ESTADO DE MÉXICO
メキシコ州の遺跡
スペイン人到来前のアステカ帝国を形作ったメシーカ(テノチティトゥラン、トラテロルコ)、テスココ、トラコパンの三国同盟 の遺跡、またアステカに滅ぼされた遺跡等、興味深い遺跡が多くあります。 また紀元前のオルメカの時代に遡る遺跡、トラパコヤ もメキシコ州です。
TETZCUTZINGO
テスクシィンゴ
テスココ王ネツァルコヨトルが築かせた水路があります。
背景の丘陵から集められた水が写真右の堤道を通りテスクシィンゴ山へ供給されます。
山の中腹には水を通す水路が設けられています。 女王の浴槽と呼ばれる水溜め。
こちらはネツァルコヨトル王の浴槽。 1450年頃築かれ 庭園も整備され王の居所としても使われました。 岩山をくり抜いて作られています。
LOS MELONES
ロス メローネス
テスココ王国の街でしたが、建造物は殆ど失われ 基壇、壁、石造物を残すのみです。
HUEXOTLA
ウエソトゥラ
13世紀にアコルウアカン王国の主要な街のひとつでした。訪問時休園していて周りの城壁と橋です。
ACOZAC
アコサック
ゴルフ場コラル近くにある遺跡、アステカ後期のエーカトル(風)の神殿と宮殿跡が残ります。
TLAPACOYA
トラパコヤ
先古典期中期に遡るオルメカの遺物が人類学博物館に展示されていて、出土地がベラクルス州ではなくメキシコ州東部のトラパコヤで、探して行ってみました。 左は典型的なオルメカのジャガーです。
住宅地の裏、丘の中腹に大きな石造建造物が整備されていました。
これは上の写真の反対側。 基壇や階段が複雑に入り組んでいます。
基壇上部に四角い穴が開いていて、墳墓が設けられていたそうです。 この彩色壺も人類学博物館展示のトラパコヤからの出土品で、先古典期後期 になるようですが、それでも紀元前です。 併設の博物館がありましたが、これは残念ながら閉まっていました。
これは人類学博物館で後で見つけた模型で、トラコパヤがそれだけ重要な遺跡だったという事になります。
TENAYUCA
テナユカ
チチメカ族の街として 1200年頃築かれ 後にテノチティトゥランに征服されます。
周囲 62 x 50m のピラミッド風の大きな建造物の周りには 138体の蛇の彫刻が置かれています。
遺跡として整備されているのは一部だけですが、博物館が整備されピラミッドの復元図もありました。
SANTA CECILIA ACATITLAN
サンタ セシリア アカティトゥラン
テナユカに程近くチチメカ人の街でした。その後テパネカ族を経てテノチティトゥランに征服されます。
当時の神殿がほぼ完全な形で復元されています。 右は火を焚いた火鉢。
遺跡の石を流用して作られた植民地時代の教会の横には併設の博物館が整備されています。
CALIXTLAHUACA
カリストゥラウアカ
トルーカ谷のマトラシンカ族の街。一定の独立性を保つも 1474年にトローカン-メシーカに征服される。
トルテカの影響を受けた大きな街も、征服時には1万人以上の捕虜を取られ生贄に供されました。
丘の中腹の遺跡入り口脇に小さな博物館があります。麓に住居跡カルメカックがあり神学校跡との事。
TEOTENANGO
テオテナンゴ
テオティウアカンの時代から街が形成され、現在の街は後古典期前期(900-1200)に形成されました。
東西1400m 南北1100m の大規模な街で マトラシンカ族が入った後も古い街は維持されたようです。
1475年頃メシーカに征服され属国になりました。 左はテマスカル跡 右は蛇の頭の彫刻です。
MALINALCO
マリナルコ
岩をくり抜いて作られた戦略祭事上の拠点で、1500年頃メシーカにより建設が着手されました。
神殿の基壇及び階段、更に神殿内部(写真左)入り口装飾(写真右)は 全て岩山からの削りだし。
スペイン軍に攻略された(1521年)時点でまだ建設途上でした。 天然の山肌と削りだされた壁と広場。
南西端の断崖上に築かれたピラミッド状の基壇。 基壇に登るとマリナルコの街が眼下に広がります。