マヤ遺跡探訪

LAS SEPULTURAS - COPÁN
                  ラス・セプルトゥーラス
コパン中心部から北東へ 1Km 強の所に ラス・セプルトゥーラスと呼ばれる区域があります。 埋葬が多く発見され ラス・セプルトゥーラス (埋葬) と名付けられましたが、その後の調査で 広場を中心とした建築複合が 40以上 確認され、 貴族が自らの居所に墓地を設けた貴族階級の居住区だった事がわかってきました。

コパン中心部 とサクベ (マヤの白い道) で繋がっていましたが、現在はサクベが閉じられているので、一度国道に戻って入り直します。  入場料はコパン中心部と共通です。

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    (訪問日 2003年 8月24日、2015年 1月16日)
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ラス・セプルトゥーラス     Las Sepulturas
国道を北東方向へ 1Km 以上行くので、トゥクトゥク利用がお勧め。 国道を右に折れて、ラス・セプルトゥーラスの入口事務所まで連れて行って くれます。 ここでコパンの入場券を見せて遺跡エリアに入ります。

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  (Centro de Visitantes de Las Sepulturas)

黄色く塗られた建物が入口事務所で、横から見た所です(正面は向かって右側)。 事務所を抜けた所に案内板が2枚あり、若干の説明と ラス・セプルトゥーラスの地図があります。

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              (Mapa de Las Sepulturas)

これがラス・セプルトゥーラスの地図です。 左下から右上に伸びている点線がマヤの時代のサクベで、サクベが閉じられていなければこのルートで コパン中心部からラス・セプルトゥーラスへ直接来られるのですが、国道から入り直して、現在位置は Centro de Visitantes と書いてある入口事務所です。

修復されて見学できるところは 書記の家 (Casa del Escribano) のエリアに、南西部の 貯水槽 (Reservorio) と 王の広場 (Plaza Real)、更に北東部の 入り口近くにある天上の宮殿 (Placio Celestial) になります。

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  (Hacia Casa de Escribano)

入口から南に進んでサクベに出て直ぐに写真の分岐点があります。 サクベは右方向に続いていきますが、中心部へは左の道を進みます。

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  (Hacia Casa de Escribano)

暫く進むと修復された石組みに保護の為に取り付けられた屋根が見えてきます。 下の写真の左側の石組みの向こうが広場 C ですが、そのまま南へ。

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  (Llegando a la área de Casa de Escribano)

開けたスペースに案内板が設置されていて、ラス・セプルトゥーラスの建築複合が最大 250人位収容でき、中庭を中心に異なる大きさと格の建物が 配置されて工房や神殿、祭壇、倉庫や調理場として使われていたと説明されます。 ではここから書記の家のエリアの探索開始です。


書記の家    Casa del Escibano
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             (Mapa de área de Casa de Escribano)

ウェブでラス・セプルトゥーラスについて調べていてこの地図を見つけました。  uncovered history と言うページで、主催者に連絡を取り地図の使用をご了解頂きました。 書記の家のエリアのみですが、ここは複雑に入り組んでいるので 地図は大変参考になります。  現在位置は広場 C の横を通り過ぎて広場 E の北側です。


< Plaza E >

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  (Exterior de Plaza E vista desde norte)

まず広場 E から。 左手前が建造物 97、右が建造物 96 で、この間を通って広場 E に入りました。

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  (Plaza E vista desde norte)

建造物 97 と建造物 96 の間は石が敷き詰めてあり、ここから埋葬が発見されています。

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  (Sepulcros al lado de Estructura 97)

建造物 97 の南西角に墓穴と蓋石があり(写真左)、同じ建造物 97 の南面の中央階段左(西)にも墓穴があり、建物の下に石棺が作られています。

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  (Plaza E)

広場 E をパノラマ合成しました。 少し歪んでいますが、左側に建造物 95 の基部、中央から右側が建造物 91 から 92、その奥が広場 F で、 写真左奥には広場 A が見えています。

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  (Plaza E)

左手前が建造物 97 の中央階段、中央右寄りに建造物 95 の基部、中央奥が広場 A の建築複合です。


< Plaza A >

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  (Plaza A)

広場 A に入りました。 ここがラス・セプルトゥーラスで一番有名なところで、書記の家の名前の由来となった建造物 82 (9N-82) があり、少し 詳しく説明を加えます。 他の広場については資料が少なくあまり説明出来ないので…。

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 (Estructura 9N-82 Casa de Escribano y Estructura 81 a su lado)

左が建造物 82、右の階段が見えるのが建造物 81 です。

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 (Vista frontal de Estructura 82)

正面から見た建造物 82。 保護の屋根が付いていますが、壁面の彫刻も内部のベンチの彫刻も複製に置き換えられています。 壁面彫刻のオリジナルは遺跡入口の所にある 彫刻博物館に、ベンチのオリジナルはコパン村の地方博物館にそれぞれ移されています。

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 (El Exterior de Estructura 82 reconstruido en el Museo de las Esculturas)

これが彫刻博物館内に修復保存されている壁面で、戸口の上の壁面上部まで補修されていて、有力貴族の住いの様子が窺い知れます。

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           (Figura de personaje en el nicho central)

復元された戸口上部の壁龕には人物像の彫刻があり、中央の人物像がこの建物の主、左右はその家族と考えられるようです。 主は高位の貴族で 書記と言う事になります。

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           (Escultura de Escribano o Pauatun al lado de Entrada)

これは戸口左右に配された壁面彫刻のオリジナルで、ヘビで縁取りされた壁龕の中に右手にペン、左手にペン皿をもった人物像が描かれます、顔が無くなって 居るのが残念ですが。 人物像は書記の守護神にもなる神パウアトゥンで、下の丸い模様は家を表す "ナ" で、書記像と併せて「書記の家」 となるようです。

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                                (Estatua de Escribano, Museo de las Esculturas)

彫刻博物館の復元された壁面の前に書記の像が置かれており、建造物 82 からのものかどうか書いてありませんが、こうした書記がこの建物の主だったと 思われます。

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  (Réplica de la Banca Esculpida en Estructura 82)

建造物 82 の中には彫刻されたベンチがあり、彫刻は複製ですが、ベンチがどのように置かれていたかわかります。

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  (Banca original exhibida en Museo Regional de Copan Ruinas)

こちらはコパン村の地方博物館に移されたオリジナルです。 

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 (Glifos jeroglíficos de cuerpo entero)

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 (Escultura de Pauatun)                    (Cabeza de Pauatun en Museo de Las Esculturas)

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 (Escultura de Bacab)                     (Escultura en mozaico de Yax Pasaj)

ベンチは左右の長さ 6.5m、奥行き 2.3m もある大きなもので、側面は全身像のマヤ文字で埋め尽くされ (写真上)、左右のパウアトゥン神 (写真中央左) と中側の4体のバカブ神 (写真下左) が刻まれた柱で支えられています。

マヤ神話ではパウアトゥン神はワニの背中で出来た大地を支える老神で、大地の四方でバカブ神が天空を支えていると言われます。 パウアトゥアン神は 横向きですが、前歯が2本のパウアトゥン神像 (写真中央右、16代ヤシュ ・パサフ王の居所とされる建造物 11 の 4隅に置かれたもの) と同じようです。  バカブ神は神話と同じ4体あり、上に座る主が天上人という事でしょうか。

帯状に記された神聖文字には、このベンチが 781年にヤシュ・パサフ王の聖なる文書を管理するマク・チャナルと言う貴族に捧げられた事が記され、背もたれの 部分(写真下右)にはパウアトゥンが生まれ出るヘビの上に座るヤシュ・パサフ王が刻まれているそうです。

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 (Glifos encontrados en el peldaño de Estructura 82)

建造物 82 の中央階段には一部神聖文字の彫刻が残されます。 オリジナルか複製か、また何が書いてあるのかわかりませんが、建造物 82 が それだけ手の込んだ重要な建物だったという事は言えそうです。


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 (Estructura 83)

広場 A 東側の建造物 83 には中央部に張られたロープに幕が取り付けられていました。 何があるのか期待しましたが、階段状に漆喰でスロープが 設けられているだけでした。 (これは建造物 26 の神聖文字の階段を覆う屋根の試作品だったようです。 でも何でこんな所に??)

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 (Estructura 83 en 2003)

念の為に 2003年に来た時の写真と比べてみました。 角度が違いますが同じ建造物 83 です。 スロープらしきものは影も形もありませんが、 一体何を作っているのでしょう?


< Plaza C >

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  (Estructura 69 en el centro de Plaza C)

広場 A の北側に広場 B と C があり、これは西側の広場 C で、中央が一番大きな建造物 69 です。

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  (Estructuras 71, 70 a la izquierda y 73 a la derecha)

上の写真に東西側面をパノラマ合成しました。 左(西側)は建造物 71 と 70、右が建造物 73 です。

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 (Tumba encontraca al frente de Estructura 69)

中央の建造物 69 の前面東側に墳墓が発見され、蓋石を上げた状態で保存されています。 立派な作りで高位の貴族の埋葬だったでしょうか。

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 (Plaza C vista desde Estructura 69)

これは建造物 69 の上から広場を見下ろしたところで、手前に上で見た墳墓、広場の向かい側に保護の屋根が付いた建造物 72 が見えます。

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 (Estructura 72 y las bancas en su interior)

建造物 72 は左右に二部屋あり、共にベンチが据え付けられて居ます。 右の大きい方の部屋には背もたれのある大きなベンチがあり(写真中)、 左のやや小さい部屋のベンチには漆喰の上に塗られた赤い彩色がまだ残されます(写真下)。


< Grupo B >

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 (Exterior de Plaza B vista desde sur)

広場 B に移ります。 写真は広場の南西の外側から見たところで、手前が建造物 75、奥の覆いが付いた建物が建造物 67 です。

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 (Plaza B con Estructra 67 en el centro)

広場に入って左から正面北側の建造物 68、67、広場東側の建造物 74 と南側の建造物 75 です。

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 (Estructura 67 y banca en el interior)

屋根のついた建造物 67 は戸口左右にゴザ目のある彫刻が施されていて高位の貴族の居所のようです。 横にも入口のある居室には漆喰が塗られた大きな ベンチが残されます。

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 (Plaza J ?)

更に東側の広場 D に向かいます。 写真は広場 J から見返して西方向で、建造物 sub 17 越しに広場 C 建造物 69 の東側面が見えます。


< Grupo D >

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 (Exterior de Plaza D vista desde oeste)

東に目を転じて、西の外側から見た広場 D です。 右手前は建造物 104 になるでしょうか。

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 (Estructuras 111, 63 y 105)

広場 D に入り、左が建造物 111、右が建造物 63 (写真上) と、建造物 63 から右隅が建造物 105 です (写真下)。 広場 D だけ 敷き詰められた石材が露出しており、この上に漆喰が塗りこめられていたようです。

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 (Area de excavación conservada)

広場 D の北側に屋根が取り付けられた部分があり、発掘修復の過程がわかるように、発掘前、発掘中、そして修復後の状態がそのまま保存されているそうです。


貯水槽 と 王の広場    Reservorio y Plaza Real

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ラス・セプルトゥーラスの西の区域にも建物が修復されたエリアがあり、行って見ます。 貯水槽 と 王の広場 です。

  < Reservorio >

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         (Panel de explicación)

書記の家から地図の点線を辿って西方向へ行くと、最初に貯水槽(Reservorio) というエリアに出ます。 修復された建物が貯水槽という訳ではなく、 地図に四角く囲った部分があり、ここに‎生活用水の確保と、大雨や川の氾濫に対する治水の役割を持った貯水槽が設けられていたそうです。

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 (Area de Reservorio)

現地に置かれた説明板には、上に記したような貯水槽の役割に加えて、この貯水槽を有するラス・セプルトゥーラスの重要性が語られていました。  写真は貯水槽の北に位置する建物群ですが、貯水槽の管理を行う場所だったでしょうか?


< Plaza Real >

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 (Plaza este de grupo Plaza Real)

貯水槽の更に西側に広場を中心とした建築複合がふたつあり、王の広場と名付けられています。 このパノラマ画像は東側の建築複合で、大きな広場の 空間が確保されています。

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 (Plaza este de grupo Plaza Real)

上の写真はパノラマ画像の左側になり、およそ南を向いて、奥にコパン川が流れています。  下はパノラマ画像の右部分で、広場の北側にあたり、右側の建物は建造物 9M-25 と番号が振られていました。

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 (Una banca recuperada)

建造物 9M-25 の西側の小振りの建造物にはまだ漆喰の残るベンチがあり、貴族の居所だったようです。


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 (Hacia Plaza oeste)

道は更に西に伸びていて、西側にもうひとつ建築複合があり、こちらは東側の建築複合より小さ目です。

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 (Plaza oeste de grupo Plaza Real)

広場に入って、上は広場の南東側、下は西側です。 王の広場については案内板の設置はなく、名前の謂れを含めて何もわかりませんが、 コパン中心部により近い立地で王の広場と命名されており、王族の居所だったのかもしれません。


川沿いの小道    Sendero del Río
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ラス・セプルトゥーラスの見学コースであと残されたのは天上の宮殿ですが、端から端に行く事になり (地図の左下から右上へ)、 書記の家のエリアの広場 D を抜けて川沿いの道を辿ります。

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 (Río Copán al lado de sendero)

川沿いの小道を行くと途中 部分的に修復された建物があり、コパン川を説明する案内板がありました。

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 (Panel de explicación)

コパン川は源流が東のガリネロ山系に求められ、 コパン遺跡の南側を通り、水源から 38Km でグアテマラ国境に至ります。 グアテマラではホコタン川と名を変えて、翡翠の産地のモタグア谷でモタグア川に 合流した後キリグア遺跡の南を通ってカリブ海に注ぎます。 コパンはこの豊かな水源を農耕や交易に利用して何世紀にもわたり繁栄し続けた事になります。

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 (Estructuras restauradas a lo largo de sendero)

川沿いの遺構は川の見張り的な役割を持っていたかもしれませんが、長年にわたって蛇行していたコパン川ですからマヤの時代もここを流れていたとは 限りませんね。

王の広場を出て およそ 15分位歩くと次の天上の宮殿が見えてきました。 


天上の宮殿    Palacio Celestial
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もう出口近くですが、ここは書記の家に次いでもう一つのラス・セプルトゥーラスの見どころです。


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 (Lado trasero de Palacio Celestial)

川沿いの小道から来たので天上の宮殿の居住グループの裏側に着きます。 コパン中心部からのサクベはこの天上の宮殿まで伸びているので、 サクベを通ってくると宮殿の西側正面に出ますが、まず裏側の遺構を目にします。

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 (Estructura 8N-66 vista del sur)

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 (Estructura 8N-66 central)

北側から回り込んで(写真上)、修復された建物の正面(写真下)にでます。 ラス・セプルトゥーラス地域は 80年代に整備されますが、ここ天上の宮殿の複合は 1990年に建物がふたつ発掘修復され、写真の大きな建物が建造物 8N-66 central、奥の小さい方が 建造物 8N-66 sur になります。

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 (Panel de explicación)

マヤの天文暦は太陽と月の蝕や 惑星の運行を記録し、神官は天文観測を通じて特定の天文現象を予言しました。 建造物 8N-66 の内部には天空のベンチと 呼ばれるベンチがあり、ここに天文を司る神官が座って天文の動きを観察していたと考えられるようです。 写真は現地に置かれた説明板です。

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 (Replica de Banca Celestial antes de instalar en la posicion original, foto en 2003)

2003年に来た時は建物の前に彫刻された石材が無造作に転がっていましたが、これは用意された天空のベンチの複製で、現在はオリジナルのあった場所に 設置されています。

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 (Banca Celestial original en el Museo de las Esculturas)

大切なオリジナルの方は彫刻博物館に移されて展示してあり、上が全体で、下は中央部を拡大したものです。  両端に天界のシンボルである神話上の鳥が 配され、左から月の女神、昼間の太陽、夜の太陽、金星が見事な全身体のマヤ文字で表され、間に天の川を象徴する仮面が3つ配されます。 ベンチを 支える柱には書記の家のベンチ同様 4体のバカブ神が刻まれます。

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 (Esculturas recuperadas de Estructura 8N-66 central)

建造物 8N-66 central の上部構造は残念ながら崩れて復元されていませんが、彫刻博物館に回収された壁面装飾の一部が展示されています。 マラカスの ような打楽器が 12本とエクセントリック石器の形をした屋根飾りが2つあり、戸口左右は太陽神の彫刻が施されていたようです。 太陽神は生贄の結び目の 形をした胸飾りを付けており、軍事指揮者の家だったとも考えられるようです。 天文も軍事も司ったのでしょうか。

コパン中心部のアクロポリスにある建造物 22A はキリグアの下剋上でコパンが弱体化した後、有力貴族が合議を行った場所として知られますが、壁面に 9名の有力貴族の像が刻まれ、生贄の結び目の胸飾りを付けた貴族が1人いる事から、この有力貴族が天上の宮殿の主で9人の首長の1人だった可能性が 指摘されます。

年号を表す碑文は見つかっていませんが、回収された土器類から建造物 8N-66 の建造時期は 750年頃と考えられるようです。


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 (Estructura 8N-66 sur)

南側にある建造物 8N-66 sur は小振りですが、中に漆喰の残るベンチがあり、更に外壁が屋根飾りまで復元されて 彫刻博物館に展示されています。

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 (El Exterior de Estructura 8N-66 sur reconstruido en el Museo de las Esculturas)

壁面は若いトウモロコシの神々で飾られ、屋根飾りには葉を伸ばしたトウモロコシが置かれます。 壁面上部の壁龕の中には建物の守護神として3体の 老カトゥン神が刻まれ、戸口左右に配された仮面からは睡蓮やトウモロコシが芽を吹き出し、全体として支配者にとって重要な豊穣がテーマに なっているそうです。

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 (Escultura del Señor K'atun en el nicho central)

これは中央の老カトゥン神の拡大で、両手で印を結んでいるような仕草が興味を惹きます。 手の位置が3体それぞれで、何か意味しているのでしょうか?

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 (Estructura 8N-66 central y sur)

建造物 8N-66 の全体です。 北側にも南と同様の建造物があったよう見えますが、残念ながら復元されていません。


他の博物館の展示品    Otras esculturas en el Museo de las Esculturas
彫刻博物館にラス・セプルトゥーラスからの彫刻が他にもあるので、画像だけ紹介しておきます。

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 (Banca Jeroglífica de Estructura 9M-146, Museo de las Esculturas)

素晴らしい全身体の碑文で飾られた 碑文のベンチが展示されています。 書記の家から西へ 150m 位の所で発見されたもので、建造物 9M-146 から となっています。


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 (Esculturas recuperadas de Estructura 9M-125, Museo de las Esculturas)

同じく書記の家の西側にある建造物 9M-125 を飾った彫刻の一部です。




遺跡を発掘、調査、修復する過程でいろいろな史実が浮かび上がってきます。 かなり研究し尽くされたコパンでも、ここラス・セプルトゥーラスや ラストロホンなど周辺部での発掘調査が続きます。

738年に 13代 18ウサギ王がキリグアによって廃された後、コパンは9つの地域に分かれて分割統治され、アクロポリスの建造物 22A ポポル・ナはその合議の場として 壁面上部には9人の統治者の像が地域を表す文字と共に飾られます。 これ等の統治者が何処に居を構えていたのか。

エル・セメンテリオの建造物 32 は 16代ヤシュ・パサフ王の親族の居所で、9つ地域のひとつとされ、既に見てきたように天上の宮殿もそのひとつだった可能性が指摘されます。 居所の建物の作りから、 書記の家やラストロホン、豪華な碑文のベンチがあった建造物 9M-146 あたりもその候補かもしれません。 更に新しい発掘で史実が解き明かされると面白いのですが、 既に崩れ去った建造物はもう永遠の闇でしょうか。



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