巨石人頭像で知られるオルメカは 1200 - 400BC の先古典期 前期から中期に、ベラクルス、タバスコの州境を中心として栄え、主要な
センターとしては、サン・ロレンソ、ラ・ベンタ、トレス・サポーテスが知られます。 サン・ロレンソが最も古く 1200 - 900BC 頃に栄え、
次いで 800 - 600BC 頃のラ・ベンタ、そしてラ・ベンタが廃れる頃にトレス・サポーテスが繁栄を迎えます。
遺跡へは直接足を運んでいませんが、発掘された多くの遺物は両州都の博物館に移されている為、直接目にしてその文明の面影を偲ぶ
事ができます。 テオティウアカン、サポテカ、マヤ等、その後の文明に大きな影響を与えたと言われるメゾアメリカの母なる文明で、
博物館の展示物も大変興味深いものになります。
PARQUE - MUSEO DE LA VENTA ラ・ベンタ公園博物館
オルメカで最も有名なのはタバスコ州西端の ラ ベンタ遺跡で、ベラクルスとの州境に近く、州都ビリャエルモサから西へ 128Km と遠隔地に
あります。 1925年に発見された遺跡ですが、遺跡の保全が難しく 1958年に主だった発掘物を州都に移しこの公園博物館がオープンされ
ました。
写真は遺跡公園の看板で、現地の自然環境に近い川沿いの低地を選び緑の公園を整備、地図の緑の部分に現地で発掘された石造物を配置して
あります。 街の中心からは数キロと至近です。
公園入口の建物内で、全体説明と土器や石器等の展示を見て、早速屋外公園へ行ってみます。 屋外公園には33の展示物があり、
以下展示物番号と展示物の名称です。
1. Monumento 13 El Caminante 3. Monumento 5 La Abuela
1. モニュメント13 歩く人 3. モニュメント5 老婆の像
4. Estela 3 Estela del Hombre Barbado
4. 石碑 3 髭を付けた男の石碑 右は人物像の拡大写真、白人風にも見えます。
5. Mosaico Mascarón 6. Monumento 7 Tumba
5. モザイクの仮面、ジャガーの顔になっている。 6. モニュメント 7 墓所
8. Monumento 3 Cabeza del Joven Guerrero モニュメント 3 若い戦士の人頭 1.98m
9. Monumento 4 Cabeza del Viejo Guerrero モニュメント 4 老いた戦士の人頭 2.26m
10. Monumento 66 Cabeza Inconclusa モニュメント 66 未完の人頭
12..Altar 5 Altar de Niño
12.祭壇 5 子供の祭壇、生贄の子供と言う説もありますが。
13.Monumento 77 El Gobernante 16. Monumento 20 Delfin
13.モニュメント 77 統治者 16. モニュメント 20 イルカ
18. Monumento 56 Mono Mirando El Cielo
18. モニュメント 56 空を見上げる猿、 動きがあって何ともユーモラスです。
23. Altar 4 Altar Triunfante
23. 祭壇 4 勝利者の祭壇、 ジャガーの敷き革を敷いて上に王が座った玉座との説も。
25. Estela 2 Estela del Rey 26. Cabeza 1 Cabeza del Guerrero
25. 石碑 2 王の石碑、 手に王錫のようなものを持っているからでしょうか。
26. Monumento 1 Cabeza del Guerrero 27. Monumento 63 Personaje Estandarte
26. モニュメント 1 戦士の人頭 2.41m 27. モニュメント 63 旗持ち
ラ・ベンタで最初に見つかった人頭で一番大きいもの。17個存在するオルメカ人頭中で5番目の高さです。
モニュメント 2 の人頭像は グりハルバ川沿いの ペリセール地方人類学博物館です。
29. Altar 3 Altar del Diálogo 33. Estela 1 Diosa Joven石碑 1 若い女神
29. 祭壇 3 会話の祭壇、側面(写真中央)で2人が会話しているようです。
以上、屋外展示33点中、状態の良い18点です。
MUSEO REGIONAL DE ANTROPOLOGIA CARLOS PELLICER CAMARA
タバスコ地方考古学博物館 ‐ カルロス・ペリセル・カマラ
ラ・ベンタ遺跡公園から南東に 2Km 位のグリハルバ川沿いに州立博物館があり、ラ・ベンタの人頭像、モニュメント 2 は博物館に入って直ぐの
入口正面に展示されています。
Monumento 2 La Venta 1.63m ラ・ベンタ モニュメント 2
博物館は州立で 直接 INAH 傘下ではありませんが、タバスコ州を代表する博物館であり、オルメカとマヤの遺物の展示は非常に充実しています。
詳細は博物館のページから
タバスコ地方人類学博物館 へ。
展示の半分位はオルメカ関連で、ラ・ベンタの出土物の他、多くの石造物や翡翠の彫刻などがあります。
MUSEO DE ANTROPOLOGÍA DE XALAPA ハラパ人類学博物館
オルメカはベラクルスとタバスコの州境ですが ラ・ベンタのあるタバスコ州はほんの一部で、最も古いとされるサン・ロレンソやオルメカ
後期のトレス・サポーテス等大半の遺跡はベラクルス州内になります。
石油採掘や農業で豊かなベラクルス州は、立派な州立人類学博物館を州都ハラパに作り、州内のオルメカの遺物を展示しています。
石油施設の為にサン・ロレンソ遺跡は殆ど失われてしまっていると言うのは皮肉ですが。
サン・ロレンソで発見された 10 の人頭の
内 1994年に見つかった人頭は現地の博物館に残されましたが、それ以前の人頭は 7 つがここハラパ、2 つがメキシコ市の博物館に移されました。
CABEZA 1 San Lorenzo 2.85m サン・ロレンソ巨石人頭 1
番号は発見された順番を示します。
CABEZA 3 San Lorenzo 1.78m サン・ロレンソ人頭 3 CABEZA 5 San Lorenzo 1.86m 人頭 5
CABEZA 7 San Lorenzo 2.70m サン・ロレンソ人頭 7 CABEZA 8 San Lorenzo 2.20m 人頭 8
CABEZA 9 San Lorenzo 1.65m その他の石造物
サン・ロレンソ 人頭 9
El Señor de Las Limas リマス出土人物像。 Monumento 2 de Petrero Nuevo
子供は寝ているのか死んでいるのか? ペトレロ・ヌエボ出土祭壇2.小人はアトランティスの原型?
CABEZA 4 San Lorenzo 1.78m Vista exterior del Edificio del Museo.
サン・ロレンソ 人頭 4 近接写真がありませんでした。 ハラパ博物館の外観。
MUSEO NACIONAL DE ANTROPOLOGÍA 国立人類学博物館
メキシコ市チャプルテペックにある国立人類学博物館でもオルメカの遺物は必須です。 人頭は2つだけですが、質の高いオルメカの
遺物がガルフ(湾岸)室に展示されています。
CABEZA 2 San Lorenzo 2.69m CABEZA 6 San Lorenzo 1.67m
サン・ロレンソ 人頭 2 サン・ロレンソ 人頭 6
Monumento 12, La Venta. Rostro de Mono. 猿顔で両手を上に上げた人物像。
Estela 19, La Venta. ラ・ベンタ出土石碑 19 ガラガラ蛇に囲まれた聖職者。
El Luchador, Minatitlán ミナティトゥラン出土の闘士像 600-400BC と思えない躍動感。
Ofrenda de Figurillas, La Venta. ラ・ベンタの墓所に納められた奉納物。6本の松明の前に集まり儀式を行う16人。
"Baby Face", Cruz del Milagro クルス・デ・ミラグロ出土の陶製の人形。頭蓋変形された子供が笑っているように見えます。
17 CABEZAS COLOSALES DE OLMECA オルメカ文明と 17 の巨石人頭像
古代オルメカ文明は、ベラクルス東部にタバスコ西端を含めた低地 (ピンクの線で囲んだ地域)で、1200-400BC 頃に
栄え、17の巨大人頭像を残しました。 一番古いとされるサン・ロレンソで10、ラ・ベンタ で4、トレス・サポーテス で2、
トレス・サポーテス近郊のランチョ・デ・コバータ で1、の合計17個です。 一番最近の発見が 1994年のサン・ロレンソの10個目で
まだ地中に埋もれているものがあるかもしれません。 トレス・サポーテスとコバータの人頭は現地に残されています。
人頭像は実際の統治者の顔を彫ったものと言う説が有力ですが、鼻が潰れて唇が厚く、頬が張って斜視気味なのが共通した顔の特徴で、
頭には皮製と思われる兜を被っていますが、これが統治者と言われると少し頭を傾げたくなります。 高さ 3.4mと最大のコバータの人頭
は少し容貌が異なり、目を閉じていて死者を彫ったとも、オルメカと少し異なる文化だとも言われます。
サン・ロレンソやラ・ベンタの低地には、材料となる巨石は存在せず、トレス・サポーテス近くのトゥーストラ山塊 (地図で赤枠の付いた黒い四角 = Fuente de basalto)
から運んだとされますが、大きなもので 50 トンもある巨石をどうやって運んだかは大きな謎です。 トゥーストラからサン・ロレンソへは直線で
60Km、ラ・ベンタへは 100Km あります。 20トンの石をサン・ロレンソに運ぶには 1500人で 3-4ヶ月を要したと言う試算もありますが、真偽の程
は兎も角、それだけ命令者と服従者の階級社会が成立していたと言う証拠になります。
文字は未発達ですが、人頭像以外の遺物からもオルメカの様々な姿が浮かび上がります。 ラ・ベンタの祭壇4では支配者が洞窟から姿を
現していて、洞窟=冥界信仰が窺えます。 その他 ジャガーや蛇の崇拝、生贄の風習、頭蓋変形等、その後の文化に影響を及ぼしたと
考えられる痕跡も認められます。 サン・ロレンソ近くのエル マナティでは球戯に使われたと思われるゴムの球が発見され、ラ・ベンタの
発掘では球戯場と思われる跡が見つかり、儀式としての球戯を行う風習もオルメカから始まったとも言われます。
それにしても謎に満ちたオルメカ文明です。