(Vista aérea por Google Earth)
メリダからウシュマル、カバーを訪問してカンペチェに向かう場合は、ホペルチェンで西へ右折して国道 261号に入り 3 Km先が
トーコックですから、通り道になります。 今回はカンペチェからなので国道を西から東へ。 Google Earth の画像で 261 と書かれた
国道マークの上 (国道の北側) が遺跡です。
(Señal de Tohcok y pajaro "Toh")
トーコック (TOHCOK) はマヤ語で "TOH" = 写真右の鳥 と "COK" = 耳の聞こえない、が合わさった地名と聞いたので、鳥と道路標識を1枚の
画像にして、このページの旧版で使ったのですが、今回道路標識の綴りが変わっていました。
(Señal de Tacob y otros deletreos)
TOHCOK の標識は無くなり、代わりに TACOB の標識がありますが、勿論同じ遺跡です。 地図を調べてみると、TACOB、TOHCOK、TOHKOB 等、
まちまちで、遺跡に置き石で記された名前は、TACOH と TOHCOK、何でもありです。 ネット検索すると TOHCOK が一番ポピュラーなようで、この名前の
ままにしましょう。
(Estructura 1 o Palacio)
これが従来からある宮殿、若しくは建造物1 として知られる建物で、東向きに立てられています(正確には東南東)。 基本的に前に来た時と変わり
はありません。
(Nueva estructura recién rescatada)
そしてこちらが新たに発掘、修復された建造物。 2006年に来た時は小山の上に建物の残骸が顔を覗かせ、その小山に登って宮殿を見下ろして
いました。 そこが掘り出されて写真の様に修復されていたのです。 建物は広場に面して南向きで(正確には南南西)、宮殿とは直角に建てられています。
(Detalle de Estructura 1)
従来からある宮殿を先に見てみます。 宮殿は比較的大きな建造物で、元々二層にわたって築かれ中央に階段が取り付けられていました。 写真上は
広場に面した東面の南側で、典型的なプーク様式の円柱と柱頭が残され、中央階段下にはやはりプーク様式遺跡で良く見られるマヤアーチの通路が設けられて
います。 写真下は中央階段の北側で、南側と同じ造りのようです。
(Lado sureste con características de estilo Puuc)
宮殿は東西に居室が3列設けられ、左の写真では内側の居室の東西の戸口が確認できます。 東西の居室は外壁が失われていますが、内側の居室は
右の写真のようにアーチ天井を含めて当時の状態で残されます。
(Lado poniente de Estructura 1)
こちらは宮殿の裏側(西面)です。 正面とほぼ同じ造りで、中央階段下にもアーチ天井の部屋が設けられていたようです。
(Restos de una estructura en 2006)
さてこれは 2006年の写真で、小山から建物の残骸が顔を覗かせています。 これがどうなったのかと言うと…。
(Estructura escavada y restaurada)
小山の上の残骸部分はそのままに、その下が掘り出され、広場に面した建物の下部が姿を現しています。 建物の前には矩形の基壇
が取り付けられ、INAH の係員の話によると、儀式が行われた場所との事でした。
(Plataforma cuadrangular adosada a la Estructura)
基壇の側面にはモザイク彫刻が施され、特に注目されるのは広場に張り出した角で、左右に大きな仮面があります。
(Esquina de Plataforma con escultura de Mascarón)
残念ながら仮面の上の部分は失われていますが、左右に耳飾りがあり、折れた鼻に牙も残され、明らかに仮面です。 彫刻が施された儀式用の基壇
が建物に取り付けられ、基壇の角に大きな仮面がある例は他のプーク様式遺跡では見た事がありません。
(Gran mascarón de Miramar en Museo de Arquitectura Maya)
これは3日前にカンペチェ市の
マヤ建築博物館で見た、建物の角を
飾った大きな仮面彫刻で、博物館の説明には 「チェネス地域では建物の角は
長い鼻を持つ神の仮面で飾られます…」 とありました。 トーコックのモザイク彫刻とは別物ですが、建物角にこうした大きな仮面が施されるのは
チェネス様式の影響でしょうか。
(Esquina suroeste con Mascarón)
基壇角だけでなく、建物の左右の角にも同様の仮面彫刻が残されます。 これは向かって左側で、折れた鼻先が下に置かれており、
切断面を繋げると鼻は上に向かって巻いていたように見えますが…?
(Esquina noreste con Mascarón)
これは同じ建物の向かって右側で、やはり大きな仮面で飾られ、奥の壁の下部は丸い小柱で飾られます、影で暗くなり見づらいですが。 典型的な
プーク様式と比べると小柱はやや太めです。
(Esquina noreste con Mascarón)
左側同様 折れた鼻が下に置いてありますが、左側のものとは形状が少し異なるようです。 発掘時はどのような状態だったのか、崩れ落ちた
パーツをジグソーパズルのように解いていったのか、興味深いですね。
(Cuarto interior de nueva estructura)
基壇の上にあがり 建物の奥(北側)を覗いてみました。 奥の壁面中央が崩れていますが、元々あった戸口が後になって塞がれていたような感じで、
更に奥には崩れたアーチ天井が顔を覗かせます。
(Boveda de arco falso Maya)
このアーチ天井は以前 小山の上に露出していた建物の残骸部分にあり、2001年に近くから撮った写真がありました。 アーチ天井の天辺は鋭角的に
閉じられ、宮殿の方のアーチ天井とは明らかに様式が異なり、古そうです。 新しい建物で埋められた古い建造物という印象です。
新たに発掘・修復されたこの建造物ですが、かなり崩れていて 説明資料もない為、全体がどんな建物だったのか詳細は不明です。 ただ従来の
トーコック遺跡に対するイメージを変えさせるには十分な新発見だったと言えるでしょうか。 土塁の状態で見ていた所が発掘され、仮面まで
掘り出されたとは、何とも痛快です。
(Sillares excavados ? y parte de Estela)
仮面の基壇の北側に、屋根に保護されて石材が集められていました。 中には彫刻のあるものもあり、更なる修復の準備中でしょうか。
宮殿の屋根のある居室には石碑の断片が保護されています。 左側に貴族が座って右側の人物と対峙しているように見えますが。
(Montículo grande al norte de Estructura 1)
冒頭に 40 以上の建造物が埋もれたままと書きましたが、これは宮殿の北の私有地内にある土塁で、国有地との境界から撮りました。 この
土塁の南西にも もうひとつ小さめの土塁 (写真下左) があり、国道を挟んで西方向、家畜用の柵の向うの丘陵部分にも 建物跡 (写真下右) が
広がります。
(Chultún que queda en el área)
国道を横切って車に戻ります。 車を停めた場所から ホペルチェン方向へ 50m 位歩くと チュルトゥン (地下にしつら
えた水溜め) も有ります。 先を急ぐのでパス、写真は以前撮ったものです。
通り道なので軽い気持ちで寄ってみたトーコックですが、思わぬ発掘の成果を目にする事になりました。
仮面のモザイク彫刻が出土した事で、その他の遺構の発掘・調査に拍車がかかると良いのですが。