MAYAS Revelación de un tiempo sin fin IV
マヤ 終わりなき時の啓示 4
OFRENDA ENTIERRO 39 DE EL PERU
エル・ペルー埋葬39の奉納品
国立宮殿のマヤ展は空前絶後の規模で、内容的にも日本で言えば国宝級、重文級の展示物が数多く出品されていました。
中でも個人的に最も興味を惹かれたのがエル・ペルー・ワカの埋葬39からの奉納品で、少し詳しく見てみようと思います。
(Primera Sala de Exhibición de "Reveración de un tiempo sin fin")
( 23 figurillas, Ofrenda del Entierro 39, El Perú-waka', Clásico Tardío 600-900, MNAE)
埋葬39の奉納品
エル・ペルー・ワカ、グアテマラ
古典期後期 (600-900年)
グアテマラ国立考古学民俗学博物館
「この復活の舞台の主役は鹿の前に跪く人物で、鹿はこの人物のアルテル・エゴ、つまりもう一人の自分、動物に例えた化身と
考えられます。 儀礼を取り仕切る 立派な頭飾りを付けた王と王妃がその大きさで際立ち、若者が2人、布を持った女性が5人、
踊る女性が2人、壺を持った女性が1人いて、更にコデックスを持つ書記が4人いて、内1人がせむし、もう1人が小人です。
また兜を付けた小人の闘士が2人とホラ貝を持った小人の楽士が1人、シャーマンとカエルと壺の形をした容器が3つあります。」
展示された奉納品に添えられた説明はこんな感じですが、
* まず衣装と動きを含めて写実的に表現された奉納品の質の高さに驚かされます。
* そして王を含め大勢の人が儀礼を行っており当時の儀礼の模様を現代に伝える貴重な資料です。
* またエル・ペルーという 名前は聞くものの 実際に行った事のない出土地にも興味をそそられます。
まずどの位よく出来ているか個別に見ていきましょう。
Co-protagonistas 共演者
(El Rey、La Reina y Enano Escriba)
これは亡くなった王の復活の儀礼を執り行う王と王妃で、大きな頭飾りと碧い翡翠の装飾品だけでなく、後ろ姿も束ねた髪と衣装が
しっかり作り込まれていました。 王の前にいる小人の書記を含めて合計3体。 上の写真で右が王、左で丸い楯を持つのが王妃です。
(Dos Figurillas Femeninas, Mujer Sosteniendo una Vasija, Figurilla Mascrina, Escriba,
Enano con Tocado de Venado, Sapo y Vasija Miniatura)
時計回りに王の右側です。 後列左右に布を持つ女性2人、左から2番目は壺を持つ女性、中央は若者で王と王妃以外で唯一
サンダルを履いています、そしてその右に男性の書記。 前列左がホラ貝を持った楽士の小人、中央にカエルで右が壺、以上前列と
後列で合計8体。
(Escriba, Figurilla Femenina, Jugador de Pelota y Escriba Jorobado)
これは王と王妃の向かい側で、左が書記、中央が布を持つ女性、右が球戯の球を持つ若者。 前列右が背中のコブが見えませんが
せむしの書記で、合計4体。
(Dos Figurillas Femeninas, Dos Bailarinas y Dos Enanos Boxeadores con Casco)
更に時計回りに、王妃の左側。 左と左から3番目が布を持つ女性、左から2番目と右端は踊る女性で、前列に兜を被った小人の闘士が
2人いて合計6体。
(Shama al centro)
最後に中央のシャマン(祈祷師)の形をした壺で、壺には真っ赤な辰砂が入っていたそうです。 この 1体を含めて以上合計
22体ありました。 でも 化身の鹿を伴っている筈の主役が見当たりません !!
王の埋葬に際して王がトウモロコシの神となって復活する場面を表した奉納品が添えられた訳で、説明書きも鹿の前に跪いて復活する主役から
始まっているのに その肝心の主役がどれだか分からないのではどうにも納得感がありません。 展示会場で何度かこの奉納品の
ショーケースをのぞき込んでいる人達に 「鹿はどれで主役は何処にいるのか?」 と聞いてみたのですが、皆さん一様に 「見当たりませんね…。
どれなんでしょうか?」 と。
Protagonista 主役
帰国後ウェブで調べてみたら直ぐに謎が解けました、展示されていたのは主役以外の全て、でも主役の王は展示されていなかったの
です。
1時間を超える講演会の
ビデオ と
PDF版 の
エル・ペルー・ワカの2010年の活動報告 が ウェブで入手可能で、ここで初めて主役の姿を目にする事ができました。
説明書きはこの主役から始まっているのに、何の説明もなくその主役が展示から省かれているのはチョット不親切ではあります。
何故一緒に展示されなかったのでしょうか?
( 23 Figurillas)
これが主役を含めた全23体の写真で、左側で王妃の下になっているのが主役とその化身です。 上述のビデオから切り出させて
貰いました。 主役と化身の鹿を1組で1体と数えて、全部で23体でした。
(Rey y Venado sobre Plataforma)
こちらは PDF から切り取りました。 優しく寄り添う化身の鹿は何とも真に迫ります。 跪いた主役の髪型はトウモロコシの
神の形をしており、埋葬された主役の王が、後継となる王と王妃、臣下達が行う儀礼の中、化身に伴われてトウモロコシの神と
なって復活する場面と解釈されるようです。
儀式は王により書記の持つコデックスに従って進められ、ホラ貝の音楽に併せて女性が踊り歌い、布や球を持つ人や闘士達が見守る中、
厳かに執り行われていった…、と言うような感じだったでしょうか。
(Ofrenda de Figurillas, La Venta, MNA)
集団で儀式を行う奉納物は国立人類学博物館に展示されているラ・ベンタ出土のオルメカの石像群が有名ですが、埋葬39の
奉納物は時代は新しくなるものの、詳細な描写でより多くの情報を伝えてくれる、超一級の歴史資料と言えます。
Restauración 修復
( 23 Figurillas encontradas en el Entierro 39 )
埋葬が発見されたのは 2006年5月で、上述のビデオとPDF では発掘時からの状況が詳細に説明されています。 写真は発掘時の
状況で(ビデオからの切り出し)、実際は展示品のような綺麗な形で見つかった訳ではない事がわかりました。
(Figurillas recuperadas)
注意深い発掘と入念なクリーニングにより回収された奉納物です。 下の5点のようにかなり原型を留めるものがある一方、
上の王の場合のようにかなり断片化してしまったものもあり、簡単には修復が出来ずに3年間手が付けられなかったようです。
その後修復の方法を模索しながら時間が経過しましたが、テキサスのキンベル美術館から資金援助と修復技術の指導が
得られることになり、2009年にやっと修復作業がグアテマラ・シティーで始まりました。 修復の詳細は上記 PDF に画像と
共に細かく説明されているので、関心ある方はそちらを参照ください。 最新の技術を用い、足りない部分は樹脂で埋めた上に
類似の塗色が施されて修復が完成したようです。
El Perú-Waka' エル・ペルー・ワカ
ここまで見てきた出土品の質の高さと、そこから見えてくる当時のマヤの宮廷と儀礼の様子だけでも充分に驚嘆に値するのですが、
更にそこから史実の一端が垣間見えてくるのがマヤの魅力です。
古典期前期の紀元 378年にテオティウアカンがマヤ地域に入ったと言うのが定説になっていて、ティカルに到着する10日程前に
テオティウアカンの足跡が 75Km離れたここエル・ペルーの石碑15に記されているそうです。 また古典期後期にはエル・ペルーは
カラクムルの支配下にあり、カラクムル王朝の王女がエル・ペルーに嫁いでいた事も碑文から明らかになっています。
(Area central del Petén en el Período Clásico)
地図で確認してみましょう。 エル・ペルーはティカルの西でサン・ペドロ川の北岸に位置します。 タバスコ州でウシュマシンタ川
に合流するサン・ペドロ川は古くから交易の要衝にあたる為、テオティウアカンがペテン地域に入ってくる際にエル・ペルーが
地理的にその入り口となったのは頷けるところです。
でもこんなに重要なエル・ペルー遺跡が遺跡観光の対象になっておらず、その割には碑文から史実が明らかになっていると言うのは
どういう事でしょう? 自然保護区の奥地にあり 考古学的発掘が進む前にかなり広範に盗掘されてしまったのがその理由で、
史実は盗掘されて海外に流失した石碑に拠るところが大きいようです。
2003年からやっと組織的な発掘調査が始まり、埋葬39からの奉納品もその過程で見いだされたもののひとつで、新たに発見
された遺物を盗掘された石碑と照らし合わせると、興味深い史実が浮かび上がってくる事になります。
これはビデオからの切り出しで、アメリカの美術館の収蔵品となっている盗掘された石碑です。 左はテキサス州ダラス・フォートワースの
キンベル美術館の石碑33 で、エル・ペルーのキニチ・バラム2世と読み解かれています。 右はオハイオ州クリーブランド
美術館にある石碑34で、こちらはキニチ・バラム2世の妃で、カラクムルから来たカーベル王妃です。
テオティウアカンの浸透以降、エル・ペルーはティカルの勢力下にあったと考えられますが、7世紀にかけてカラクムルが勢力を
伸ばしてきた事が、石碑に刻まれたカーン王朝のカーベル王妃の存在によって明らかになります。
(Reina Kabel en Estela 34, Su Figurilla y su propio entierro)
ビデオの講演会の説明によると、埋葬39で儀礼を執り行っている王妃は何と石碑34に刻まれたカーベル王妃と同一人物だと
考えられるそうです。
石碑では王妃はカロームテという最高位の敬称が冠され、最高権力を現す盾を持ち、夫のキニチ・バラム2世より
高い地位を有していたとされますが、埋葬39の王妃を見ると石碑と同じように手に丸い盾を持ち、これがひとつの決め手に
なるようです。
その後 2012年6月にエル・ペルー中央部で発見された埋葬からカーベル王妃の名前が記された副葬品が見つかり、墓が王妃の
ものと確認され、ここに 1400年の時間を経て 石碑と小像と墓所が立体的に結びつき、何ともロマンチックな話になりました。
(建造物 M13-1 の埋葬 61 です。)
(Ofrendas de Reina Kabel, Entierro 61)
上の画像は副葬品のアラバスター容器で、石碑と同じカーベル王妃の名前が記されます。 また下の画像の小さい翡翠の彫刻は
同じ埋葬からの副葬品ですが、小像の被り物についている飾りがこの副葬品ではないかと言う指摘もあるようです。
(Un Noble Joven, La Reina y El Rey)
では王妃以外の貴族はどうかと言うと、ビデオで見た講演会ではカーベル王妃の横で正装した王は、カラクムルから葬礼に参加した
ユクノーム・チェン2世(大ユクノーム)であり、葬列で袋を持ち参列者の中で唯一サンダルを履いているのが夫のキニチ・バラム
2世ではないかという仮説をたてています。
これは百パーセント裏付けのある話では無いようで、もしかしたら正装した王は夫のキニチ・バラム2世かもしれませんが、
それにしてもカラクムルをマヤ社会の頂点に押し上げた大ユクノームが エル・ペルーでこのような姿で現れるとしたら…、
何とも興味の尽きない話です。
エル・ペルーでは引き続き発掘調査が続いており、新しい発見や研究の進展で、現在の仮説が数年後には定説になったり、或いは
全く新しい説が唱えられるようになったりするかもしれません。 これもまたマヤの面白味かもしれませんね。
エル・ペルーは20世紀になって付けられた名前で、古くはワカと言う名前だったようです。 文中ではエル・ペルー
と略してきましたが、最近は
エル・ペルー・ワカ と繋げて呼ばれるようです。