マヤ遺跡探訪

ESTELAS DE LOS LIMITES - COPAN
           コパン遺跡周縁部の石碑
有名な13代 18ウサギ王 (在位 695-738年) の前の、12代 煙イミッシュ王(煙ジャガー) (在位 628-695年) は長命で、 在位中にコパン王朝の勢力を大きく伸ばし、 コパン谷の西に石碑19 と 10、東に石碑12、北東に石碑13 を残します。

ラストロホンを案内して貰ったトゥクトゥクの運ちゃんが周辺の石碑も案内出来ると言うのでお願いしました。 ラストロホン を含めて丸半日のミニツアーです。

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    (訪問日 2015年1月16日)
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       まず石碑の場所を確認しましょう。("Location" ボタンをクリックすると大き目の地図が開きます。)

       ラストロホンの北東に石碑ペタピーリャ、石碑13、コパン遺跡とコパン遺跡村を通り越して西の
       方向に石碑19と石碑10、途中遺跡と遺跡村の間に石碑5 と石碑6 があります。 地図の赤い
       線は当日通った軌跡です。



石碑ペタピーリャ    Estela Petapilla
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  (Ubicación de Estela Petapilla en Google Earth)

ラストロホンから国道11号に戻り北東へ約 1Km 行った所がペタピーリャの入口で、地図右上の赤丸で囲った所に石碑があります。

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 (Entrada o punto de invasión al Estela Petapilla)

写真左の看板がある所がペタピーリャの入口で、ここから鉄条網を乗り越えて斜面を登っていきます。 入口と言うより侵入口と言った 方が正しいでしょうか。 看板はペタピーリャを示すものではなく、コパン遺跡へようこそと書いてあるものです。 右の写真は 鉄条網を超えた所で、写真が小さくてよく見えませんが鉄条網があります。

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 (Hacia Estela Petapilla)

石碑を覆った屋根が下から見えますが、5分程かけて高低差 30m 位の斜面を登っていきます。 観光客が1人で行ける所ではなく、 地元の人の案内がないと無理でしょう。

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 (Estela Petapilla bajo techado)

斜面を登り切って、保護の屋根の下です。 石碑は凡そ東西を向いていて、西側に円形の祭壇が4つ並んでいました。

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 (Estela Petapilla, lado oeste y este)

これが石碑ペタピーリャで、左が西面、右が東面です。 彫刻があったようにも見えますが、あったかどうかも判らない位に風化しています。  ペタピーリャについては調べても何も資料が見つかりませんでした。 名前の謂れ、いつ誰が建てた石碑か、全て不明ですが、ラストロホン と共に石碑13 と西の石碑19、10 を結ぶ線上にあります。

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 (Altar circular en frente de la Estela)

一番西側の大きな円形祭壇には側面下部に彫刻が明瞭に残りますが、石灰岩で作られているようで風化が著しいです。

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 (Las colinas y Río Copán)

石碑ペタピーリャから東に見える丘陵(写真上)と、南西側へ下っていくコパン川(写真下)です。 石碑については何もわかりませんが、 その立地から戦略的に重要な場所だったように見えます

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 (Salida de Estela Petapilla rumbo a Estela 13)

トウモロコシ畑を通って国道まで降ります。 写真右は東へ伸びる国道で、石碑13 はこの先です。


石碑13    Estela 13
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 (Ubicación de Estela 13 en Google Earth)

国道をまた北東方向へ 1Km 少々、石碑13 は国道の右(南側)で、赤丸の中です。

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 (Hacia Estela 13)

トゥクトゥクは国道脇に駐車、運ちゃんの後について民家の脇を通り 100m 程 細道を下っていきます。 石碑は民家の私有物ではありませんが、 庭先を通っていくので、民家には一応断りをいれていました。

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 (Estela 13 bajo techado)

石碑13 は前方に円形祭壇を伴い、北西向きに建てられているようです。 でも図像は無く 4面とも全て文字で埋め尽くされていて、前後面と側面の 区別はつくものの、果たしてどちらが前面なのか?

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 (Altar circular en frente de Estela 13)

これが石碑の北西側にある円形祭壇で、側面に大きな神聖文字が見えます。

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 (Estela 13, lado noroeste y sureste)

左が北西を向いた面で、右は反対の南東側です。 両面とも2列10段の計20文字が刻まれ、内容が読めないものにとってはどちらが 前面なのかわかりません。 両側面にも1列10段の文字が刻まれます。

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 (Parte superior e inferior del lado sureste)

南東側の方が文字が明瞭で、写真上は石碑の上から4文字、下は基部で長方形の石の土台の前面に図像が彫られており、こちらが 前面だったのかもしれません。 でも北西側には円形祭壇を伴うし…?

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 (Estela 13 en la punta de cerro, y Río Copán que corre de este a oeste)

写真上は東側から見た石碑13 で、コパン川を見下ろす丘の先端に建てられています。 写真下左は石碑の南下に流れるコパン川、 写真下右はコパン遺跡中央部へ向かうコパン川で、こちらが下流です。

碑文の解読は十分ではないようですが、9.11.0.0.0. (652年)の日付は確認され、西の石碑19、10、東の石碑12 と共に カトゥンの切れ目になる 652年に12代 煙イミッシュ王(煙ジャガー) によって遺跡の周縁部に建てられた石碑の1本である事は判明しています。

石碑6、石碑5    Estela 6 y 5
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 (Ubicación de Estela 6 y 5 en Google Earth)

石碑6 と5 は遺跡の周縁部ではなく、どちらかと言うと中心部に近く、遺跡とコパン村の間です。 前回の訪問時は見過ごしていたので ここで紹介しておきます。 左の赤い丸が石碑6、右が石碑5 です。

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 (Estela 6)

こちらが西側、つまりコパン遺跡村に近い、石碑6 です。 雑草に覆われた斜面の向こうにあるので近づけず、望遠で撮りました。

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 (Acercamiento de Estela 6)

石碑6 は 682年に煙イミッシュにより奉納されたもので、王の晩年のものになります。 頭にターバンを付けた王は、コパン遺跡にある 石碑1 と似ていますが、石碑1 は 668年に建てられたものなので、石碑6 の方が後という事になります。


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                     (Estela 5 y Panel de Explicación)

こちらは東寄りの石碑5 で、階段と道が整備されているので石碑の近くまで行けます。 看板はコパン遺跡への案内で、 ここを通って歩いてコパン遺跡へ行く人の為のものでした。 石碑6 と石碑5 については煙イミッシュによりそれぞれ 682年と 667年 に建立された事だけ説明がありました。

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 (Lado oeste de Estela 5)

これは石碑の西面に彫られた煙イミッシュで、ターバンではなく豪華な被り物を付けているようです。

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 (Estela 5, lado este y norte)

これは反対側の東面と北側面で、東面にも煙イミッシュの肖像が表され、側面には大きな神聖文字が刻まれます。

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         (Altares en frente de Estela 5)

石碑の前後に 円形や矩形の祭壇が並べられていますが、詳細不明です。

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 (Estela 5 y Altares visto desde caminito hacia Ruinas)

これは遺跡村から遺跡へ向かう国道から見上げた石碑5 で、階段を登って石碑の前まで行けるので、ここを通ったら 素通りせずに立ち寄って見る事をお勧めします。



10J-45区域    Grupo 10J-45
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 (Ubicación de Grupo 10J-45 en Google Earth)

石碑19 に行く前に少し寄り道です。 中村誠一先生著の 『マヤ遺跡を掘る』 の舞台になった 10J-45 区域が 石碑6、5 の 南側になり、公開されていないとは聞いていましたが、どんなところか偵察してみました。 黄色い丸で示した所です。

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 (Grupo 10J-45)

鉄条網で囲われているので中には入れませんが、大きな木の手前に低層の遺構が見えます。 どれが45番の建造物かわかりませんが、 こんなに近くの 外見からは何でもない遺構から、王墓が見つかるとは、何とも興味深い話です。  近くの石碑6、5 とは何らかの 関連があるのでしょうか?


石碑19    Estela 19
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 (Ubicación de Estela 19 en Google Earth)

さて西端の石碑19 です。 コパン遺跡中心部から西へ直線で 3.6Km 離れています。 

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 (Estela 19 vista de lejos)

国道から南へ折れて未舗装の道を 400m 位入っていくと遠くに石碑を覆う屋根が見えるのですが、問題はここへどうやって行き着くか。  道路から石碑までは左程高低差はありませんが、一度下ってから上りです。 

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 (Ruta hacia Estela 19)

道らしい道はなく、トウモロコシを収穫した後の私有地に侵入することになり、トゥクトゥクの運ちゃんも侵入経路を探しまわっていましたが、 ともかく運ちゃんについて私有地に侵入。

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 (Ruta hacia Estela 19)

結局 畑で作業していたおじさんに案内して貰うことになり、何度か私有地の境界の鉄条網を超えて遺跡に近づきます。

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 (Estela 19)

そしてやっとたどり着いた石碑19。 石碑は南北を向いて立っています。

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 (Estela 19, Lado sur y norte)

写真左が南面、右が北面で、共に2列10段の神聖文字があり、両側面にも1列10段の文字があって、石碑13 と全く同じ作りの ようにみえます。 南面の一番上には二文字分の大きな暦の導入文字のようなものがあり、こちらが正面かもしれません。

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                     (Parte arriba del lado sur)

これがその南面の上の部分です。 彫刻が鮮明で、多分こちらを下にして倒れていたのでしょう。 石碑の奉納年は石碑13 と次に行く 石碑10 と同じ 652年で、勢力範囲を拡大した煙イミッシュ王が、自らの勢力圏を示す為にこれらの石碑を設置したと言う解釈が あるようです。

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 (Estela 19 y un altar)

石碑の西側に風化した円形祭壇がありましたが、石碑の側面ですから元々の位置からは動かされているのではと思います。

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 (Paisaje panorámico hacia norte de Estela 19)

石碑19 はコパン川から北へ 2Km 位離れた丘陵地帯で、石碑の北側には写真の通り更に高い丘陵が広がります。 この辺りまでが差し当たり 当時のコパン王国の領土だったでしょうか。



石碑10    Estela 10
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 (Redorrido en Estela 19 y Estela 10)

国道を 2Km 弱戻り、次の石碑10 の攻略です。 これが一番の難物でした。 赤い線が当日の軌跡で、黄色い線の道路から外れて、 赤だけの線の部分が実際に歩いたところです。

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 (Ubicación de Estela 10 en Google Earth)

Google Earth で石碑の位置を確認しました。 赤丸の所です。 国道は高い丘の部分を回り込む形で曲がりくねっており、地図で見る限り 西側からが最短距離になりますが、国道と石碑は高低差が 140m 位あるので、西側は崖の急斜面だったかもしれません。

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 (Subida hacia Estela 10)

国道からまた私有地の畑に分け入っていきますが、登り坂が続いて結構な運動量が要求されます。

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 (Río Copán visito de la ruta hacia Estela 10)

登り始めて 5分位で南側を見下ろしてみました。 手前に国道が走り、奥にコパン川の水面が見えます。
5分歩いただけでこれですから、 かなりの登り坂です。

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 (Acercando a Estela 10)

更に丘を登り続け、結局石碑まで 35分もかかりました。 運ちゃんが少し道を迷ったので余計時間がかかったのかもしれません。  途中の滑りやすい急斜面はトゥクトゥクの運ちゃんに手を引っ張って貰いましたが、やっと目指す石碑が見えてきます。

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 (Estela 10)

石碑は開けた丘陵の先端にあり、南西側から近づいていったようです。 石碑の周りは芝生ですから、綺麗に整備されていると言った方が 正しいでしょうか。 でも誰がどうやってここまで?

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                (Lado este de Estela 10)

これは石碑10 の西正面で、少し南側から撮っているので南側面も見えています。 石碑13、石碑19 と同様に図像はなく全面神聖文字が 刻まれますが、石碑13、19に10段あった文字が 石碑10 は9段でした。

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 (Lado suroeste, noreste y norte de Estela 10, Panel de Explicación)

石碑13、19 にはなかった説明のプレートがここには整備されていて、情報が少ないので助かります。 中心部から離れた記念物と題された 説明文は、12代煙イミッシュ王が7世紀のコパン王国の境界を示すべく、王国の西、東、北西に石碑を置いた事が説明され、石碑10 と東に ある石碑12 は天文の動きに合わせて配置された事、奉納年月日に加えて祭祀が執り行われた周辺の洞窟についても触れられている事、また多孔質の 凝灰岩で作られた石碑は長年の風化を耐えて多くの情報を現代に伝えてくれる事などが書かれていました。

石碑10 については 652年建立と煙イミッシュ王の初期の石碑になり、王の時代の繁栄と広大な支配域を示している事に加え、2.5Km 東に設置された 彩られた石碑と呼ばれる石碑12 が 1834年に発見されている事が説明されます。

上の石碑の写真は、左が石碑の西正面に南側面、中央は東正面と北側面、右は北側面になります。

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 (Estela 10)

折角時間をかけて高い所まで登ってきたのに降りるのは少々残念ですが、石碑10 を後にします。 これは帰り際 振り返って見た北西側からの石碑10 です。

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 (Tuc tuc en la Carretera Nacional)

急斜面の来た道を戻るか、距離はあるがより緩やかな坂道を帰るか聞かれたので、東側の緩やかな道を選びました。 途中民家の横を通って、 やはり 30分位かけて国道へ戻ります。 写真はこの日の愛車のトゥクトゥクです。


ロス・サポス    Los Sapos
この日はコパン遺跡を昼の12時に出て、ラストロホン、石碑ペタピーリャ、石碑13、ラス・セプルトゥーラス、石碑19、石碑10 を駆け足で 回りました。 既に午後4時半で、コパン王国の東の境界にある石碑12 を回る時間は全くありません。 コパン遺跡対岸にあるロス・サポス という祭祀の場所がぎりぎり回れるとの事だったので最後に行って見ました。

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 (Ubicación de Los Sapos en Google Earth)

コパン遺跡村まで戻り、町の南側にある長距離バス・ヘドマン・アラスの停車場から南に下ります。

(赤丸がロス・サポスで、対岸の白線で囲った所がコパン遺跡の中心部になります。)

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 (Río Copán en el sur de Copán Ruinas)

ヘドマン・アラスから南へ行くと直ぐにコパン川に架かった橋をわたります。 ちょっとトゥクトゥクを停めて貰い川の写真を撮りました。  これは東側の上流で、少し遡って左側がコパン遺跡です。

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        (Indicación a Hacienda San Lucas Los Sapos)

川を渡った所に 「アシエンダ(荘園)・サン・ルーカス、ロス・サポス」 の看板がありました。 ロス・サポスはアシエンダ・サン・ルーカスの 中になります。

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 (Hacienda San Lucas)

アシエンダ・サン・ルーカス のホームページから ロゴと写真を切り抜きました。 古い荘園を宿泊施設に作り変えた高級リゾートで、遺跡目的の旅には高すぎます。

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 (Observatorio de Hacienda San Lucas)

ロス・サポスへ行く為に、サン・ルーカスで2ドル徴収され、コパン川に面した東屋へ出ます。

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 (Ruinas de Copán observado de San Lucas)

東屋からはコパン川の対岸にコパン遺跡の石造建造物が見えてきます。 上は 105mm で撮った写真で、下は中央部をトリミングしたものです。

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 (Acercamiento de la vista de Copán)

持っていた超望遠レンズで覗いてみると、見えている石造建造物は 22号建造物と東の中庭辺りでした。


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 (Caminito hacia Los Sapos)

さてここから目的地のロス・サポスです。 薄暗い細道を下り、写真の橋を渡り、約10分位歩くと岩がごろごろした所に着きました。

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 (Sitio de Los Sapos)

ロス・サポスとは「カエル」の意味で、自然の岩の露出にカエルが彫刻されています。 マヤのみならず多くの古代文明でカエルは再生の象徴と されますが、コパン谷では後古典期を中心にカエルを豊穣、多産に結びつける信仰があったそうです。

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 (Afloramiento de piedra esculpido con los imagenes de los sapos)

これが岩肌に彫刻されたカエルだそうですが、どれがカエルか現地では理解できませんでした。 説明プレートにイラストがある、人の彫刻 (局部から放血儀礼を行っている様子だそうですが) は未だどれに当たるのかわかりません。

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 (Los sapos esculpidos)

帰国してから写真をよーく見ると、左の写真では下の方に左方向に伸びるカエルの左手がわかり、岩がまるまる左を向いたカエルだとわかりました。  右の写真は上から見たカエルの頭部で、手前に 「ヘ」 の字をした口の部分が見えます。

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 (Pequeñas esculturas en forma de sapo en el Museo de Escultura Copán)

コパン谷では小さいカエルの彫刻が数多く見つかっており、コパン遺跡の彫刻博物館にもこれらの蛙の彫刻が展示されていましたが、ロス・サポス の大きなカエルはカエルの王様と呼ばれて信仰・崇拝の対象だったそうです。



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 (Copán Ruinas al atardecer)

現地にあった説明プレートには東西の境界になる石碑と共に、ロス・サポスがコパン谷の南の境界を占めている事が書かれています。  コパン王国は東西に流れるコパン川流域に東西に長い勢力圏を有していたようです。

ラストロホンから始まって丸半日かけてコパン周縁部の石碑をまわりました。 サン・ルーカス荘園のバーで、ビールで喉を潤し一息ついていると時計も 6時をまわって 周囲が薄暗くなってきました。 コパン遺跡村の灯りを見ながら帰途に就きます。



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