エル・ティグレはカンペチェ州ですが、グアテマラ国境及びタバスコ州との州境に近く、最南部です。 カンデラリア川流域で、ペテン地域
からカリブ海湾岸地域へ抜ける交易路にあたり、先古典期から繁栄した遺跡には 巨大な漆喰の仮面も残されます。
スペインによるアステカ帝国征服後、エルナン・コルテスがホンジュラス遠征
に向かう途中に立ち寄り、同行していたアステカ王 クアウテモックを処刑したのがイツァムナック近郊 (現在のエル・ティグレ) と言われ、以前から
気になる遺跡でした。 クアウテモックの殺害は 1525年 2月の事です。
近くには川と同名のカンデラリアという小さな町があるだけで、周辺には他にこれと言って見るべきものもなく、チカナからヴィリャエルモサへの
移動途中に寄ってみました。
(訪問日 2013年1月16日)
途中に寄ったと言ってもチカナからカンデラリアまでは 235Km、更にエル・ティグレまで 50Km 近く、チカナを出て遺跡まで
合計 285Km あり、休憩なしで走っても3時間位かかります。 また遺跡を見た後にビリャエルモサへ行きますが、 320Km、3時間以上の行程で、
この日は一日中車に乗りっ放し、エル・ティグレ見学、大変です。
(Entrada al sitio arqueológico de El Tigre)
長時間のドライブの後、何とか辿り着いて、まず一安心。 写真は駐車場から遺跡の入り口に伸びる一本道で綺麗に整備されています。
(Area de entrada)
現在はエル・ティグレの名前で呼ばれますが、古くはイツァムカナック (トカゲとヘビの家) と呼ばれ、後古典期にはアカラン地域の首都でした。
スペイン人による征服後 住民は強制的に移住させられて無人になり、再発見は19世紀の中頃になるようですが、発掘修復は 1997年からで、訪問
できる遺跡としては比較的新しいものになります。
(Gran Plaza)
入場料の支払いを済ませ、細道を進んでいくと遺跡が見えてきます。 こんな辺鄙な所まで来る人は殆ど居ませんから、遺跡には他に誰も
いませんが、管理人が常駐しているので安心です。 写真中央にサクベが見え、右が建造物1の正面階段、左は建造物5の球戯場です。
(Gran Plaza y Estructura 1)
建造物1 の前は広場が整備されています。 川沿いにある熱帯の平原ですから、ほったらかしにしておくと直ぐにジャングルになってしまいます。
発掘・整備後 きちんと管理されているのでしょう。
(Vista aérea de El Tigre)
空から周辺の状況を見てみました。 遺跡は下の方に四角で囲んだ部分で、遺跡の北にはカンデラリア川が蛇行し、川岸にエル・ティグレ村が
あります。 資料によるとカンデラリアからボートでエル・ティグレ村経由遺跡に来るルートもあるようですが、川岸から遺跡まで 1km 以上
徒歩になるのでしょうか?
(Vista aérea con mapa reconstruida del sitio)
Google Earth の画像は解像度が高く、発掘された建造物が確認できます。 ミニガイドの遺跡の見取り図を重ね合わせ、建造物番号を書き加え
てみました。 建造物 2 と 3 も発掘調査されていますが、現在はまた緑に覆われていて、見学コースは建造物 1、5、4 になるようです。
<建造物 1 Estructura 1>
建造物1 から見ていきますが、まず簡単にエル・ティグレの歴史に触れておきましょう。
先古典期後期に既に繁栄期に入っていたエル・ティグレは他の多くの先古典期のマヤセンター同様 古典期に入る頃一度衰退したようです。 古典期に
栄えた多くのマヤセンターが古典期終末期の古典期マヤ崩壊で姿を消していく中、エル・ティグレは古典期後期後半以降再び復興し、古典期終末期、
後古典期前期にかけ 第二の繁栄期を迎えます。 そしてその後 地域の中心としての地位を保ちつつ マヤの終焉を迎えたと考えられます。
1557年になると住人はスペイン人により強制移住を余儀なくされ、エル・ティグレは無人に…。
(Escalinata central de Estructura 1)
建造物1 は南北 150m、東西 135m、高さ 8m の大きな基壇とその上に築かれた建造物群からなり、北側が正面で、写真の大きな階段が設け
られています。
エル・ティグレで現在修復されている建造物の多くは先古典期後期から原古典期にかけて 200BC-200AD 頃に作られ、建造物1 もこの
時期に作られたようです。 この時代 建物の高さは既に 25m に達していたそうです。
(Escalinata central)
建造物1 の北側中央階段です。 先古典期に最初に作られた建造物ですが、その後第二の繁栄期に改築、増築が行われ、後古典期にも少し
手が入れられているようで、この階段がいつの時代のものになるのか?
(Escalinata del lado oeste y plataforma 1B)
中央の幅広の階段の右(西側)にも階段があり、基壇上に築かれた建造物(1B)に繋がっています。 多分左右対称に左側にも階段があったでしょうか。
発見されている漆喰の仮面の位置からすると、この階段と建造物は古い時代のものと思います。
(Esquina noreste de parte superior de gran basamento)
中央階段を登り基壇の上にあがりました。 写真は基壇の北東角から南の方ですが、写真左の北東角で人工物が取り付けられた建物は右上の
写真にある建物と左右対称の位置にあり、ここに発掘された漆喰の仮面が保護されていて、先古典期後期から原古典期のものになりそうです。
(Plataforma 1C sub techada para protegir los mascarones)
保護の屋根が付けられた部分は 1C-sub と呼ばれ、建造物1 の建物 1C の地下建造物という事になります。 右は屋根の下の仮面で、
中央の階段の左右に仮面が取り付けられ、右が仮面1、左が仮面2 と呼ばれます。
(Mascarón 1)
これが右の仮面1。 神か祖先の顔が表されていて、仮面という言い方は適当でないかもしれませんが、便宜的に仮面としておきます。
左の仮面よりこちらの方が顔の部分の保存状態が良く、目、鼻、口が明瞭です。
(Mascarón 2)
こちらは左の仮面2 で、顔の部分はかなり崩れていますが、頭飾りと耳飾りはこちらの方が良い状態で残されます。 頭飾りの右側
(写真右) にはまだ赤い彩色が認められ、当時は赤、クリーム、黒などで塗られていたそうです。
(Templo principal de Estructura 1)
北側の中央階段を登ると基壇奥(南)に聳えるのが建造物1 の主神殿で、高さが 23m とされます。 この主神殿の中央階段基部左側(東)
にも屋根が取り付けられ、もうひとつ漆喰の巨大仮面があります。
(Mascarón 3)
高さが 4m、両耳飾りを含めた幅は 7m にもなる巨大な仮面で、仮面3 と呼ばれます。 ミニガイドの説明によると、イグアナ-ワニの
形をした人物が描かれ、左右の大きな耳飾りからはヘビが伸び、上部には二人の人が認められ上と下を見ていて、下部には植物を
模った模様がある…、というような説明されますが、実物を見てもなかなか理解が難しそうです。
(Mascarón 3)
仮面3 の正面と右側です。 仮面3 はマヤの創造神、最高神のイツァムナであるという説明もありますが、解釈はどうあれ、類似したものが
マヤの各地に見られるのは興味深い事実です。 グアテマラでは
エル・
ミラドール や
ティカル、ベリーズでも
セロス や
ラマナイ、
ユカタンでも
アカンケー 等、各地で良く似た巨大な漆喰仮面が見ら
れますが、年号の記された古典期の石碑と違って時代を特定する手がかりの少ない仮面からの歴史解読は容易ではありません。
(Plataforma 1A)
仮面はこの辺にして、建造物1 の他の部分を見てみます。 建造物1 の大きな基壇の西側中程に写真の建物 1A があり、これは
直径 16m 程のマヤではあまり見慣れない円形の構造物で、入口が東を向いています。 ユカタン州のウシュマルやヤシュナに類似の円形の
構造物がありますが、どういう用途だったのでしょう。 後古典期のメキシコ中央高原では風の神エーカトゥルを祀った円形のピラミッドが
みられますが…。
(Templo principal)
これは仮面3 があった建造物1 の主神殿を、円形の 1A から撮った写真です。 主神殿も増改築が繰り返された結果、先古典期、古典期終末期、
後古典期と3つの異なる建造時期が確認されるようです。
(Vista hacia noroeste, desde cúspide de templo principal)
主神殿の上まで登りました。 北西方向に 1A、1B が見え、地平線の少し手前にはカンデラリア川の水面が光って見えます。
(Vista hacia noreste, desde cúspide de templo principal)
北東方向に目を転じると、仮面3 の屋根とその右に住居跡があり、地平線上には石の建造物が見えます。
(Templo principal de Estructura 4, vista desde Estructura 1)
ズームしてみました。 緑の中から顔を出すこれ、建造物4 になるようです。 行ってみましょう。
<建造物 5 球戯場 Estructura 5>
(Estructura 5 o Judgo de Pelota)
建造物1 から広場に降りて建造物4 を目指します。 途中 球戯場や住居跡があり、これは建造物5 とされる球戯場です。 いつの時代
に作られた球戯場なのか、単純な形態からして先古典期からのもののように見えますが、資料を探してもわかりませんでした。
(Palacio habitacional)
球戯場の奥に更に住居跡のようなものが修復されています。 そして後ろに横長の土塁もありますが、後で考えるとこれが建造物3 だったようです。
修復されていないので通り過ぎてしまいました。
<建造物4 Estructura 4>
(Camino hacia Estructura 4)
球戯場の南側にあるサクベを通って建造物4 へ向かいます。 建造物1 の東側は金網があり私有地になっていて、建造物3 と建造物4 の
間を通って建造物4 の西側正面へでます。
(Lado oeste de Estructura 4)
これが建造物4 の正面です。 建造物4 については資料が極めて希薄で、頼りのミニガイドも基壇のサイズは触れても高さや他の詳細については
あまり参考になる説明がありません。 建造物1 同様、大きな基壇上に建物が並べられており、基壇は東西に 200m、南北は 200m を超えると言う事ですが、
それ以外は下のラフスケッチと見比べて貰う他ありません。
手前の幅広の階段が基壇を登る階段で、その先に見えているより急な階段が正面のピラミッド神殿のものになるようです。 ピラミッド神殿の左右
(南北)は整備されていないので、横から背後に回り込むことが出来ません。
(Escalinata central)
兎に角ここはもう登るしかありません、幅の狭い階段を頂上目指して…。
(Vista desde cúspide de Estructura 4)
頂上まで登るとさっきまで居た建造物1 が南西方向に見え(写真左)、西側正面には建造物2 と思われる小山が聳えます(写真右)。 手前の緑
の中が建造物3 だと思います。 (ビデオからの切り出しで不鮮明ですが。)
(Plataformas en la parte norte de Estructura 4)
上のスケッチでわかるように、正面の主神殿の周りにはいろいろな形をした建物が不規則に配置されており、これは神殿の左側(北方向)を
見下ろしたところです。
(Plataformas en la parte noreste)
これは基壇の北東方向で、四方に階段の付いた小さな基壇や、矩形に円形が組み合わされた建物があります。
(Plataformas en oeste y sur)
これは基壇の東の方向と南側。 全て基壇上にあるものと思いますが、森に囲まれていて何処までが基壇かわかりません。 基壇上の広場まで降りて
みようと側面から背後に回りましたが、途中で断念しました。 段差を飛び降りれば行けましたが、降りたら今度は登れなくなりそうで…。
(Escalinata hacia abajo)
エル・ティグレの一般的な見学コースはこの辺り迄で、帰途に就きます。 左は神殿最上部から、右は途中から下を見下ろした所です
(Estructura 4)
最後に建造物4 の北正面をもう一度。
後で調べたところでは、建造物2 で仮面が3つ確認され、建造物1 で仮面3のペアになる仮面が中央階段の反対側で確認され、建造物4 でも主神殿裏
で仮面が2つ確認されたようです。 公開されているのは上で見た3つだけだと思いますが、この3つの仮面だけでも迫力十分、無理して寄ってみた
甲斐がありました。 今から 2000年も昔の先古典期に遡る仮面です!
エル・ティグレ遺跡を後にして一路タバスコ州の州都ビリャエルモサへ。 距離は 320Km ですが、何時間かかるでしょう?
(Río Usumacinta y Puente Usumacinta)
気がついたらカンデラリア川の写真を撮っていませんでした。 これは国道 186号でビリャヘルモサへ行く途中に渡ったウシュマシンタ川の写真です。
この辺りはウシュマシンタ川がタバスコ州とチアパス州の州境になっていて、写真右の橋はその名の通りウシュマシンタ橋。 橋の通行に 20ペソ
徴収されます。 まあカンデラリア川もおよそこんな感じかな、と言う事で…。 (^-^;
ビリャエルモサでの目的地は、改装が終わった地方考古学博物館 カルロス・ペリセル・カマラです。