MORELOS
モレロス州の遺跡
テオティウアカンが没落した後、700-900年頃に繁栄したソチカルコ遺跡があります。 見事な浮き彫り彫刻の 「羽毛のある蛇のピラミッド」 が有名で、世界遺産になっています。 またプエブラ州に近い州南東部にはオルメカ時代の チャルカシンゴ遺跡が残されます。
XOCHICALCO
ソチカルコ
壮大な遺跡ですが 注目すべきはこの羽毛のある蛇のピラミッド。 743年AD の日食観測には多くの同盟国から人が集まったそうです。
四面に2匹づつ計8匹の羽毛のある蛇が描かれ 波打つ蛇の胴の周りには 人物像(高僧か支配者)とカレンダーの記号が刻まれていて、その装飾技法はマヤとの類似性を指摘されています。 修復はされているものの 周囲には集められたパーツがまだ沢山転がっていて 更に修復できそうです。
羽毛のある蛇のピラミッドを先に紹介しましたが、入口に戻って順に説明を続けます。 下の広場の入口の階段を登ると 広場の中央の石碑を囲み三方にピラミッドがあります。
アクロポリスへは下の広場の西側を登っていきます。 羽毛のある蛇のピラミッドも見えてきます。
貴族の居住区だったアクロポリスの廃墟。 テマスカル(スティームバス)もありました。
遺跡の北側にある球戯場、側壁が高く傾斜が急です。 マーカーは高い位置にあったのでしょうか?
球戯場西に天文観測を行った場所があり 決まった時間に見学可能、地上に開いた穴から差す陽光。
遺跡東側にも球戯場がありますが、更に丘を下った南にもうひとつ一番大きな球戯場がありました。
MUSEO DE XOCHICALCO
遺跡併設博物館
博物館展示品の数々です。 マヤのみならず、大西洋岸ベラクルス州の影響、太平洋岸オアハカ州の影響も見え、この時代 広い範囲で交流、交易が行われていた様子が窺われます。 最後の2枚の写真はメキシコ市の人類学博物館のもの。 (Dos ultimas fotos son del Museo Nacional de Antropología, D.F.)
EL TEPOZTECO
エル テポステコ
ちょっとした山登りです。 写真のような山道を50分近く登り 最後に鉄梯子を登ると遺跡です。
神殿を中心にした遺跡があり、神殿には祭壇が残されていて、信仰の中心でもありました。
ソチカルコの勢力下だったようですが、1452年にメシーカに征服されて祭壇も修正されているようです。
TEOPANZOLCO
テオパンソルコ
1300年頃築かれたモレロスの中心的な街。 メシーカからの度重なる侵略で1427年には征服された。
その後メシーカの属国として服従し、建築様式や文化的にもメシーカ様式を受け入れたようです。
メシーカ様式の双子の神殿、トラロック神殿とウィツィロポチトゥリ神殿があります。 写真2~4枚目。
COATETELCO
コアテテルコ
13世紀中頃メシーカのトゥラウィカス一族が築いた街で、アステカ帝国のモレリアの中心でした。
湖に近く球戯場も持った中規模の街だったようですが、今は建物跡を残す廃墟です。
CHALCATZINGO
チャルカシンゴ
中央高原におけるオルメカの拠点だったとされるチャルカシンゴで、首都の人類学博物館にも石彫りの複製があります。 左が複製、右が現地の 実物です。
石彫りは岩肌の中腹で覆いで守られています。 見下ろすと麓に新しい時代のピラミッド。
「豊穣の踊り」 「王家の人々」
「ジャガー」 「三匹のジャガー」
オルメカの石彫りは紀元前 800-500年となっていますが、円形のピラミッドや球戯場はテオティウアカンの時代以降になるようです。
LAS PILAS
ラス・ピラス
チャルカシンゴ西北西約 2Km にあるオルメカ時代からの町で、チャルカシンゴ衰退後のテオティウアカン時代の遺跡が残されます。 泉がふたつあった事 からの命名で、トラロック信仰の場で、現在はプールを中心にした遊園地が併設されています。
広場Aの北の建造物(左)と東の建造物で、広場には泉から出る水を分配する為の水路が築かれ、 石組みの水路跡が残されます。
東側には広場Bがあり、祭壇がふたつ設けられていました。