マヤ遺跡探訪
SAN MIGUELITO
2012年11月にカンクン・マヤ博物館に併せて公開が始まったサン・ミゲリート遺跡です。
博物館再建の場所に遺跡の一角が選ばれ、博物館の建設に合わせて遺跡の整備が行われ、同時公開となりました。

後古典期の遺跡で規模もあまり大きくないので魅力は今一つですが、博物館を見学したら奥の遺跡へも足を伸ばしてみたらと 思います。 従来から公開されているエル・レイ遺跡が道路を挟んで南に伸びていて、別の名前になっていますが当時は同じ ひとつのマヤセンターだったようです。

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    (訪問日 2014年1月19日)
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  (Area de zona arqueológica)

涼しい博物館でマヤの遺物に触れたら、下に降りると奥に遺跡があります。 高床式の博物館から地上に降りて一番奥から 右に出ると遺跡の入り口です。

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      (Ubicación de San Miguelito)

Google Earth で位置関係を確認してみます。 上の黄色い枠内がサン・ミゲリート、下が エル・レイ で、赤で囲んだところが 博物館です。 Avenida Kukulkan (ククルカン大通り)が緩やかなS字で蛇行して遺跡を分断している 様子がわかります。 右の青い部分がカリブ海、左の緑色はニチュプテ湖です。 

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  (Mapa del sitio)

オープンして日が浅いので看板類はしっかり整備され綺麗です。 でも地図はどうして北を上にしてくれないのでしょう?

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左は Google Earth で見た遺跡部分で、右はこれに合わせて北を上にした遺跡の地図です。 北のグループから南のピラミッド まで、名称を書き加えました。 ( MAP ボタンクリックで地図が別ウィンドウで開きます。)

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  (Nueva estructura recién rescatada)

これはサン・ミゲリート遺跡全体を説明する看板で、1950年代にここにあったココナツ農園から遺跡の名前がとられている事、 15世紀マヤパン崩壊後の小国家分立の時代にはエカブに属し、エル・レイと共に 神殿、祭壇、宮殿や居住区を有して 地域の中核都市のひとつだった事、等の説明がありました。

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 (Conjunto del Norte)

それでは遺跡へ。 最初は少し北へ上がって、北のグループ (Conjunto Norte)。 木とヤシで作られた簡素な家があったようで、 石の基壇が5つ残されます。 20以上の埋葬が発見され、大半が子供であり、幼少期の死亡率が高かったことを物語るそうです。  看板にある白い仮面は、博物館に展示されていて、焼き物のごく小さいものでした。

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 (Lado trasero de Palacio Chaak)

北のグループから少し南へ下るとチャーク宮殿 (Palacio Chaak) の裏側が見えてきます。

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 (Palacio Chaak)

南向きの東西に細長い建造物で、円柱が二列に並び、平たい屋根がつけられていたようです。 左右に張り出しがあり、前面に矩形 の基壇を伴い、公共の業務や祭祀が執り行われていたと考えられるようです。

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 (Palacio Chaak)

パノラマ合成しました。 少し歪んでいますが前面に矩形の基壇が見えます。 宮殿の正面階段にはチャークと思われる小さい レリーフがあるそうですが、目立つものではなく、後で写真で確認してもわかりませんでした。

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      (Mapa antigua de Islsa de Cancún)

更に南へ向かいます。 途中 20世紀に掘られた井戸があり、説明版で水は塩分を含み飲用に適さないと書いてありますが、 古い地図が添えられていたので切り出して見ました。

カンクンは I. CANCÚN と書かれ、島になっています。 現在は島の北も南も陸続きになっていますが、マヤの時代は サン・ミゲリートが周りを海に囲まれた島に位置していた事を思い出させてくれました。

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   (Conjunto de las Dragones)

更に南へ、ドラゴンのグループ (Conjunto de los Dragones) に向かいます。 70年代の道路建設時にドラゴンのように 見える石彫りが二つ見つかった事からそう呼ばれるそうです。 と言う事は遺跡が見つかったので道路は南へ迂回させられた のでしょうか?

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   (Conjunto de las Dragones)

小さな広場の周りに宮殿風の建物、祭壇、住居など様々な形の建物が集まっていて複雑な構成ですが、なかでも目を引くのは 残された壁画です。

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  (Pintura mural encontrada)

写真の簡単な屋根が取り付けられた下に壁画がありますが、横殴りの雨には無防備でしょうね。 

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  (Detalle de la pintura mural)

上が説明板にある発見当時?の明瞭な画像で、下がその壁画の現状です。 水を表す帯の中に魚や亀が泳ぎ 想像上の動物が 描かれ、サン・ミゲリートにとって重要な海が表されますが、海に関連した儀礼が執り行われたのかもしれません。

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  (Detalle de la pintura mural)

状態のよさそうな部分を拡大してみましたが、既にかなり不明瞭になっています。 カンクンの気候を考えると壁画は 早晩消えてしまいそうです。

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  (Conjunto de las Dragones)

ドラゴンのグループの横を通って更に南へ道が続きます。

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  (Conjunto Sur)

木陰の小道を暫く行くと南のグループ (Conjunto Sur) にでます。 居住区で建物が幾つかあったようですが、修復されて 目につくのは円柱を持つ宮殿風の建物です。

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  (Conjunto Sur)

宮殿風の建物は海側を向いて東向きに建てられています。 天井は無くなっていますが、円柱が残っているので、遺跡の 看板のイラストにあるような平らな屋根が取り付けられていたようです。

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  (La Pirámide)

南のグループの南に隣接する形でピラミッド (La Pirámide) があり、サン・ミゲリートでは最も高く大きな建造物になります。

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  (La Pirámide)

ピラミッドは少なくとも3度の改築を経ていると説明されます。 正面に手すり付きの大きな階段があり、正確な高さは 書いてありませんが、エル・レイの2号建造物の3層のピラミッドは高さが 5.5m なので、エル・レイを含めてもこの ピラミッドが一番高い建造物になります。 基壇上に神殿があり、上からエル・レイ方向を見てみたかったのですが、 ロープが張ってあり登れません。 公開当初は登れたようですが…。

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  (La Pirámide)

ピラミッドはエル・レイの方向を向いて南向きに造られていて、前面に低層の建造物群をあり、エル・レイに繋がっていた ようですが、特に記録される事なく道路建設で消えていったようです。

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  (La Pirámide)

東側から見た正面階段と、背面から見たピラミッドの裏側です。 上部神殿は柱だけで天井はありませんが、背面の壁は しっかり残っているのがわかります。 遺跡の道はここで終わり、もと来た道を戻ります。



スペイン人到来以前のマヤは、1451年のマヤパン崩壊後 16-18の小国家が乱立し、北東海岸はエカブの勢力範囲だった とされ、サン・ミゲリートとエル・レイはその勢力圏に属します。 北端のカトーチェ岬にエカブがあり、シャマと 呼ばれたトゥルムの南までその勢力範囲とされますが、その実態はあまり解明されていません。 同族支配と言う 見方もあるようですが、トゥルムやコスメル等とどんな交流があったのか、想像が膨らみます。



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