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MUSEO PUEBLO MAYA, DZIBILCHALTÚN

          ジビルチャルトゥン・マヤ民族博物館
メリダ市北のジビルチャルトゥン遺跡に 博物館が併設されています。 "MUSEO DEL PUEBLO MAYA" と言う名称で、マヤ民族博物館 と呼んだら良いでしょうか。

ジビルチャルトゥンからの出土物を展示する展示室と、ユカタン州を中心に他の遺跡からのものを集めた展示室があり、半屋外の 庭には石碑や石像などの石造物が並べられています。

暫く閉館していましたが、2012年に展示ケースやパネル説明を一新し、新たな展示品を加え、小規模ながら魅力ある博物館になりました。

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 (訪問日 2014年1月12日)

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 (Pared del lado sur del Museo)

博物館は遺跡の入口の近くですが、まず遺跡を先に廻り、その後で博物館と言うのがお勧めです。 遮るもののあまり無い遺跡で 汗をかいた後、涼しい博物館と言うのは一石二鳥です。

また中央グループとセノーテを見学した後、7つの人形の神殿へ向かう途中に休憩がてらに立ち寄り、なんてのもありかもしれません。  写真は7つの人形の神殿へ向かうサクベから博物館への小道を行った先に見える博物館の外壁です。


マヤの芸術  SALA DE ARTE MAYA

外壁を左側から回り込むと、半屋外でガラスの屋根が付けられたスペースに石造物が並べられますが、まず涼しい屋外に 逃げ込みます。 最初はマヤの芸術と題された展示室です。

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 (Cabeza de estuco, rostro exculpido en piedra, figura de barro articulada)

始めに漆喰彫刻のマヤ人の顔、そして石彫りの顔、また手足が動く人形の展示があり、トウモロコシから人間が創り出されるまでの マヤの創世神話が紹介されます。

博物館の全体説明によると展示品にはカンペチェ州やチアパス州からのものも含まれるそうですが、どうも大半はユカタン州からで、 他州のものは一部のようです。 個別に出所が示されるものは少なく、この仮面や人形も何処からのものかわからないので、 以下こんな展示品があるという事で写真の紹介を中心に進めていきます。

画像画像  (Serpiente emplumada de Chichen Itzá y Olla para transportar agua)

次にマヤにとっての水の重要性が説明され、ガラガラヘビとケツァールが合わさった羽毛の生えた蛇 (ケッツァルコアトゥル- ククルカン) が紹介され、チチェン・イッツァからの羽毛の生えた蛇と、水を運ぶ為の大きな壺が展示されます。 壺には 取っ手が3つありますが、縄を通して背負ったそうです。

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 (Breve explicación de la cosmovisión de Maya)

またマヤの世界観、宇宙観が聖なるセイバの樹のイラストと共に説明されます。 13層に分かれた天界と 9層の冥界の間に 地上界があり、4つの方向の果てにセイバの樹があり天を支え、更に世界の中心にもセイバの樹が立っていた。 それぞれの 方向には特定の色が決められていて、白が北、黄色が南、東が赤で、黒が西を示し、中心は緑で表された. . . . 。

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 (Serpiente emplumada y exhibición de las cerámicas con cronología Maya al fondo)

最初の展示室の正面奥は壁一杯にガラス張りの展示ケースがあって、上にプリントされた暦年表に沿って土器や石器が展示 されます。 目ぼしいものを以下写真で紹介します。

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 (Mascarón de Chaac y Atlante)

ユカタン州にある博物館だけに、プーク様式のチャーク像のモザイク彫刻はとても状態の良いものがありました。 そして アトランティスも。

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 (Cerámicas en la exhibición)

古典期の彩色土器には鳥をモチーフにしたものが沢山ありましたが、近くの交易都市シュカンブの倉庫からの出土物でしょうか。  シュカンブはジビルチャルトゥンから直線で 40Km 未満で、出先若しくは支配下にあったと思われます。

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 (Piedras esculpidas con Venus y Incensario de Balankanche)

石の彫刻は金星が表されたトルテカ様式のものでチチェン・イッツァからのものでしょうか。 香炉はバランカンシェから のものでしょう。

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 (Dioses expresados en arte Maya)

これはマヤの神を説明するコーナーで、左上の四角い石彫りは太陽神のキニチ・アハウが刻まれ、左下の蓋付きの彩色容器には 商売の神のエク・チュアが描かれているそうです。

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 (Dios de la muerte y Serpiente de guerra)

左の彩色が残る骸骨の浅浮彫りはチチェン・イッツァのツォンパントリからのものだと思います。 ユカテク・マヤでアー・プッチ と呼ばれる冥界の死の神は人の骸骨で表さる事が多く、キチェ語ではポポル・ブフで出てくるフン・カメになるそうです。  右の戦争の蛇と呼ばれる、怪物の口から人の顔が現れた浅浮彫りはチチェン・イッツァのトルテカ地区の柱を飾ったもの でした。

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 (Pirámide social de Maya expresada con figurilla de Jaina)

ハイナからの土偶が集められていますが、これは王を頂点としたマヤの階層を表現した展示で、一番上に王座に座った 支配者が置かれていました。 土偶は型で作られたもので、展示品としての質はいまひとつ。

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 (Instrumentos musicales y Expresion de banda celeste)

左は楽器の展示で、陶製の太鼓と呼子です。 右はマヤの天空の帯を示す展示で、帯が刻まれた土器と、帯に金星が刻まれた 石の刳り形です。

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 (Expresión artistíca - pincel y tinteros)

マヤでは文字と図像を用いて芸術的な作品を残し、製作には専門の書記や画家があたりました。 右は書記たちが使った 筆や顔料入れになります。 黒い棒は先が指の形をした筆でした。

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(Escrituras Maya)  (Dintel "Laja de serie inicial", fechado 487 años, Grupo Ah Canul, Oxkintok)

文字の解読と題してマヤ文字の解読について簡単に触れられ、左の石彫りが展示されます。
残念ながら内容と出所の説明は ありませんでした。

右の石板は オシュキントック遺跡のアー・カヌルグループ からで、古典期後期末からの短期暦が多いユカタン北部では数少ない長期暦が刻まれた古い石板で、9. 2. 11. 16. 17. 11 caban 15 pax と古典期前期の 487年の日付が残されます。 遺跡では建造物 Ca-6 にイニシャル・シリーズの名称が冠されて いましたが、この石板がその名の由来になっていた訳で、実物に会えてチョット嬉しい感じです。

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   (Dintel 8 y 3, Personaje con glifos, Palacio Ch'ich, Oxkintok)

この2本の石板も同じオシュキントックのアー・カヌル・グループからで、左の石板 8 はチック宮殿の北の戸口を、 右の石板 3 は同じ宮殿の中央の戸口を飾ったものだそうです。 同じ人物が刻まれていると思われ、石板 8 には4ます分 の文字に王?の名前とタイトルが記されるそうです。

以上でマヤ芸術の展示室は終わりです。 展示品の出自が示されていない事もあって特筆すべきものが少ないように 思いますが、最後のオシュキントックからの石板 3枚は他では見られないこの博物館ならでは展示品でしょう。


ジビルチャルトゥン   SALA DE DZIBILCHALTUN
展示室を北側に出て、通路の反対側にある次の展示室に行きます。 ここではジビルチャルトゥンからの出土物がまとめて 展示されます。

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  (Ofrenda de las siete muñecas)

7つの人形の神殿の名前の謂れとなった、7つの人形の奉納物がここに展示されています。 7つの人形の神殿は、 年4回 太陽が至点と分点に達する日、つまり夏至・冬至と春分・秋分の日に、夜明けの太陽が神殿の戸口に現れる事で 知られますが、7つの人形はどういう意味合いを持った奉納物だったのでしょうか。

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         (El trabajo en concha)

海岸まで約 20Km と海に程近い低地にあるジビルチャルトゥンですから、貝を加工した工芸品も多く見られ、その技術の高さに 驚かされます。 右下は巻貝や二枚貝で、漆喰成形された魚も見られます。

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 (Cabezas antropomorfas)               (Ollas mortuorias)

左は人の頭を模った建物飾りで石の彫刻ですが、どの建物からなんでしょう? 右もジビルチャルトゥンからの大型の壺で、 下の方で触れますが、王墓の副葬品でした。

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 (Cerámicas de Dzibilchaltún de diferentes periodos de Clásico Temprano a Posclásico Tardío)

これ等は全てジビルチャルトゥンからの土器類で、長い期間 居住の続いたジビルチャルトゥンでは古典期前期から後古典期後期 にわたる様々な様式が認められます。

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 (Cerámicas de Dzibilchaltún de diferentes periodos de Clásico Temprano a Posclásico Tardío)

一番上の脚のついた皿は古典期前期から古典期後期にかけてのもので、トラロックが描かれます。  2番目から4番目までは 全て古典期後期 (600-800) の土器で、用途が異なるのでしょうが 全く異なる様式で作られています。 シュカンブを通じて 他地域から流入したものもあるかもしれません。

取っ手のついた水を運ぶ為の大甕 (上の展示ケースの写真) は古典期終末期から後古典期前期 (900-1100) で、下段左の梨型の三足壺は後古典期前期 (1000-1200) 、最後のふたつの彩色香炉は後古典期後期 (1300-1450) となっており、降臨する神は鳥にのっていました。

ジビルチャルトゥンの最繁栄期は古典期後期までで、チチェン・イッツァの勃興と共に衰退の途を辿ったと思われるので、 後古典期の土器は最繁栄期の人々とは別の部族の手になるものと思われます。

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   (Estela 9 de Dzibilchaltun)              (Estela 19 de Dzibilchaltun)

石碑が2本あり これもジビルチャルトゥンのものでした。 遺跡には彫刻のない石碑が3本立っていますが、こちらは 図像が残り文字も刻まれています。 ジビルチャルトゥンの彫刻された石碑は他のメキシコの博物館で見た事がなく、おそらく ここだけかと思います。

左が石碑 9 で、頭飾りの上に神聖文字が6文字刻まれ、Pitsil Chak と言う王の名前と 821年にあたる短期暦が刻まれて いるようで、殆ど文字資料のないジビルチャルトゥンの歴史を垣間見れる貴重な資料です。

右は石碑 19 でこちらの方が図像がかなり明瞭で、更に重要な資料です。 チャーク神の被り物をつけ、右手に錫杖、左手に 丸い盾を持ち、神聖文字には Ch'iy Chan Ti'Ho' の王、Kalom ‘Uk'uw Chan Chak と記され、石碑 9 とは別の王になるようです。  州都メリダもマヤの大都市で、T'Ho と呼ばれていたそうですが、ジビルチャルトゥンの Ti'Ho とはどう言う関係だったのか、 気になる所です。 この石碑は故意に切断され、建造物 36 の基礎の建築資材として再利用されていたとの事、 どう言う事なのでしょう、謎です。

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 (El hueso de venado encontrado en el Entierro de Kalom 'Uk'uw Chan Chak)

石碑 19 に刻まれた Uk'uw Chan Chak 王ですが、その埋葬が建造物 42 の地下で 発見されており、上の方で 王墓からの副葬品と書いた大きな壺は火葬された王の骨や副葬品を収めたものでした。 そして副葬品には 王の名前が彫られた鹿の大腿骨が含まれ、ガラスケースの中に大きなパネル説明を添えて展示されています。   (古典期マヤで火葬は異例です。)

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2列に12文字彫られ、Kalom‘Uk'uw Chan Chak Senor de Ch'iy Chan Ti'Ho' と石碑 19 と同じ王の名前が記され、中央広場に 面した建造物 42 に埋葬されていた事から、ジビルチャルトゥンの王だった事は間違いないようです。  骨はふたつに折られて壺に納められていたそうですが、生前に王が使っていたものを折って埋葬に添えたのでしょうか。

骨に刻まれた文字も石碑 19 も日付を含みませんが、石碑 9 との関連から、8世紀後半から9世紀にかけての王と 考えられるようです。

この鹿の骨は博物館の改装以前には展示されていなかったもので、ジビルチャルトゥンの歴史を知る上で石碑 19 と並んで最も 重要な展示物になり、2012年の博物館改装の目玉だったしょう。


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 (Graffitti en Dzibilchaltún)

もうひとつ改装後の新しい展示物として、落書き(グラフィティー)が3点ありました。
マヤ文字と違って史実を 記すものではありませんが、当時のマヤの人たちの飾らない自然な表現として見るととても味わい深いものがあります。  ジビルチャルトゥンでは 7つの人形の神殿や建造物 44 sub などで沢山落書きが確認されているそうで、パネル上部 に朱書きされたものは、グラフィティー8、3、1 です。 以下展示物3点の拡大写真ですが、番号は不明で 描かれたものの 説明も特にありませんでした。
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 (Ceramicas recuperados en Xcambó)

ジビルチャルトゥンの北東、海岸近くに シュカンブ遺跡があり、ジビルチャルトゥンの支配下にあった都市と言う位置づけ でしょうか、ジビルチャルトンの展示室にシュカンブからのものも併せて展示されていました。

いろいろ異なる種類の壺、皿、容器がありますが、全てシュカンブ遺跡から出土したものです。 シュカンブは塩の生産の他、 海上交易でも繁栄した為、展示されている壺類はシュカンブで生産されたものではなく交易でもたらされた他地域からの流入品 だったでしょう。

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 (Exhibicion del periodo colonial)

ジビルチャルトゥンの展示室は更にコロニアル時代へと続きますが、ここ迄にして、石造物のテラスへ戻ります。



石造物のテラス   PERGOLA DE LOS MONOLITOS
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 (Inicio de la exhibicion de los monolitos)

出来るだけ自然に近い展示という事で展示室の外ですが、ガラス張りの天井が設けられ、曲がりくねった道に沿って 石造物が並べられます。 西側の入口まで戻って順に見ていきましょう。 まず入り口を守る形で一対のジャガー像が 置かれます。

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 (Esculturas zoo-antropomorfa con cabeza de jaguar, Becanchen, Yucatán, Clásico Tardío 600-900)

ジャガーの頭をした人間なんですが、ジャガーは夜の間の太陽の化身で、 マヤでは頻繁に用いられるモチーフです。 右のジャガーは腕に子供を持っているとの説明があります。 ユカタン州の ベカンチェンからとなっており、調べてみるとユカタン州最南部の小さな村でした。

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    (Jamba con figura zoo-antropomorfa, Chucmichen, Temex, Yucatán, Clásico Tardío)
               (Jamba con personaje en alto relieve, Dzekilna, Yucatán, Clásico Tardío)

左はチュクミチェンからの脇柱で、ウサギの耳の形をした頭飾りを付けているという解釈もあるようです。 場所はメリダの 西北西 100Km 弱で、荘園がひとつポツンとある寒村のようです。 こんな所にも古典期の遺跡があった訳ですが、殆ど未調査 でしょうか。

右はやはり古典期後期の脇柱でユカタン州ツェキルナから。 仮面の上にのった人物が左手に王杓を持ち右手でマラカスを 振っているという解釈のようです。 ツェキルナの場所を探したのですが、遺跡一覧にその名前が出てくるものの場所は 不明です。

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 (Columna con glifos y figura antropomorfa, Xtablakal, Yucatán, Clásico Tardío)    (Columna con personaje de perfil con penacho y plumas, Hacienda Holbil, Campeche, Clásico Tardío)

左はシュタブラカルからの古典期後期の柱で、両側面には神聖文字が彫られ、正面は大地の怪物の上で踊る人物が彫られている ようです。 シュタブラカルはグーグルでは出てきませんでしたが、州南部プーク地域でチャクムルトゥンに近い所のようです。

右はカンペチェ州ホルビル荘園からの古典期後期の柱で、羽飾りのついた冠を付けた人物が刻まれます。 カンペチェ州の どこになるのか、場所を調べましたがわかりません。

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(Columna de altar con la representacion de un guerrero, Hacienda Tecoh, Yucatán, Clásico Tardío)
       (Columna de altar con glifos, Altar 10 de Uxmal, Yucatán, Clásico Terminal 800-1000)

左はユカタン州テコー荘園の戦士が刻まれた柱の祭壇で、上下にマヤ文字の帯があり、煙がたなびく火鉢を前に頭飾りをつけ 槍を持った戦士が立っています。 テコーはメリダの南 30Km ですが、ここにある荘園でしょうか。

右はお馴染みウシュマルから。 神聖文字が浮き彫りされていますが、9世紀後半から 10世紀初めにかけてウシュマルを治めた チャーク王について書かれているそうです。

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 (Chac-mool, Chichen Itza, Yucatán, Clásico Terminal - Posclásico Temprano, 900-1250)
     (Escultura antropomorfa, Uxmal, Yucatán, Clásico Tardío - Clásico Terminal 600-900)

これもお馴染みのチチェン・イッツァのチャックモールで、球戯場の南の神殿からです。 腰をくねらせた姿から女性と 見られるそうですが、チャックモールに男女の区別があったとは . . . 。

右の首のない立像はウシュマルの尼僧院の矩形の西の建物から。 両手で包みを抱えており、フンドシかと思ったものは 二本のトゲが突き通された局部で、放血儀礼の場面だそうです。

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 (Atlantes, Chichen Itza, Yucatán, Clásico Terminal - Posclásico Temprano 900-1250)
    (Dios descendiente, Xcunya, Yucatán, Clásico Terminal - Posclásico Temprano, 900-1250)

左側の2本はチチェン・イッツァの戦士を模ったアトランティスです。 身に着けた衣装はいろいろ異なりますが同種のものは 沢山あり、国立人類学博物館にもメリダの博物館にもアトランティスが何本もありますが、ここにも必須のなくてはならない展示物 かもしれません。

右は降臨する神と題された石彫りでユカタン州シュクンヤからとなっています。 シュクンヤはメリダの近郊でジビルチャルトゥン の近くです。 顔が無くなっているそうですが、何処をどう見たら降臨する神になるのかよくわかりません。

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 (Jugadores de pelota, Xbanquetatunich, San Simon, Yucatán, Clásico Tardío 600-800)

上半身がない2体を含め、3体の球戯プレーヤーの立像で、シュバンケタトゥニッチ、サン・シモンと出所が書かれています。  サン・シモンはサイールの西で、プーク地域になりますが、これは盗掘されたものが集められたものとの説明がありました。  どんな遺跡だったのか、もう破壊されてしまったのでしょうか?

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    (Estela con personaje de perfil, Región Puuc, Yucatán, Clásico Tardío)
              (Estela con personaje y glifos, Dzilam González, Yucatán, Clásico Tardío)

左の石碑はプーク地域とだけ記されています。 頭飾りを付け王杓を持った人物が刻まれますが、文字はなく、せめて出所が わかればよいのですが。

右の石碑もかなり風化が進んでいますが、出所はジラム・ゴンサレスと明らかになっています。 ユカタン半島の北外れの街で、 16世紀にスペイン人の街が築かれた為にここにあったマヤの街は破壊しつくされ、今でも広大な廃墟が残されるようです。  石碑には風化していますが神聖文字も刻まれ、古典期後期にマヤの絶対王朝が半島の北端まで広がっていた事を物語ります。

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    (Estela con glifos, Ichpaatun, Quintana Roo, Clásico Temprano 300-600)
              (Nariz de mascarón de Chaac, Xkipche, Yucatán, Clásico Tardío)

ここまで カンペチェ州からの彫刻された柱1本以外 全て ユカタン州からのものでしたが、最後にキンタナロー州南部、 チェトゥマル近郊からの石碑が 1本ありました。 オシュタンカー遺跡の北に位置するイチパートゥンと言う遺跡からで、 全体に彫られた神聖文字からは 長期暦で 593年にあたる日付が読み取れるそうです。 他の石造物とは地理的にも時代的にも かなり異なり、何故ここにあるのか不思議です。 遺跡は公開されていませんし、ここからの出土品はメキシコ市でも キンタナロー州でも見た事がありませんでした。

最後のチャーク像の鼻の部分の展示、鼻先に刻まれているのは足が蛇になっているので カウィール神と考えられるそうです。  シュキプチェからとなっていたので調べてみるとウシュマルのすぐ南のプーク地域でした。


チチェン・イッツァやウシュマル以外、これ迄に聞いたこともないような遺跡からの石造物が多く、全体的には非常に興味を そそられる展示でした。 外気に触れる場所ですが、しっかり屋根で保護されているので、風化の心配はあまりなさそうです。



マヤの住居   VIVIENDA MAYA
マヤの展示はふたつの展示室と石造物のテラスで終わりですが、博物館の東のエリアに伝統的なマヤの農村の住居が再現されて います。 時間があれば寄ってみたらどうでしょう。

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 (Vivienda Maya tradicional - la cocina-comedor)

石組みの低い塀で囲まれた土地にマヤ民家が二棟再現されていて、こちらは台所兼食堂で 壁は木の枝で囲まれただけの風通しの よい造りです。 中には調理台とテーブルセットがありました。

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 (Vivienda Maya tradicional - el dormitorio-area de recepcion)

こちらは寝室兼応接で、小枝の壁は漆喰で固めてあるので外の光を遮って暗い空間を得られる造りです。 中には祭壇が作られ、 天井からハンモックを吊るしてありました。

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 (El patio de vivienda Maya)

屋外の庭にも作業場や鶏小屋、井戸や洗濯場まで作ってあります。


マヤの祭祀センターは広場を囲んで神殿や宮殿、球戯場など、石造りの巨大建造物が建てられ、王を始め、神官、書記、戦士 など一部の貴族が居住しましたが、大多数の人々はセンターの外側でこうした棕梠葺きの簡素な民家に住んでいたのでしょう、 基礎を作り木の壁に植物の葉で屋根を葺くマヤの伝統的な民家は昔も今もあまり変わらないようです。



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