マヤ遺跡探訪
COZUMEL  PART I
コスメルは南北 68Km、東西 15Km のユカタン地方最大の島で、現在はメキシコ有数のリゾート地ですが、後古典期にはマヤ人の交易と 信仰の中心地として栄え、スペイン人によるメキシコ征服には基地としての役割を果たしました。  マヤ遺跡は島の中央北寄りのサン ヘルバシオ遺跡の他、島の各地に点在します。

コスメルへは飛行機で直接入る事もできますが、対岸のプラヤ デル カルメンから高速船で40分で着きますから、半島側の他の遺跡も まわるなら船旅がお薦めです。 地図の下の派手な写真の左上はコスメル行きの高速船、中央上はその船尾です。

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   (訪問日 2003年5月24日、6月19日)
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 (Cozumel, punto de recreo en bella naturaleza)

オムニバス風の写真を創ってみました。 半島から 18Km 離れたカリブ海に浮かぶコスメル島。 美しい自然と透きとおった海は沢山 の観光客を集めます。

写真右上はアメリカ方面からのクルーザーで、一隻で3000人近くの観光客を運んできます。 港には同型の船が何隻も停泊していま した。

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コスメルはスキューバダイビングのメッカでもありますが、興味は専ら遺跡に有るので、早速遺跡の探索に 出かけます。 1部でサン・ヘルバシオ遺跡、その他の遺跡を2部で紹介していきます。

まずはサン・ヘルバシオの地図、現地で入手したパンフレットからスキャンしました。 正確な位置関係は下の Google earth の 通りですが、建造物間の距離が記載してあるので助かりました。

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 (Vista aérea por Google earth)



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 (Entrada al sitio alqueológico de San Gervacio)

サン・ヘルバシオ遺跡の入口です、さすが観光地の遺跡で綺麗に整備されています。 でもコスメルへの観光客の 殆どは海辺で、ここを訪れる人はまばらです。

コスメルは 1518年にフアン・デ・グリハルバの率いる第二回遠征隊が発見、上陸し、サンタ・クルス(聖なる十字)島として領有 を宣します。 メキシコで最初のミサが行われたのもコスメルで、その後スペイン人のユカタン征服の基地として重要な位置を 占める事になります。

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 (Camino hacia sitio alqueológico)

グリハルバのコスメル上陸は平和裏に行われ、1527年には正式にユカタン征服の任を帯びたフランシスコ・デ・モンテホ総督も上陸、時の王 アー・ナウム・パットゥに迎え入れられたとの事で、コスメルでは血なまぐさい戦闘はなかったようです。

歴史はこの辺にして、遺跡へ進みましょう。 入口を通過すると遺跡が見えてきます。

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 (Estructura "Manitas")

遺跡で最初に目にするのがこのマニータス Manitas(ちいさな手)で、壁に手形が押されている事からそう呼ばれます。  ふたつの部屋からなる建造物ですが、現地で貰ったパンフにはイッツァ族のアー・フルネブの家と考えられる、とありました。

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 (Huellas de Manitas estampadas en la pared)

ところどころ彩色した跡が残る中、赤く押された手形が幾つも確認されます。 後古典期末期の建造物との事です。

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 (Sacbeob extendido hacia Plaza Central)

マニータスから中央広場 Plaza Central へサクベ(マヤの白い道)が伸びていて、サクベの先に中央広場の建造物群が見えてきます が、手前の小道を右に曲がってアーチの方向へ先に行ってみます。

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 (Sacbeob extendido desde Plaza Central hacia El Arco)

アーチが見えてきました。 このアーチ El Arco は中央広場への正式な入り口で  (この方向からは出口ですが)、 道は更に海岸まで繋がっていたようです。

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 (Otro lado de El Arco, Entrada a Plaza Central)

これが東側から見たアーチ、中央広場の入り口です。 後古典期後期(1300-1550年)の建造で、 サクベには石が敷き詰められています。 グリハルバ や モンテホ もここを通って行ったのでしょうか。 

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 (Estructura "Nohoch Nah")

アーチから更に北東に250m位行くとノホック・ナー Nohoch Nah に出ます。 中央広場からのサクベ上にありますが、現在は サクベはここで途切れて先は密林です。
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 (Pintura que queda sobre la entrada)

ノホック・ナーの内部には祭壇があり、建物外側は漆喰が塗られて赤、青、黄土色で彩色されていました。 今でも 彩色は一部残ります。
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 (Estructura "Nohoch Nah")

Nohoch Nah は大きな家の意味ですが、基壇の上に建物がひとつだけ、ちいさな家です。 古典期後期末に作られ、後古典期 後期に修正されたようで東海岸様式の建物です。

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 (Sacbeob entre Nohoch Nah y Murciélagos)

ムルシエラゴス Murciélagos(コウモリ)へ向かいます。 サクベの石畳は一部残りますが、密林がだんだん深くなってきます。

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 (Grupo Murciélagos)

ムルシエラゴスは古典期後期(600-900AD)建造のサン・ヘルバシオで一番古い場所で、権力者が住む街の中心でした。 後古典期には 中心が中央広場の方に移りましたが、グループ自体は引き続き維持されたようです。

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 (Estructura "Murciélagos")

コウモリという名称ですが、単にコウモリが沢山住んでいたことによります。 ペルーで 金が見つかりスペイン人のユカタンへの関心が薄まって、コスメルは殆ど無人になりますが、海賊とコウモリには 天国だったようです。

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 ("Pet Nah" en el Grupo Murciélagos)

ムルシエラゴのグループにある二層の丸いピラミッド、ペット・ナー Pet Nah です。   中心が中央広場に移った後の後古典期後期の建造です。

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 (Camino desde Murciélagos a Plaza Central)

中央広場の方向へ向かいます。 道は少し広くなりましたが、小高い木々で周りが見通せません。

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 (Grupo de Plaza Central)

中央広場はムルシエラゴスから200m位で直ぐですが、実際はかんかん照りの太陽の下、汗だくです。
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 (Señal que indica Kan'na Nah)

中央広場の端にカナ・ナーへの矢印がありますが、障害物で良く見えません。  500mと書いてある筈です。 中央広場を迂回して先にカナ・ナーを見てみます。
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 (Estructura Kan'na Nah)

サクベの正面に大きめの建造物が見えてきます。 ここまで足を伸ばす観光客は少なそうで、誰もいませんでした。

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 (Estructura Kan'na Nah)

カナ・ナー Ka'na Nah (高い家)、名前の通りサン・ヘルバシオでは一番高い建造物です。  四層のピラミッドで、上部には神殿があり、女神イシュチェルを祭った神殿だそうです。

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 (Estructura Kan'na Nah)

東側に階段が取り付けられ、上部の神殿には四方に入口があります。 神殿は全面に彩色が施されていたそうですが、 写真で見る限り彩色の痕跡はありませんでした。 マヤの時代、女神イシュチェル詣での多くの巡礼者がコスメルを 訪れたそうです。

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 (Plaza Central, vista desde este)

最後に中央広場 Plaza Central です。 カナ・ナーから戻ると広場の西側は逆光になるので、一度広場を 通り過ぎて東側から広場を見てみました。

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 (Plaza Central)

中央広場には広場を囲む形で10の建造物があります。 写真は東側から広場に近づいて右に見える建造物で、 資料が無く建物の名前はわかりません。

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 (Plaza Central)

広場に入ると中程に東西に階段のついた基壇がありました。

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 (Plaza Central)

基壇の左側。 建物名は不明で、資料が見つかり次第訂正します。

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 (Plaza Central)

広場の西側に保護用の庇がついた建物がふたつあります。 漆喰が部分的に残っているのですが、殆ど何だか わからない状態です。

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 Regreso de Plaza Central)

これでサン・ヘルバシオ探索はひと通り終了、入り口に戻ります。 中央広場については資料が少なく説明不足で、 将来資料を入手できたら書き直ししたいと思います。

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       (Estelas de Cozumel, Museo Nacional de Antropología, D.F.)

写真はメキシコシティーの人類学博物館にあるコスメルからの石碑で、雨の神チャークが彫られています。

スペイン人が最初にマヤとコンタクトした場所で、どんな所か期待して行きましたが、現地にはそれ程見るべきものは ありませんでした。 でも雰囲気はなかなかです。

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COZUMEL  PART  II
2部ではエル・ラモナルと、コスメル島北のカスティーヨ・レアル、ラ・パルマ、そして南のカラコルをご紹介します。

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           (El Ramonal, Próxima Apertura)

地図の左上に El Ramonal がありますが、近日オープンと書かれています。
ホテルのフロントでまだオープンしていない事を 再確認して車でサン・ヘルバシオへ出かけたのですが、コスメル観光局の人が私を遺跡まで探しに来てくれ、関心 あるのならエル・ラモナルをお見せしましょう、と。 えー、何と親切な…。 ホテルが連絡を取ってくれたようでした。

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 (Esquina sureste de Plaza Baja)

と言う訳で、観光局の人とカナ・ナーから更に先のエル・ラモナルまで行きました。  手前に柵があり施錠して ありましたが、鍵を開けて中へ。  石組みが見えてきました。 写真は境界線上に築かれた石灰岩の塀の基部です。

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 (Muro está hecho de bloques monolíticos)

塀は石を積み上げるのではなく、石灰岩の石塊から切り出した1枚岩を並べてあり、写真中央に見えるように1mを超えて 残っている所もありました。

エル・ラモナルの建造は、サン・ヘルバシオで一番古いムルシエラゴより更に遡り、先古典期後期(300BC - 300AD)になります。  サン・ヘルバシオの一部と言うより、その前身と言った方が正しいかもしれません。

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エル・ラモナルの復元地図です。 arqueología vol.54 の地図を活用させて貰いました。
上と下の広場からなるアクロポリスを中心に、北に円形の双子のピラミッドがあり、 南には居住区が広がっていました。 2枚上の写真にある塀の角が下の広場の南東角にあたります。

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 (Lado sur de El Edificio de las Armenas)

写真は唯一復元されていたアルメナスの建物、上の地図で El edificio de las Almenas と印してある建物で、南側面です。  アルメナとは鋸状の屋根を意味するようです。

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 (Lado noroeste de El Edificio de las Armenas)

アルメナスの建造物の正面を北西側から撮りました。 4本の柱がある前面より奥の方が幅が広くなって、上から見ると極太のT字型を しています。 "T" は風の神を表し、風の神を奉じた神殿だったそうです。

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            (Decoración esclupida sobre la fachada superior)

アルメナスの建造物の左側面と 下は arqueología vol.54 にあった推定復元図です。  復元図で赤丸で囲んだ壁面彫刻 が実際に復元された建物で確認できます。

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 (Basamento de Plaza Alta)

上の広場は発掘・修復が行われていない為、写真の通り瓦礫の山です。 下の広場に繋がる階段と壁面だけ 確認できます。 エル・ラモナルは古典期後期は維持されますが、後古典期に入ると一部を残して大半は放棄された ようです。

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 (Plaza Alta sin restaurada)

上の広場に登ってみましたが、一見単なる密林にしか見えません。 注意して見ると下の写真のように、 石組みが認められますが…。

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 (Montículo de Plaza Alta)

こうした建物の残骸を元に復元地図を作ったのですから大変なものです。  双子の円形ピラミッドの方角へ行って見ましたが、観光局の人が「猪がいる」 と。  猪の証拠写真を撮って帰ってきました。 今後の発掘・修復に期待しましょう。

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           (Jabalí en la espesura)

          背中しか写っていませんが確かに猪のようでした。 (^-^)


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最後に海岸沿いの建造物を見てみます。 北からカスティーヨ・レアル、ラ・パルマ、南端のカラコルですが、 それぞれ単独の建造物で、見張り台や灯台の役目を果たしていたようです。

コスメルの中心地、西岸のサン・ミゲルから東へ島を横断する形で道が整備されており、サン・ヘルバシオ へもこの道を利用しました。 北の遺跡へ行くにはこの道を更に進んで東岸に出ます。

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 (Tour en cuatrimoto para el norte de costa oriental)

東岸に出て南方向は舗装されていますが、北は未舗装で一般車進入禁止。 北のカスティーヨ・レアル El Castillo Real までは 17km位あるので歩いていくのは無理です。 四輪バギーのツアーに紛れ込みました。

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 (Playa en frente de El Castillo Real)

そして 17km先のカスティーヨ レアル前の海岸です。 遺跡目当てにバギーでここ迄来る人も珍しいでしょう。 でも どこまでも綺麗な自然です。

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 (Lado posterior de El Castillo Real)

海岸沿いに大きな基壇が築かれ、その上に建造物が建っています。 写真は北側の側面です。

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 (Compañeros de tour en cuatrimoto)

残念ながら正面は逆光で写真になりません。 水着姿の通行人はバギーツアーの同行者で、コスメルらしい 写真ではありますが…。
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    (Cuarto interior de El Castillo Real)

カスティーヨ・レアルの内部、平らな屋根の下はマヤアーチです。 建物の目的はマヤの航海者への目印、灯台、 あるいは見張り台、とされていますが、天界の神イッツァムナへの祈りの場だったとも考えられています。
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 (Estructura de La Palma)

カスティーヨ・レアルから南に 5Km 程戻った所にラ・パルマ La Palma があります。 カスティーヨ・レアルより少し海岸線から 離れていますが、同様の目的を持った建物でしょう。
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 (Estructura de La Palma)

パルマはヤシの木の意味で、近くにヤシの木があったのでしょうか。 建物の天井が崩れて両側面が残っていますが、 外壁は漆喰が塗り込められていたようです。
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 (Camino asfaltado hacia Punta Sur)

バギーツアーの出発点まで戻り、プンタ・スールを目指して一路南へ向かいます。 舗装道路が整備されいて、左手に海を見ながら約 20Km の 快適なドライブです。


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 (Faro en el Parque Ecológico Punta Sur)

島の最南端に来ました。 プンタ・スール(南端)自然保護公園があり、最南端の位置に現代の灯台がそびえ立ち、 航行する船舶の安全を守っています。  灯台は螺旋階段を登れば上まで行け、何処までも広がる青い海が…。

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 (Estructura El Carcol)

現代の灯台の北に、マヤの時代の灯台、カラコル El Caracol があります。 後古典期 後期の建造です。

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 (Faro de época de Maya)

建物の中央上部に巻貝(カラコル)の形をしたものが嵌め込まれ、これに当たる風の音でハリケーンの接近を知った との事ですが、2002年のハリケーンでついに巻貝が崩れてしまいました。
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 (Un Caracol por encima)

現地の案内板に復元図画ありました。 崩れる前の巻貝の形がわかります。
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 (Parte superior de El Caracol)

少し上から見下ろしたカラコルです。 航行する船の為だけでなく、見張り台でもあったので、コルドバ や グリハルバ の艦隊も ここから観察できた事でしょうね。

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 (Pequeña vivienda para guardián de faro ? al lado de El Caracol)

カラコルの直ぐそばの小さな住居跡、燈台守の家だろうとの事でした。



コスメルのマヤは海上交易ルート上の重要な拠点として後古典期に最も繁栄しましたが、 チチェン イッツァとその後のマヤパンはユカタン半島に強大な勢力を築いたので、コスメルのマヤもその勢力下に置かれた ようです。

マヤパンが衰退した後、ユカタン半島は16の有力部族が割拠しますが、コスメルはある程度の 独自性が持てたのでしょうか。 そして16世紀に入るとスペイン人の洗礼を最初に受ける事になります。


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