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CALENDARIO MAYAS     マ ヤ の 暦
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     ( 2008年7月6日をマヤ文字を使って表してみました。)

古典期に完成したと言われるマヤ暦は、長期暦にツォルキン暦とハアブ暦、更に月の満ち欠けの情報を加えて、石碑の碑文等に イニシャル・シリーズとして刻まれました。

初めて聞く人には「そりゃ何だ?」という事になると思いますが、マヤの暦、なかなか複雑で、全てのマヤ人が正確に理解していたとも 思えません。

写真と図解で理解を試みてみましょう。
  まず基本的な暦は:

  ツォルキン (tzolkín) 暦  260日(13x20日) が1年の祭祀暦。

  ハアブ (haab) 暦     365日(18x20日+1x5日) が1年の太陽暦(に近いもの)。

  カレンダーラウンド (rueda calendárica)  ツォルキンとハアブの組合せで1周期52年。

  長期暦 (cuenta larga)   マヤで西暦にあたるもので、5桁の20進法で日を特定する。

  イニシャル・シリーズ (serie inicial)   長期暦+ツォルキン暦+ハアブ暦+月の情報。

  短期暦 (cuenta corta)   古典期終末期から使用された簡略化された暦、1周期 256年。


以上を基本知識として頭に入れてツォルキン暦から説明を進めます。

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写真は我が家のマヤ部屋の壁を飾るマヤのお土産品です。 1から13の数字と20の日を表す マヤ文字が刻まれたツォルキン暦を示す木彫りですが、どこかで発掘された石板の複製でしょうか、なかなか良く 出来ています。

ツォルキン (tzolkín) 暦
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ツォルキン暦の説明の為、木彫りを分解してみました。 1 から 13 を刻んだ歯車 (右の円) と 20 の日のマヤ文字を刻んだ歯車 (左の輪) の二つの歯車の噛み合わせと考えると判り易いです。 13 と 20 の噛み合わせで合計 260日を表す訳です。

20文字の輪は反時計回り、13数字の円は時計回りで、1 imix (1イミシュ)から始まり、2 ik (2イク)、3 akbal(3アクバル)と進み、13 ben(13ベン)の次は 数字が1となり ix と 組み合わさって1 ix(1イシュ)、2 men(2メン)…、13と20の最小公倍数の260日目に 13 aháu (13 アハウ)が来て260日の1周期が完了、再び1 imix に戻ります。
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文字表記は月を表す文字の左に数字が組合わせられ、数字は [点] がひとつで1、[棒] は5 を表します。  (13は2本棒に点が3つ。)

1年が260日周期の暦なんて一体何の役に立つのでしょう。今年の 1 imix は雨季でも来年は乾季かもしれません。 でもこの 260日暦はメゾアメリカで広く使われている暦で、オルメカやサポテカの古い時代から存在し、スペイン人到来時にも広く使われていて、 現在でも一部マヤ先住民の間で生きているそうです。 下の表に示したように、20 の日はそれぞれ意味を持ち、日常生活や様々な儀礼で いつ何をすべきか、或いは していけないのか、の判断に使われ、人の運命などにも関連付けられたようです。

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ハアブ (haab) 暦
次にハアブ暦ですが、こちらは冒頭に書いたように 1年が 365日の暦で、0 から19 の20日間と 名前のついた 18 の月の組み合わせで 360日、更に 1年の最後の不吉な日とされるワイェブ5日間を加えて、1年 365日を構成します。  正確な太陽暦では1年が 365.2422日で閏年調整を行いますが、ハアブ暦ではこの調整がない為、おおよその1年、ヴェイグ・イアー (año vago) とも呼ばれ、大体正確に季節感を表していると言えます。

ハアブ暦の基本的な仕組みは ツォルキン同様 点と棒で示される数字 とマヤ文字の月名で表され、0 pop (ゼロ ポプ)、1 pop(1 ポプ)・・・ 19 pop(19 ポプ)と進み、ポプ月が終わると 0 uo(ゼロ ウォ)、1 uo(1 ウォ)となります。 18ヶ月目のクムク月が 19 cumku (19 クムク)で終わると 不吉なワイェブに入り 0 uayeb (ゼロ ワイェブ )--- 4 uayeb(4 ワイェブ )で 1年365日が終わります。 ツォルキン暦のように月と日の両方の歯車が同時に動くのではなく、20日が経過して初めて月の名前が 変わります。
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数字が1から20だと判り易いのですが、0から19で、ゼロは実際には数字が記されず月の名前の文字の左横に新しい月が来る記号 (portador de mes) がつきます。 「予告する」とか「着座する」という意味の記号で、その月の支配に入る事を意味し、便宜的にゼロと呼ばれます。

カレンダー・ラウンド (Rueda Calendárica)
ここまで見てきたツォルキン暦とハアブ暦はそれぞれ 260日と 365日で 1年を構成する暦ですが、この二つの暦を組合わせる事に よって、18,980通りの異なる日を特定でき (260と365の最小公倍数)、ハアブ暦換算で 52年と、より長い時間の流れを記録する事が 出来ました。 これをカレンダー・ラウンドと呼び、表記はツォルキン暦とハアブ暦を並べます。
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カレンダー・ラウンドを歯車で示してみましょう。  上の図で左側の黄色とオレンジの歯車がツォルキン暦で、右側の緑の大きな歯車がハアブ暦です。 歯車の交点は 9 ahau 19 cumku で、 ハアブ暦で言う年末年始を示しています。 翌日は 10 imix 0 uayeb (portador de mes de uayeb=ゼロ ワイェブ)で、 11 ik 1 uayeb、  12 akbal 2 uayeb、 13 kan 3 uayeb、 1 chicchan 4 uayeb と続き、 6日後に 2 cimi 0 pop となって1年の初めのポプ月が始まります。  ゼロ ポプが 1年の始まりと言っても、現在のグレゴリウス暦の 1月1日にあたる訳ではなく、7月から 8月辺りに符合したようです。
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ツォルキン暦とハアブ暦を組み合せたカレンダー・ラウンドでは同じ組み合わせの日は52年後まで戻ってきません。 でも52年では歴史を 記録するにはいささか短すぎます。 明確な起点を持たない循環暦の限界です。 そこで登場するのが長期暦と言う事になります。

長期暦  (Cuenta Larga)
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長期暦はこれまで見てきた循環的な暦と異なり、西暦と同様に起点を持つ直線的な暦であり、長期にわたる歴史の記録に有用です。

仕組みは上図 (点線の左側) の通りで、月に当たる2桁目のみ18進法となる 5桁の変則20進法で、日の単位の kin(キン)が1桁目、次いで20日が 1ヶ月となる uinal(ウィナル)の単位が2桁目。 3桁目は18ヶ月で1年の tun(トゥン)、更に4桁目の20年の単位の katún(カトゥン)、 5桁目の400年単位の baktún(バクトゥン)となります。  (点線右側はライデン碑板の文字部分でこれについては下で説明します。)

バクトゥン は13迄で、長期歴は 400年 x 13 の合計 5200年 (※1) の暦になります。  5200年が終わるとまたもとに戻るので、その意味では長期暦も循環暦と言えますが、起点が定められているので直線的な暦と言って良いと思います。

(※1) 1年が360日としての5200年ですから、1年を 365.2422日で計算すると西暦の5125.3661年分に当たります。

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長期暦の表記は、頭に長期暦であることを示す導入文字が置かれ,、続いてバクトゥンからキンを表すマヤ文字に点と棒で数字が組合わせられ、 合計6個の文字マスで表されます。 マヤ文字にはいろいろなバリエーションがあり、数字も棒と点ではなく文字になる場合もあります。 下は 長期歴の一例で、2文字毎に下に送られます。
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さて問題は長期歴の起点、つまりいつ長期歴が始まったのか、です。 西暦ではキリストの生誕が起点で、マヤにとってキリストなんて無意味 ですが、西暦で生きている我々としては、長期暦の起点を西暦に比定する必要があります。 ゼロ・バクトゥン、ゼロ・カトゥン、ゼロ・トゥン、 ゼロ・ウィナル、ゼロ・キンが西暦で何時になるのか?

マヤ暦の解明は20世紀後半の事で、長期暦の起点についてまだ研究者の間で完全な一致を見ていないのですが、ここではより一般的と 思われる トンプソン説に従い紀元前3114年8月11日が起点 (第0日目) 〔 0 baktún 0 katún 0 tun 0 uinal 0 kin 4 ahau 8 cumku 〕 としておきます。 (※2)
 
 (※2) 長期暦は古典期以降一般的に使用されなくなり、『チラム・バラムの書』の「オシュクツカブ年代記」にある、
      11.16.0.0.0 13 ahau 8 xul が、ユリウス暦の 1539年11月2日にあたると言う記述が手掛かりです。
      ユリウス暦からグレゴリウス暦への変更、閏年の処理等で、起点について幾つかの異なる説が出てきます。


マヤ暦が完成したのは先古典期終末期から古典期前期と考えられますが、何故それより3000年も前に起点が求められたのか、大きな謎として 残ります。 この長期暦によれば 13バクトゥンの終了 つまり5200年後の暦の終了日 〔 13 baktún 0 katún 0 tun 0 uinal 0 kin 4 ahau  3 kankin 〕 が 2012年12月21日にあたり、マヤの終末論として騒がれました。

イニシャル・シリーズ  (serie inicial)
ツォルキン暦とハアブ暦の組合せのカレンダー・ラウンド、そして長期暦を概観したので、やっと石碑等に刻まれるイニシャル・シリーズ の説明に入れます。

イニシャル・シリーズは長期暦から始まり、暦の導入文字に次いで バクトゥン、カトゥン、トゥン、ウイナル、キンが記され、続いてツォルキンと ハアブの組合せのカレンダーラウンドがあり、これに月シリーズ等が付加されます。 月シリーズは月の満ち欠けなどを8文字で表し、長期歴や カレンダーラウンドを補完しますが、とても複雑でここでは説明しきれません。 コンパクトな説明が出来ると良いのですが。

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イニシャル・シリーズを実例に沿って見ていきましょう。 まず有名なライデン碑板です。
1864年にグアテマラのカリブ海岸で発見され ティカルからの物とされるこの碑板は、長さ 21.5cm の手斧のような形をした小さなヒスイの板で、 現在はオランダのライデン博物館所蔵となっています。 マヤ暦解明の大きな手がかりになった有名なもので、典型的なイニシャル・シリーズが 記され、日付も最も古いもののひとつであり、殆どのマヤ概説書で取り上げられます。 片面(画像左) に王の肖像が描かれ、もう片面(画像中央) にイニシャル・シリーズが刻まれます。

ライデン碑板のイニシャルシリーズを見てみましょう。 長期歴は 8.14.3.1.12、カレンダーラウンドは 1 eb 0 yaxkin で、更に小さいサイズの 文字で月シリーズが続き、西暦 320年9月16日辺りに比定されています。 長期暦の合計日数は 1,253,912日で、これを西暦換算する為に  365.2422日(太陽暦の1年)で割って、長期暦起点の 紀元前3114年8月12日にプラスすると、およそ西暦 320年9月15日となるようです。  (※2) で記したように、日付の正確な特定は難しそうですが、月シリーズの解明が進み、古代の月 の満ち欠けがカレンダーと比較出来れば正確な日付が特定できるのでしょうか?

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これは長期暦の起点が刻まれている事で有名なキリグアの石碑C東側面で、大きな導入文字に続いてその左下に 13の数字が読み取れます。 これは 13バクトゥンで、右横に 0カトゥン、下の段に移って 0トゥン、0ウィナル、更に下段左が 0キンと続きます。 次の文字の 点4つは ツォルキン暦の 4アハウで、続くハアブ暦の 8クムクの8の字も明瞭です。 更に月シリーズと続いていきます。

起点になる日付なので 0. 0. 0. 0. 0.と書かれても良いところですが、実際は画像の通り 13. 0. 0. 0. 0. となっています。 長期暦だけ だと5200年(ハアブ暦)で繰り返してしまいますが、ここにカレンダー・ラウンドが付加されている為に、この長期暦ゼロ年は 起点となる 紀元前3114年のものと確定できる事になります。 (2012年の長期暦ゼロの時は 4アハウ、3カンキンです。)



古典期の遺跡を訪問し、碑文があったらイニシャル・シリーズを探してみると面白そうです。 導入文字が目印です。 マヤ文字に習熟していなくても 点と棒で表された数字なら読めます。 石碑が刻まれるのは古典期前期から古典期後期・終末期で、400年単位のバクトゥンで言うと 8、9、10 のバクトゥンにあたるので、導入文字を探して 次の文字の数字が何か?  8 か、9 か、或いは 10 か。 数字が読めればおよその年代が わかります。

( 8 バクトゥンは 41-435年、 9 バクトゥンは 435-830年、 10 バクトゥンが 830年以降で、9 バクトゥンの石碑が最も多くなります。 )
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例えばこの キリグアの石碑 K。 大きな導入文字の次に 9 バクトゥン  18 カトゥン 15 トゥン がはっきり読み取れ、 9.18.15.0.0. で西暦 805年の石碑になります。




石碑のカレンダーに挑戦  (Ensayo)
実際遺跡訪問する際は 汗たらたらで 石碑に刻まれた文字を見ている余裕もなく、写真を撮ったら次、という感じでした、 マヤ文字が読めない事も原因でしたが。 でもこうして暦の成り立ちを見てみると少し読めそうな気がして、 写真のストックをあたってみました。

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ところがです、実際に石碑の写真をみても そんなに判りやすい石碑はありません。 マヤ文字の種類がいろいろあり、シンプルな 表記法はまだしも、頭部を使った文字(頭字体)は判別が難しく結構な知識と慣れが必要です。 また石碑もかなり風化している ものが多いので、素人の読み取りを難しくします。

難しい石碑が多い中で、写真の石板は初心者向けで、このページの仕上げの応用問題として取り上げてみました。 パレンケの葉の十字の 神殿にあったもので、遺跡併設の博物館に展示してあります。 上列左から4番目にバクトゥンの文字があり、下列左から3番目がカトゥン、 4番目がトゥン、上列に戻り右端の二つがウイナルとキンです。 マヤ文字は二つセットで上から下へ行く事が多いので、 文字を読む順序は 上列左の2文字、その下の2文字、中央に移り上列2文字、下列2文字、最後に上列右の2文字とその下の2文字 と理解しました。 以下2文字づつ読んでみます。

       画像  1 ahau 13 mac

まず最初にカレンダー・ラウンド、1アハウ 13マック、これは読みやすく、多分あっていると思います。 アハウの点は一つで 点の上下は飾りです。

       画像  0 caban ? 0 mac ?

次の2文字はカバンとマックの字がはいっているようですが、点と棒の数字がなく、0 なのでしょうか?  よくわかりません。

       画像  Glifo Introductorio ? 7 baktún

右の文字がバクトゥンで、更にカトゥン以下が続くようなので、左の文字は暦の導入文字でしょうか。 右は7バクトゥンでしょう。

       画像  14 katún 14 tun

これは14カトゥン、14トゥンでまず間違いなし。

       画像  11 uinal 7 kin

これも11ウィナル、7キンで良さそうです。

       画像  5 eb 5 kayab

最後の2文字、少し自信がありませんが、多分5エブ、5カヤブ。


何となくこの石板の文字が何だかわかったような気がしますが、イニシャル・シリーズの前にカレンダー・ラウンドが 2つもあって、一体何なんでしょう。 長期暦は 7.14.14.11.7 で、計算してみたところ この日付のカレンダー・ラウンドは  10マニック、10ソッツになり、そんな文字はこの石板には見当たりません。 どこかで読み違いしたか計算違いをしたのか。  西暦換算では、紀元前64年10月30日になります。

博物館の解説文には、農業の守護神の誕生日で紀元前2360年の日付が記されているとありましたが、これは1バクトゥンの最後の 頃になります。 バクトゥンの文字はどう見ても7バクトゥンで、紀元前64年。 どうにも整合性が取れません。 敢え無く撃沈です。

応用問題は解けたのか解けなかったのか、釈然としませんが、まずは暦の基礎知識と興味が得られたので良しとしましょう。 更に 良い例が見つかったら追って補足します。

短期暦  (Cuenta Corta)
最後に短期暦を見てみます。 古典期終末期になると長期暦にカレンダー・ラウンドを組合わせたイニシャル・シリーズは徐々に姿を消し、 長期暦を簡素化した短期暦と呼ばれる暦に取って代わられます。 

短期暦は 20年のカトゥンが基準で、カトゥン最後の日はツォルキン暦の aháu になる為、そのカトゥンが 13通りあるうちのどの aháu か を示して、トゥン、ウィナル、キンと続けます。 長期暦よりかなり簡単です。 2008年7月6日を両方の暦で記述してみると:

        長期暦  12 baktún, 19 katún, 15 tun, 8 uinal, 11 kin, 13 chuen, 14 tzec
        短期暦      katún 4 ahau, 15 tun, 8 uinal, 11 kin

例えば、「イツァー人が攻めてきたのは何時だっけ?」 「えーと、15年の8月11日だよ。」     「何時の 15年かな?」  「そー、4アハウのカトゥンだった。」  明らかに簡単です。
(短期暦、1年360日、1ヶ月20日の 会話です。)

イニシャル・シリーズが長ったらしく 1年 360日の長期暦と 1年 365日のハアブ暦の重複も実用的でない為 より簡便な 短期暦で暦の普及が計られた、そんな気もしますが、封建マヤ社会崩壊で暦を操る高位の貴族が衰退して暦の伝承が行われなくなった、 なんて理由も考えられるかもしれません。

短期暦の大きな欠点は、周期が260年(20年のカトゥンと ツォルキン暦に沿った13通りのアハウとの組合せ)と短い事で、 1年 365.2422日の西暦換算では 256年と98日で同じアハウのカトゥンが戻ってきてしまい、 短期暦の日付があっても どの 256年周期のカトゥンなのか特定が難しくなる場合がでてきます。


以上、マヤの暦を出来るだけ分かり易く説明してみましたが、これでもまだ説明し切れているとは言えません。

閏年の調整が行われなかったと言われますが、天文に優れたマヤは正確に太陽の運行を観察し、イニシャル・シリーズには月や金星の運行 も付加していましたから、種蒔きや収穫の農業の為、また春分・秋分、夏至・冬至などの祭事等、正確な暦が必要な時には何らかの調整を 行っていた筈です。

更に解明すべき点が多いと思いますが、それは学者さんにお任せしましょう。 素人には既に頭がパンク状態です。


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