ユカタン半島は主に石灰質の土壌で雨は地下に滲み込み川や湖はあまりありません。
コバには珍しく湖が5つあり、この湖を中心に早くから街が形成され古典期にはコバは周辺で最も大きなマヤセンター
になりました。
古典期前期(200-600AD)から栄えた遺跡になりますが、チチェンイッツァの隆盛に伴い後古典期になると衰退の道を辿りました。
しかし後古典期にも街は維持されてスペイン人の到来直前まで居住は続いたようです。
コバ遺跡はトゥルムから北西に 47Km 内陸側にあります。
(訪問日 2002年8月28日)
6年ぶりに再訪しました。 生憎の天気で駐車場で雨宿りになりました。 雨が上がっても遺跡はびしょ濡れであまり良い
写真は撮れませんでしたが、修復されたグループD球戯場の北東側を確認し、未訪問だったグループCマカンソックを見てきました。
グループD球戯場、グループC他、一部の写真を追加、訪問記は 2002年のものです。
(訪問日 2008年10月5日)
(Lago Cobá)
トゥルム遺跡見学を終えたのが午後4時近くでしたが、是非コバまで見ておきたいと思い車を飛ばしました。 道は一応
舗装はされていますが整備状態はあまり良いとは言えず、かなり無茶をして何とか滑り込みました。 写真はコバ湖です。
(Entrada al sitio arqueológico de Cobá)
駐車場に面してみやげ物屋が並び、遺跡の入口事務所もその一角にあります。 4時半過ぎでもう入場者はまばらです。
コバ遺跡の地図、 arqueología vol.54 の地図を利用させて貰いました。 遺跡は湖の周りに5つのグループが
点在します。 番号が振ってある道は、サクベで 45本確認されており、一番長いものは 100Km 先の
ヤシュナ(チチェン イツァ
の南)に繋がっているそうです。 コバの繁栄と大きな勢力圏を物語っています。
(La Iglesia de Grupo B Cobá)
遺跡に入るとまずグループB(コバ)のイグレシア(教会)が見えてきます。 九層のピラミッドで高さは 24m あります。
九層の基壇の角は丸く古典期前期のペテン様式がベースですが、後古典期にも修正が加えられています。
(La Iglesia de Grupo B Cobá)
正面中央に階段が取り付けられていますが、二層目の途中から上はかなり崩壊していて、登るのはかなり危険です。
2008年訪問時には一層目の上にロープが張られ上には登れなくなっていました。
危険ですから当然です。
(Estructura 4, Grupo B Cobá)
イグレシアは広場の東側に面し、その左右と裏(東側)にアクロポリスが広がります。
写真はアクロポリスの一部、建造物4だそうですが、階段下にあるマヤアーチの通路はペテン様式でした。
(Estructura 4, Grupo B Cobá)
上の写真のアーチの上に広がる階段ですが、上の方に屋根がついた部分があります。
(Escalinata estucada)
屋根の下は階段と側壁で、厚く漆喰が塗られています。 後古典期に修正されたようです。
(Juego de Pelota de Grupo Cobá, vista desde norte)
グループBの球戯場。 北側から近づいたところで、西側の傾斜が見えています。
1992年からの発掘、修復作業により整備されました。
(Juego de Pelota de Grupo Cobá, vista desde norte)
球戯場の北端から東の方の傾斜を見てみます。 東西両方の傾斜上部に、的になる環があります。
(Talud este de Juego de Pelota, vista desde sur)
南側から見た東の傾斜。 東西の壁面には捕虜と思われる人物像が掘られた石板が嵌め込まれていました。
この写真では環の左下、傾斜中腹の白く見える部分です。
(Panel empotrado en el talud oeste de Juego de Pelota)
これが西の斜面の石板で、簡単な飾りを付けただけで殆ど裸の生贄の捕虜のようです。
背中にジャガーの仮面を縛りつけ、前には蓮の蕾があり、手首を縛られています。 巨根の付け根の体毛は
聖なる血のほとばしりを表しているとの事です。
(Panel empotrado en el talud este de Juego de Pelota)
こちらが東の壁の石板。 イラストは arqueología vol.54 からで、写真の上下が短くなっているのは斜面上の石板を
下から撮っている為です。 上の石板同様、顔の前には神聖文字が刻まれていたようです。
(Estructura 2, al sur de Juego de Pelota)
球戯場の南の建造物2です。 基壇の上に角柱が並びますが古典期前期であれば茅葺き屋根かもしれませんね。
(Escalinata Kan de Estructura 2)
建造物2の前に取り付けられた5段の階段で、カーンの十字が彫刻されている事からカーンの階段と呼ぶようです。(カーンの十字の
写真が撮りそこないました。) 階段の左右の斜めの壁面には一対の髑髏が嵌め込まれています。
(Cruz Kan esculpidos en los 5 perdaños de la escalinata)
2002年には撮りそこなったカーンの十字を 2008年は忘れずに撮ってきました。 5段の階段の両端と中央に合計15個彫られている
そうですが、中央が最も見やすい感じで残っていました。
(Escultura de craneo incrustada al talud de Estructura 2)
これが階段右側に嵌めこまれた髑髏です。 球戯場の近くにあり、生贄の儀式が行われた場所と言われます。
(Los visitantes en Triciclos y Bisicretas)
グループBはこの辺にして、グループ A と Dに行って見ます。 かなり距離がありますが、自転車の
貸し出しと、自転車の前に座席をつけた三輪タクシーがあり、後者はガイド付きになりますから便利です。
(Templo de los Frescos, Conjunto Pinturas)
まずグループ D のフレスコ画の神殿に行きました、と言うより三輪タクシーの運ちゃんが連れて行ってくれた訳ですが、
夕方で時間も無く好都合でした。
(Foto de acercamiento de Pintura fresco)
肝心のフレスコ画は建物の上で近づけません。 精一杯望遠で撮りましたが、
色は確認できても何が描かれているかは分かりませんでした。
(Detalle de la Pintura fresco)
フレスコ画に近寄れないのは判っていたので、2008年は 400mm レンズで思いきり大きく撮ってみました。 近寄って下から
撮ったのでフレスコ画の上の方になってしまったかもしれませんが、図像が少し読み取れそうです。 後古典期の壁画だ
そうです。
(Una estructura de Grupo Pintura)
壁画のグループに広がる建造物です。 石碑もある事から古典期の遺構と考えて間違いないと思います。
(Estela 28)
上の写真の石碑で、石碑 28号です。 コバは古典期に栄えたので文字と図像が
刻まれた石碑があり、30本以上確認されています。 しかし風化が甚だしく解読
はかなり難しいようです。
(Juego de Pelota de Grupo D)
グループ D の球戯場を見てみます。 グループ B の球戯場とは1km位離れていますが、大きさも様式も似通って
います。 写真の南東側の斜面だけ修復されており、北西側は未修復でした。
(Mampostería redonda, es Temazcal ?)
南東の斜面の北側に丸い構造物が取り付けられていますが、どういう目的だったのでしょうか。
競技場の近くには競技者の体を清める施設(スティームバス)があったりしますが…。
(Panel esculpido, posiblemente fue empotrado en el talud)
北端に石碑や石板が並べられています。 盗掘者がまとめた後、持ち出し出来なかったものだそうです。
写真は四角い形から球戯場の斜面に埋め込まれていたものと思われます。
(Marcador esclupido con Jaguar)
これは北側のマーカーで、円の中は横向きのジャガーの首が切断され手で支えられています。
(Marcador de Craneo en el centro)
こちらは中央の髑髏です。 どういう使い方、ルールだったのでしょうか。
(Panel enpotrado en el talud)
グループBの球戯場と同様に、斜めの壁面には石板が埋め込まれています。
髭を生やして手首を縛られた捕虜で、左上隅に捕虜の名前があるようです。
(Otro panel enpotrado)
もう1枚の石板、文字が2つあるようですが、かなり風化が進んでいます。
(Parte frontal de Xaibé)
球戯場から 200m 位北東、グループDの北端にシャイベ (XAIBÉ) があります。 円形の構造物で正面に
階段がついていますが、二層目の階段はステップが狭く高さがあり実用ではありません。
(Parte posterior de Xaibé)
シャイベの背面です。 部屋も無く単に円形の建物で、主要なサクベが集まっている事から、
道標の様な役割を果たしていたと考えられています。 ヤシュナに繋がるサクベ1番もシャイベが起点で、ここから
西へ 100Km 道が伸びていました。
(Nohoch Mul de Grupo A Nohoch Mul)
更に北に進んで、グループA(ノホック ムル)の大ピラミッドです。 七層の角の丸いピラミッドで高さ 42m と、
ユカタン北部では最も高い建造物になります。 古典期の建造物ですが、最上部には後古典期の東海岸様式の
神殿が設けられています。
(Templo superior de Nohoch Mul)
かなり急勾配ですが、階段中央にロープが渡してあるので登頂可能です。 一番上まであがり、神殿の入口ですが、
壁面上部には東海岸でお馴染みの、降臨する神の漆喰彫刻がありました。
(Dios descendente, motivo común en estilo Costa Oriental)
降臨する神の漆喰彫刻のアップです。 500年以上の時を経て、マヤブルーがまだ鮮やかに残っています。
(Encontré mono araña al lado de Templo superior)
頂上の神殿から、横の生い茂った木の中を見るとクモザルがいます。 尻尾を
器用に上の枝に巻きつけて、しっかりこちらを見ていました。
(Una estructura de Grupo A)
さて、時計もそろそろ6時近くになってきました。 最後にノホック ムルの大ピラミッドの南にある石碑 20号です。
階段中央下に建てられていました。
(Estela 20)
かなり風化していますが、捕虜を従えて王杓を持った権力者が、紀元780年 11月 30日の日付と
共に刻まれており、これはコバでは最も新しい日付、つまり最後の石碑になるようです。
グループ C(マカンソック)は時間切れで回れませんでしたが、石碑の他はあまりめぼしい建造物は無いようです。
またグループ チュムック ムルはまだ調査、修復が為されておらず非公開です。