Tuneles : Los Jaguares - Rosalila
ロス・ハグアレス と ロサリラ の トンネル
コパン遺跡の入場料は US$15 ( 2015年1月現在、外国人料金)ですが、料金を支払う時に、博物館と トンネル はどうしますか、と聞かれます。
彫刻博物館は別途 US$7 かかりますが、遺跡から石造物のオリジナルが移されており、オリジナルを元にした復元もあり、これは必見です。
トンネルも US$15 の別料金が必要ですが こちらはどうでしょう。 下はコパン遺跡の入口にある料金の表示で、ホンジュラスと中米の人達は
優遇されていますが、外国人には割高です。 トンネルは遺跡と同じ額が別料金になり 躊躇する人もいるかもしれません。
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トンネルとは、コパン川の浸食で崩れたアクロポリスの東面からトンネルを掘って重層的に建設された古い時代の建物を調査した時のもので、
その一部が公開されて埋もれていた建物や彫刻を目にする事が出来るものです。 折角コパンまで足を運んだのなら見逃せないと思いますが…。
(訪問日 2003年 8月24日、2015年 1月15日)
(El corte arqueológico de Acrópolis)
これはコルテと呼ばれるアクロポリス東側の断面です。 コパン遺跡の調査が始まった 19世紀には東の広場の東側に建造物 19 と 20 がありましたが、
その後コパン川の氾濫で崩落してしまったそうです。 1930年代に河川の改修が行われ 川の流れは遺跡から遠ざけられましたが、崩れた断面は
トンネル調査が始まった 1989年以降に現在見る形に石材で補修されています。
断面に開けられたマヤアーチは調査抗の入口で、ここからトンネルを入れて古い建物の側面に沿って掘り進んで調査を行った結果、
トンネルの全長は 4Km にもなったそうです。 1999年にこのトンネルの一部が観光用に解放され、入口はアクロポリスの東の広場にあります。
ロス・ハグアレス (ジャガー) の トンネル TUNEL - LOS JAGUARES
(Entrada y salida del Túnel - Los Jaguares)
観光用のトンネルはふたつあり、東の広場の東端の階段 (写真手前の白い扉が開けられている所) を降りていくのが ロス・ハグアレス (ジャガー)
のトンネルで、出口は広場の北東角 (写真右奥) です。 東の広場はジャガーの彫刻が残される事から、別名ジャガーの広場と呼ばれ、
この広場の下に掘られたトンネルはロス・ハグアレスのトンネルと命名されているようです。
(Bajada a ingresar al Túnel)
ロス・ハグアレスのトンネルは崩壊した建造物 20 周辺の地下建造物を調査したトンネルで、全長は 700m あり、その内の 80m が公開されているそうです。
それでは階段を降りてみます。
(Tumba Galindo)
階段を降りて左に曲がると直ぐ目の前に ガリンドの墓があります。 ガリンドの墓と言ってもガリンドは被葬者ではなく、コパンを再発見して
欧米に紹介したのが当時の中央アメリカ政府のフアン・ガリンド大佐で、ガリンド大佐が 1834年にこの墓を発見し調査した事からその名が残されます。
下の写真 (上の2枚の写真の下の方) にある説明プレートの奥が上の写真の墓室です。 発見時には朱塗りの副葬品が床や左右の4つの窪みに置かれていて、
骨の他、土器類、黒曜石のナイフ、ビーズ玉、二枚貝や貝製の首飾り等が見つかっており、10代王 月ジャガーの王墓の可能性が指摘されるようです。
(Pasillo interior)
ガリンドの墓はトンネル調査で初めて見つかったものではなかったですが、墓の先はトンネル調査で初めて明らかになった所です。 墓を回り込んで
(写真上) トンネルを進んでいくと東の広場 (ジャガー広場) の下に埋もれていた建物の側面 (写真下) に出て、通路の奥の照明で
照らされた所にガラスが嵌め込まれた覘き窓があります。
(Basamento Ante)
これは覗き窓から見える地下建造物で、アンテ基壇と名付けられた建造物の西側正面を北から南方向へ横から見た所で、奥の方に漆喰彫刻が
見えています。 アンテ基壇は失われた建造物 20 の地下建造物になり、540年頃に築かれたもので、ティカルに似た建築様式になっている
そうです。
(Pasillo interior)
通路を西側に回り込むと、横から見えた漆喰彫刻を正面から見えるようにもうひとつ覗き窓が設けられています。 上の写真で
照明の付いた所の右側が窓で、窓の真ん前に大きな漆喰彫刻があります。
(Mascarón de Guacamayo)
これがその漆喰彫刻で、同じ彫刻の正面右寄り (写真上) と左寄り (写真下) です。 マヤで輝かしい成功を象徴するコンゴウインコの図柄が
施され、作られた当時は赤や緑の華麗な彩色が施されていたようです。 コンゴウインコの漆喰彫刻はアンテ基壇の中央階段の左右に配されており、
階段を挟んで北側にも同じ彫刻が配されます。 更に北側面にはより大きな図柄で同じコンゴウインコが表されます。
(Pasillo interior)
アンテ基壇の正面階段に行くには また通路を回り込んでいきます。 実際 調査用のトンネルも建物の側面を這うように掘り進んでいき、高温多湿や
害虫に悩まされ、1日掘っても 1mも進まない大変な作業だったようです。
(Grada Jeroglífica de Ante)
アンテ基壇の中央階段前に来ると、また覗き窓があり、階段に刻まれた碑文があります。 上が埋もれたままで階段全体は見えませんが、
碑文は中央階段の6段目にあたります。 説明プレートによると、碑文には7代王 睡蓮ジャガーの名前と 542年の日付がありますが、
10代王 月ジャガーが 573年に中央階段に置きなおしたものと考えられるようです。
(Grada Jeroglífica de Ante)
碑文は横に長いので写真を2枚撮って繋いでみましたが、ガラスの中の暗い所なのであまり綺麗に撮れません。
7代王 睡蓮ジャガーの碑文と言う事で、現地の案内プレートには王の在位が 504-542年と書かれていますが、この王の在位期間については別の資料で、
524-532年だったり、504-524年だったり、まちまちです。 8代王以降は在位年はほぼ定説が確立してますが、アンテ基壇の碑文はコパン王朝の歴史が
まだ充分解明されていない時代のものになり、コパンの歴史に新たな光を当ててくれる資料になるかもしれません。
(Basamento Ante y Mascarón de Guacamayo)
西を向いたアンテ基壇の正面には碑文のある中央階段と、その左右にコンゴウインコの漆喰彫刻があり、中央階段右の漆喰彫刻と階段の碑文は既に見た
通りです。 更にトンネルを進んでいくと中央階段左の漆喰彫刻があります。 上の写真がその彫刻で、右側と同じ図柄なので説明は省きます。
アンテ基壇西正面の階段と漆喰装飾はアクロポリスの東広場の真下にあり、トンネルの上は観光客が歩き回る広場です!
(Pasillo interior)
アンテ基壇の北側に回ります。 ここにも基壇に施された漆喰彫刻があり、覗き窓が設けられています。
(Mascarón en el costado norte de Ante)
階段の無い北側の基壇には より大きなコンゴウインコの姿が描かれますが、残念ながら中央部は壁で見えず、左右の覗き窓からは図柄両端の
飾りの部分しか見れません。 説明プレートに全体が描かれた模写 (上から2枚目の画像) がありますが、実際の彫刻がどういう状態にあるのか、
何ともフラストレーションが残ります。
(Mascarón norte en 2003)
2003年に来た時の写真と比べてみました。 この時は東端から もう少し内側まで覗けたみたいですが、耳飾りの部分までで中央にある顔の
正面はわかりません。 照明のせいか カメラのせいか、より赤味がかって写っています。 漆喰彫刻はガラス窓で保護されており、
通路の外気を遮断して温湿度管理が行われている筈ですが、表面は徐々に劣化しているのでしょうか。
ロス・ハグアレスのトンネルのメインになるアンテ基壇は以上ですが、トンネルを出る前にもう 1カ所見どころがあります。
(Sistema de Desagüe o Baño)
アンテ基壇北側に シスネ(白鳥)と呼ばれる建造物があり、貴族の居住区だったと考えられます。 ここから広場からの雨水を集めて
東のコパン川に流す 排水システムが見つかっていて、角には水盤のようなものがあります。 水浴に用いられたと言われますが
トイレだったと面白おかしく言うガイドもいます。 実際の所どうだったのでしょう? 壁面には5ヶ所以上の四角い穴が開けられていて、
換気に用いられたのか、足場を固定する為のものだったか、用途ははっきりしません。
(Salida del Túnel - Los Jaguares)
排水システムを見て階段を登ると写真にある出口から広場へ戻ります。 トンネルはもうひとつあり、次のロサリラのトンネルへ行ってみます。
ロサリラ の トンネル TUNEL - ROSALILA
(Entrada del Túnel - Rosalila)
ロサリラのトンネルの入口はロス・ハグアレスのトンネル出口から筋向いの広場南西角にあります。 建造物 16 を上に見ながら中に
入ります。
(Explicación de Rosalila)
トンネルに入るとロサリラを説明したプレートがあります。 ロサリラは 10代王 月ジャガー (553-578年) により 571年に完成された神殿で、
その後 13代 18ウサギ王 (695-738年) が築いた方形の建造物で覆われますが、神殿は屋根飾りもそのままに漆喰を上塗りして丁寧に
埋められており、これが 1989年からのトンネル調査で発見されたのでした。 18ウサギ王のピラミッドもその後 16代ヤシュ・パサフ王により
更に大きなピラミッドで覆われ、これが現在遺跡で見る 建造物 16 になります。
(Réplica del Templo Rosalila en el Museo de Escultura)
トンネルではロサリラのほんの一部しか見れませんが、発掘調査の成果は彫刻博物館に当時の彩色で実物大に復元されたレプリカで 見る事が
出来ます。 写真は博物館の入口のトンネルを抜けると目に飛び込んでくる レプリカで、博物館の中庭中央に実物同様 西を向いて
建てられています。 神殿正面は幅が 18.5m、高さは 14m あるそうです。
(Unico pasillo)
階段を降りると西に向かって通路が伸びています。 でも写真にある通路がロサリラ・トンネルのほぼ全てで、通路に設けられたふたつの覗き窓から
発掘されたロサリラ神殿の一部を見る事になります。 通路は神殿の北側面に平行していて、神殿の側面は 12.5m ですから、
トンネルの長さは 10m を少し超える程度のごく短いものになります。
(Ventanillo al fondo del pasillo)
トンネルを突き当りまで行くと左手に斜めに取り付けられた覗き窓があり、神殿が見えますが、これは神殿一層目の壁面上部で北西角に
あたります。
(Esquina noroeste de la parte superior de primer cuerpo)
これが覗き窓の中で、写真中央の北西角から右側に神殿の西正面が広がり、左側は神殿の北側面の西の部分になります。 神殿の入口がある
壁面下部は埋もれたままで、見えているのは壁面上部だけです。
(Esquina noroeste en la Réplica)
レプリカの写真から北西角の部分を切り出してみました。 西を向いた神殿は 中央に太陽神の大きなマスクが飾られ、左右に双頭のヘビが伸び、
建物角でヘビの開けた口から人の顔が現れます。 左側で口を開けたヘビの周辺が およそ覗き窓から見えている部分で、神殿の北西角になります。
残念ながら顔の部分は実物では不鮮明ですが、左側にある窪みの中の小さな顔は確認できます。
(Fachada central, vista lateral)
トンネルはここで終わりなので、正面の壁面彫刻はこの写真以上には見えません。 トンネルを少し伸ばして中央の太陽神のマスク彫刻も見せて欲しい
ところです。
(Fachada norte, vista lateral)
同じ覗き窓から北側面を横から見てみました。 奥の方には西側正面同様 中央に配された大きな太陽神のマスクが確認出来ます。
(Máscara superior)
大きな太陽神のマスクの上には小さなマスクも見えました。 これは一層目の屋根飾りに当たる部分で、写真は不鮮明ですが、目、鼻、口が見えます。
ロサリラのトンネルは神殿一層目の壁面上部に沿って掘られたトンネルで、入口のある壁面下部や二層目以上の確認の為には更にトンネル網が縦横に
張り巡らされますが、公開されているのはここだけです。
(Fachada norte en la Réplica)
これはレプリカで見た北側面の壁面上部全体で、奥の覗き窓からは右端の部分 (西側) と中央のマスクが横から見えていました。
(Mascarón central de la fachada norte)
トンネルの途中にある もうひとつの覗き窓からは北側面中央の太陽神のマスクが目の前に見えます。 残念ながら通路にある照明が映り込んで見辛いですが、
レプリカと比べると大分崩れているようです。
(Escultura al lado izqierdo del Mascarón central)
こちらは太陽神のマスクの左側で、ヘビの模様の上に飾り窓があり、中に横向きの小さな太陽神が見え、右脇には縦に伸びるケツァールの羽飾り
の一部も確認出来ます。
ロサリラのトンネルはこれでお終いです。 もう少し見学場所と照明などの見る環境を整えて貰えればと思いますが…。
(Panel colocado en frente de Estructura 16 que ilustra sus sub-estructuras)
この画像は 建造物 16 の前に置かれたパネルを写真に撮ったもので、ロサリラ神殿を始めとした地下建造物が重層的に築かれていった様子が
イラストで示されます。
ロサリラ神殿には博物館で復元されていない基壇と中央階段も描かれ、この階段碑文から 571年と言う神殿の完成時期が特定されています。
更にその下には初代ヤシュ・クック・モを表した漆喰彫刻が有名なマルガリータ神殿があり、ここではヤシュ・クック・モの妃と考えられる
埋葬も見つかっています。 更に下層のイェーナル神殿は 2代王ポポル・ホルによって作られたもので、極彩色の太陽神の漆喰彫刻が発見されています。
そして最下層になるフナル神殿ではヤシュ・クック・モの墓所も確認され、こうしたコパン初期の歴史解明は全て 10年近くにわたる
トンネル調査によるものでした。
トンネル調査はアクロポリスの北側の建造物 26 にも及び、
コパン遺跡の記念碑 II
の冒頭で紹介済みの石碑 63 やモッツモッツ神殿の蓋石もこの時のトンネル調査で発見されています
ふたつのトンネルに入っても見られるのは およそこの程度です。 たったこれだけか、と言ってしまえばそれまでですが、コパン王朝史解明に
至った 10年近くに及ぶトンネル調査の一端でも 実際に目にする事が出来るのは貴重な体験ではないでしょうか。
トンネルの入場料が高いか安いか、これはそれぞれの判断にお任せしましょう。