マヤ遺跡探訪
CAHAL PECH
ベリーズ4日目、 ベリーズ・シティーの博物館を見学してサン・イグナシオに向いますが、12月だというのにもの凄い暑さ。 折角 ホテルまで車をチャーターしていたので、ホテルに入る前にカハル・ペチ遺跡に寄って貰いました。

カハル・ペチは時間に余裕があれば行きたいと思っていた遺跡ですが、車で移動したので時間は充分。 サン・イグナシオから歩いても 行けるようですが、この暑さ、車が正解でした。 バス移動だと時間的体力的に厳しかったかもしれません。

カハル・ペチは先古典期からの居住が確認されるようですが、繁栄期を迎えるのは古典期前期から後期にかけてで、850AD 頃 には街は放棄されたようです。

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     (訪問日 2009年12月2日)
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 (Letrero del sitio sobre la carretera principal)

マカル川に架かる鉄橋を渡るとサン・イグナシオの町。 直ぐにカハル・ペチの看板が見えてきます。 道はグアテマラ国境に向かう 幹線(西部高速)で、看板は 「ここから何マイル」 ではなく遺跡の入口を示し、丘を登るともう遺跡の駐車場です。

画像  (Visitor's Center del Cahal Pech)

ビジターセンターは 2002年に改装され、サン・イグナシオの町に隣接している事もあり、カハル・ペチを訪れる観光客も多いようです。  写真は駐車場から見たビジターセンターです。 

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 (Desde estacionamiento domina paisaje panorámica de San Ignacio)

カハル・ペチはマヤ高地のはずれで海抜 274m、ビジターセンターからはサン・イグナシオの町が見下ろせます。 35℃を越しそうな 猛暑の昼下がり、駐車場は閑散としていました。

カハル・ペチとはマヤ語で”ダニの場所”を意味し、名前のついた 50年代はこの辺りは牧場でダニが多かった為 あまり有り難く ない名前が付いたようです。 遺跡は綺麗に整備されていてもうダニはいませんが。

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遺跡にある汚れた看板を綺麗に掃除して地図代わりにしました、デジタル清掃ですが。

遺跡の存在は 1930年代には既に知られていたようですが、本格的な調査発掘は 1988年からで、本格的な解明はまだ時間を要するようです。  遺跡は7つの広場の周りに 34の建造物が築かれ、大きなピラミッド型神殿、宮殿、広場を区切る低層の建物に、球戯場が2面 ありました。

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 (Plaza B y B-2)

それでは遺跡へ。 林の小道を進んでいくと広場Bの北東角に出ます。 左側に見える土塁が建造物 B-2 という事になりますが、 未修復です。

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 (B-2, 1, 3)

建造物 B-2, 1, 3 を正面から撮った写真はありませんでしたが、これは斜め横から。 B-2, 1, 3 はひとつの複合建造物で カハル・ペチでは最も大きな建造物になるようです。

中央の B-2 からは 1969年に盗掘の後の補修で 600-700AD 頃の王墓が発見され、多くの副葬品と共に翡翠の仮面が回収されています。  仮面はベリーズ博物館にありました。

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 (B-4)

B-2, 1, 3 の奥、広場Bの南側に B-4 があり、ベリーズ人考古学者 Dr. Jaime Awe のレポート によると先古典期の建造物のようで、漆喰の壁面装飾が 復元されていました。

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 (A-2)
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B-4 隣の B-5 と広場北側の B-6, 7 は土塁のままで未修復、西側に 広場A の入口になる A-2 が一部屋根を残した形で修復されて います。 カハル・ペチというとこの入口の写真が出てくるようで、左奥の大型の土塁に見える建造物は A-1 になります。

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 (El interior de A-2)

A-2 の入口を入って天井を見上げてみます。 入口の鴨居にわたした材木が比較的新しいので修復されたものと わかりますが、綺麗に復元してあります。

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 (Plaza A y A-2)

広場A に入り A-3 から今来た A-2 方向です。 A-2 から広場に下りる階段だけ 左右に手摺り部分が取り付けられ、他の階段と様式を 異にします。 増改築が繰り返された結果でしょうが、階段は古い時代のものでしょうか?  現在修復されて目にする建造物は 古典期前期から古典期後期初めのものになるようです。

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 (Plaza A y A-1)

A-3 から正面にピラミッド神殿 A-1 があり、高さが 23.5m になるようです。 A-1 は北側に広場に降りる階段があり、こちらが 正面かと思いましたが…。

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 (Reconstrucción ilustrada en el folleto oficial)

カハル・ペチの公式パンフにあるイラストからは A-1 は東を向いて 広場Bの B-2, 1, 3 と向かい合っているように見えます。 東面 が修復されていないので正しいところはわかりません。

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 (A-3)

同じく広場Aで、これは建造物 A-3 です。 上のイラストから石組みの屋根がついた低層の建物だったようです。

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 (A-3 y A-4)

広場A西側には A-4 がありますが、A-3 と A-4 の間には通路が口を開けていて、裏へ抜けられます。

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 (Pasillo al lado de A-4)

v これがその通路。 比較的古い様式のように見えますが、素人考えかもしれません。 通路を抜けて A-3 の裏に回ってみます。

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 (Parte trasera de A-4)

これは A-3 の背面だったと思いますが、写真のような四角い穴がありました。 排水溝なんでしょうか?

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 (A-1, esquina noroeste)

A-1 の北西角から北面を見たところですが、やはりこれは正面ではなく側面のように見えます。

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 (Plaza D)

A-1 の西側に回るとここが広場 D。 この辺りは殆ど崩れていますが、地面に”広場 D”を示すプレートが置かれていました。

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 (Parte norte de Plaza E)

広場 D から広場 E へ抜けます。 午後2時近くになり雲ひとつ無い晴天で日差しが強すぎ 写真もコントラスト過多。 そして 写真には写りませんが、体中汗びっしょり、頭は朦朧としてきました。

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 (Plaza E y E-1)
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写真は広場 E と 西側から見た建造物 E-1 です。 E-1 はかなり当時の姿を保っているように見えました。

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 (E-1)

横から見ると側壁と屋根を隔てる軒蛇腹の部分もオリジナルでしょうか?

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 (El interior de E-1)

中に入って天井を撮って見ました。 汗だくで写真も傾いてますが、あまり修復の跡が窺えません。 屋根ごと当時のままだと 素晴らしいのですが、果たして?

上述の Dr. Jaime Awe のレポートによると、A-1 は古典期後期の貴族の館との事です。

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 (Un Arco en Plaza E)

広場 E は小さいですが、E-1 から広場の北側あたりは複雑な作りになっていて、朦朧とした頭では何処がどうだったか? こんな 綺麗なマヤアーチも見られます。

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 (Escalera y pasillo)

そして階段と通路が迷路のように組み合わさっており、写真の階段を降りて通路をくぐると…。

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 (Pasillo a Plaza F)

通路の先は明るくなっていて…。

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 (A-1 desde Plaza F)

一段低くなった広場Fに降ります。 あちこちに通路が口を開けて…。 小高い土塁は A-1 の南東角。 A-1 は登ってみるべきでしたが、 車が待っているし、この先まだ何があるかわからないので先を急ぎました。 後になって考えると登るべきでした。

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 (Plaza F y F-2)

これは広場 F と 正面が建造物 F-2 です。

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 (Plaza G)

そして広場 G、あまり見るべき建造物は残っていません。

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 (Juego de Pelota en Plaza C)

そのまま未修復の土塁を幾つも通り過ぎて、広場Cに行き着きました。 強い日差しの為、光と影のまだら模様ですが、 これは北側から見た球戯場になります。 地図には広場Aの西側にもうひとつ球戯場がありますが、こちらは未整備のままです。

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 (B-2 y al fondo A-2)

そして広場C の北西角、7つの広場を B, A, D, E, F, G, C の順に回って振り出しに戻りました。 B-2 の裏から右奥に A-2 入口の開口部が小さく見えます。

vvv カハル・ペチ探索は以上ですが、以下 ビジター・センター内の博物館の展示です。


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 (Reaparicion de la tumba, en Visitor's Center)

墳墓の様子が再現されていましたが、1969年に発見されたと言う B-1 のものでしょうか。 遺骨はかなり完全な形で、多彩色土器 の断片もベリーズの博物館にあったカハル・ペチの土器と同じ色合いでした。 B-1 のものとすると、ここに翡翠の仮面があった ことになりますが。

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 (Incensarios de época clasica terminal)

ビジター・センター内の展示はあまり目ぼしい物はありませんが、大型の香炉が目を引きました。 古典期終末期と説明書きに あり、カハル・ペチが放棄された頃のものになります。

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 (Una estela muy erosionada)

カハル・ペチでは5本の石碑が確認され、マヤ低地では最も古い石碑になるそうですが、かなり崩壊の進んだ石碑が1本展示されて いました。 ここから史実を読み取るのは無理でしょうね。



明日はいよいよベリーズ5日目。 念願の カラコル遺跡 訪問です。


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