更に多くの新しい石造物が博物館の収蔵品に
加わり、今日の博物館になっているそうです。 収蔵品は写真にあるように屋根の下に保管、展示されており、屋根の下を
ざっと見渡してみると以下の如くです。
(Monumento 69 Jaguar Iguana)
ここから展示物を個別に見ていきます。 これはモニュメント69で、20トン以上の巨石に神話上の動物、ジャガー・イグアナ
(イグアナの体にジャガーの頭部を持つ) が刻まれています。
(Monumento 58 Cocodrilo)
これはマヤ・コロニー建設の際に見いだされた石造物で、6のワニが彫られているそうです。
(Monumento 78 El Gran Esqueleto)
2011年にマヤ・コロニーの排水工事で見つかったモニュメント78には岩の形の中に1体分の骸骨が彫り込まれています。
(Monumento )
これはモニュメント番号が不明で説明もなく、比較的新しい発掘品かもしれません。 1体の骸骨と数を表す丸い点が刻まれます。
(Monumento 46 El Insecto)
モニュメント46は昆虫と題されていますが、尖った嘴に、細長い手足と、背中には二つの小さな羽があります。
(Monumento 30 Escalón)
モニュメント30は階段に掘られた彫刻ですが、二人の人物が向かい合って会話しており、口からは植物の蔓が出ています。 左の人物は
羽毛の生えたヘビの頭飾りを付けているそうです。
(Monumento 56 Señora 12 Zopilote) (Monumento 36 Animal con Inscripción)
左のモニュメント56には左側に丸が12個とハゲタカが彫られていて、右側の女性の名前が12ハゲタカだと考えられるようです。
12を棒二本と点二個で表す一般的なマヤの記譜法とは異なります。
右はモニュメント36で、動物の鼻から水か血が出ていて、9とトラロックの記号が添えられているそうです。
(Monumento 1 Estela Herrera)
さてこれは 1925年に発見されたエル・バウルで最も有名なモニュメント、石碑エレラです。 コツマルグアパは650年から950年にかけて
繁栄し、最繁栄期は800年から900年にかけてで、多くの石造物はこの時代のものですが、この石碑は先古典期後期の古いもので、
他の石造物とは様式が全く異なります。
右側に王と思われる人物が横向きに立ち、背後の絡み合った柱が上に伸びてその渦の中から先祖とみられる人物が顔を覗かせて王を
見下ろしています。 重要なのは西暦36年と読み解かれる左側の日付で、石碑に刻まれた日付としてはマヤで最も古いものになるそうです。
(より古い石碑は存在するものの、36年より古い日付が刻まれたものは見つかっていない。)
左側の日付ですが、一番上に”12 歯" と神聖暦(260暦)の日付が確認され、その下にある7バクトゥンから始まる長期暦は
かなり不完全で虫食い算になりますが、12 歯に当たる日付を重ね合わせると長期暦で 7.19.15.7.12 となり、西暦36年という事に
なるようです。 彫刻や文字の様式からカミナルフユやタカリクアバフ、或はイサパ等と同時代のものと考えられ、36年は懐古的に
刻まれたのではなく、この時代の石碑と考えてよいようです。
(Monumento 21 Cabeza de Reptil) (Monumento 4 Cangrejo, PALO VERDE)
左はモニュメント21、爬虫類の頭で、アクロポリスの建造物6の階段の両側に同じものが飾られていました。 右はエル・バウルではなく、
12Km 北のパロ・ベルデというコツマルグアパの従属都市からのモニュメント4で、ハサミを持ったカニが彫られています。
(Monumento 15 Escalón con Inscripción)
これはモニュメント21と同様、アクロポリスの建造物6の階段を飾ったモニュメント15で、4のトラロックを表します。
(Monumento 22 y 23 Escalones Labrados)
これも同じくアクロポリス建造物6の階段から、モニュメント22と23で、共に下あごのない爬虫類が刻まれています。
(Monumento 29 Recipiente) (Monumento )
左はモニュメント29で、容器と説明があります。 右は木製のパレットに乗ったままのヘビの頭と思われる彫刻ですが、最近の
発掘物なのか説明書きがありませんでした。
(Monumento 13 Cabeza Colosal) (Monumento 52 y 53 Cabezas Humanas) (Monumento 57 Piernas)
左のモニュメント13、巨顔はかなり風化が進んでいますが、エル・バウルのアクロポリスに残されたモニュメント3、世界の神と
同じようなに、笑う老人が彫られていたものと思われます。
右の写真の左右はモニュメント52と53の人頭、中央のモニュメント57の脚とあるのは、細身の人物像で脚、手、一部の衣装以外は
未完です。
(Monumento 5 Personaje Sentado) (Monumento 63 Retrato de Gobernante)
左のモニュメント5、座像はコツマルグアパの貴族の肖像と思われます。 右のモニュメント63は王の肖像とされますが、優雅な顔立ちから
女性だと言う解釈もあるようです。
(Monumento 27 Luchadores enmascarados)
モニュメント27、マスクを付けた拳闘士たちもコツマルグアパを代表する石造物で、各地でその複製が見られます。
古くは球戯が表現されていると考えられてきましたが、最近はこの時代、球戯の他にボクシングが戦われていて、この石碑では分厚い防具の面と
手袋をつけ、球形のものを直接相手に叩きつけるボクシングの様子がはっきりと描かれています。 勝ち誇った勝者は横たわる敗者に
唾か血を吐きかけ、雲間から女神が現れて賞品を差出し、左側の2のハゲタカの記号は勝者の名前で、石碑下段の手を組んだ6人は
球戯が行われた場所を表すとも考えられるようです。
(Monumento 12 Retrato de Gobernante) (Monumento 55 Hombre de Perfil)
左は上の方のモニュメント63と共にアクロポリスの建造物21の南で発見された王の肖像です。 右のモニュメント55、横向きの人は
チュニックとスカートを身に着け長い髪をした人物が彫られており、モニュメント54と対で街の入口を飾ったものですが、男性
でしょうか、それとも女性?
(Monumento 70 y 71 Hombres Coyote)
モニュメント70と71は、鼻面と耳がコヨーテで顔が人間の石像で、球戯場で使われていたもののようです。
(Monumento 50 Petate de Serpiente) (Monumento 43 Cabeza con Tocado)
モニュメント50、ヘビのゴザは、二人の女性が支える二匹のヘビがゴザ目を織りなし、ゴザの中から人が顔を出す構図で、マヤではゴザは
王権の象徴であり、中央は王だと思われます。 右のモニュメント43はかなり風化が進んで細部が確認できませんが、王の肖像だった
ようです。
(Monumento 54 Jaguar Iguana)
モニュメント54は上の方のモニュメント69と同じジャガー・イグアナで、対になる55と共にエル・バウルの南の街道の入口
を飾っていたそうです。 モニュメント69も近くにあったようです。
(Monumento 41 Torso humano muy fragmentado) (Monumento 11 Cabeza de Mono)
モニュメント41は大分崩れていますが上半身の石像で、右のサルの頭部のモニュメント11には背景に花と数字が彫られているようです。
(Monumento 44 Cabeza de Reptil) (Monumento 24 Cabeza de Serpiente)
神話上の動物はコツマルグアパでよく取り上げられるテーマで、モニュメント44は爬虫類の頭部、24もヘビの頭部の彫刻です。
(Monumento 18 Dios Maniquí de la Muerte)
ここからコツマルグアパで特徴的な死の神マニキの石彫りが続きます。 これはモニュメント18でエル・バウルに繋がる街道のアクセスに
水平に埋め込まれていました。 死の神は背丈が低くマネキン(マニキ)とあだ名され、骸骨顔にふさふさした髪の毛を持ち、独特な
被り物と円錐形の角のような突起が特徴です。
(Monumento 67 Dios Maniquí de la Muerte)
(Monumento 68 Dios Maniquí de la Muerte)
モニュメント67と68も同じく死の神マニキで、エル・バウルの北の街道の舗装に埋め込まれていました。 死の神は4 と関連付けられ、
丸を四つ伴う事が多いようです。
(Monumento 16 Dios Maniquí de la Muerte, EL CASTILLO)
これはエル・カスティーヨのモニュメント16で、エル・バウルと繋がる街道のアクセスに埋め込まれていたもので、丸四つで死の神
を表します。
(Monumento 34 Dios Maniquí de la Muerte)
モニュメント34も同様に死の神マニキで、一見してそれと分かりますが、死の神を道路の舗装に埋め込むのはどういう理由からだった
でしょうか?
(Monumento 10 Cráneo con Serpiente)
死はコツマルグアパで度々取り上げられるテーマで、彫刻では骸骨で表されます。 モニュメント10の骸骨では鼻の穴からヘビが
出現しています。
(Monumento 25 Personajes con Brazos Cruzados)
モニュメント25は二人の人が胸の前で手を組んだ図柄が表され、葬室を飾ったもののようです。
(Monumento 31 Torso con Brazos Cruzados) (Monumento 39 Cráneo)
モニュメント13は頭がありませんが、25と同様に胸の前で手を組んでいて、葬送に関係したものと思われます。 モニュメント33
では頭蓋骨が立体的に表現されています。
(Monumento 37 Cráneo) (Monumento 28 Esqueletos)
モニュメント37は同様に頭蓋骨で、モニュメント28の石碑では骸骨が2体背中合わせに彫られています。
(Monumento 33 Cabeza de Pez) (Monumento 72 Mono)
神話上のものも含めて動物もコツマルグアパの彫刻では多く取り上げられるテーマで、左のモニュメント33は横を向いた魚、右の
モニュメント72は前を向いたサルの顔が彫られています。
(Monumento 26 Animal Sobrenatural)
モニュメント26では ヘビの頭に鉤爪のある足とガラガラヘビの尻尾をもつ超自然の動物が表されています。
(Monumento 38 Dios Maniquí de la Muerte) (Monumento 35 Boxeador)
モニュメント38は風化が進みますが頭の左右に伸びた円錐形の角のようなものから、死の神マニキとわかります。 モニュメント35は
目と口を覗かせる仮面をつけた人で、剣闘士と考えられます。
(Monumento 14 Dios Maniquí, EL CASTILLO) (Monumento 45 y 66 Cabeza con Boca Abierta)
(Monumento 16 Cabeza con Boca Abierta)
沢山ある石造物の展示ももう少しです。 建造物21の南の中庭から、口を開けた頭が彫られた石造物が11本見つかっており、後ろに付けられた
突起物から壁面に埋め込まれた建物飾りだったようですが、この内7本が博物館に展示されていました。 モニュメント45,46、16
はその内の3本です。
エル・カスティーヨのモニュメント14は同様に後部に突起があり建物装飾のようですが、死の神マニキが彫られています。
(Monumento 14 El Gran Jaguar)
これはコツマルグアパ石造芸術の傑作とされる、大ジャガー立像。 口を開いて犬のように二本足立ちする様子は獰猛さと魅惑を兼ね備え、
博物館を訪れる人たちを歓迎してくれます。
動物に首飾りとリボンをつけ、局部を強調するのは古典期後期コツマルグアパ様式の特徴で、
7世紀以降の石造物と考えられるようです。 どういう意味合いを持った像だったのか不明ですが、出所は石碑エレラや拳闘士が彫られた石碑と
同じく、建造物21だそうです。
(Monumento 47 y 46 Cabeza con Boca Abierta) (Monumento 9 Coyote, EL CASTILLO)
(Monumento 49 y 48 Cabeza con Boca Abierta)
大ジャガーの立像を挟んで左側に、口を開けた頭の建物飾りが更に4本展示されます。 モニュメント46,47,48,49です。
エル・カスティーヨのモニュメント9は同様の建物飾りで彫られているのはコヨーテのようです。
(Monumento 8 Cangrejo)
最後にモニュメント8、階段の蹴込みに彫られたカニです。 マヤではカニの彫刻はあまり一般的ではありませんが、コツマルグアパでは
よく見られるモチーフのようです。
(Antiguo ingenio El Baúl)
石造物の博物館の南側にある製糖工場の廃屋。 これも博物館の一部のようですが、マヤ遺跡ではないので、このページはここまで。
(Locomotoras que transportaba caña de azúcar)
最後に廃工場の時代、20世紀前半に製糖所で活躍していた蒸気機関車が保存されていたので、写真だけ紹介しておきます。
コツマルグアパのエル・バウルは以上ですが、引き続き
ビルバオの遺跡と博物館 を訪問したので、ページを改めて更にコツマルグアパ
の理解を深めていきます。