(Ubicación de Chunhuhub)
後でわかったのですが、チュンフフへは、国道261号から西へシュクロックの村を目指すのが正しいルートです。 でもカンペチェから
エセルチャカンへ行き、そこから東へ行くルートを取ったので、近道をと南からシュクロックへ向かい、結果として左下の写真の様に
未舗装の道を 10Km程延々と行く破目に。 (国道261号にはシュクロック 16Km の標識がありました。)
(Terraceria a Xculoc) (Poblado de Xculoc)
シュクロックの村へ着くとそこから東は綺麗に舗装されていて、あれっ? 右上の写真です。 シュクロックにもプーク様式遺跡が
あるのですが、整備されていないし、時間もないので素通りでした。
(Entrada al sitio de Chunhuhub)
そしてチュンフフ遺跡なんですが、何の表示もなく通り過ぎてしまいました。 おかしいと思い戻ってみると、この農場の入り口
みたいに見えるのがチュンフフ遺跡の入り口でした。 左の小屋が受付で、右がトイレですが、トイレは水が無いと言う事で鍵がかかって
いました。 まあ入場料の徴収がないので文句は言えませんが。
(Vista por Google Earth)
遺跡の受付から南へ 200m 位歩くと遺跡エリアです、と言っても遺跡への道の両側にも未発掘の土塁が並びますが。
(Zona arqueológica)
そして遺跡の看板の奥がお待ちかね、プーク様式の建造物です。
(Palacio de Chunhuhub)
2.5mの基壇の上に宮殿と呼ばれる建造物 I があり、その右で緑に隠れているのが建造物 II です。 西向きに建てられているので
残念ながら午前中は正面が影になってしまいます。
一応地図で確認。 Arqueologia 特別号 #25 カンペチェ特集 (p.20) では、間違って宮殿が北向きになっているので、この地図では正しく訂正してあります。
地図には修復された遺跡の主要部だけが示されますが、地図の外側にも沢山の土塁があり、遺跡の規模がどれ程なのか見当がつきません。
(Estructura I)
これは前に広がる広場から建造物 I を見上げたところです。 現在は一層の建造物ですが、元々二層に積み上げられ、裏側は居室が東へ延びていて、
合計13室の居室があったそうです。 現在は写真の通り南北に伸びる一層目の4室だけ残され、左から2番目の入り口の周囲の建物装飾が
よく紹介される部分です。
(Fachada de estilo Puuc)
基壇に登り建造物 I の正面からその有名な部分のクローズアップです。 カンペチェ市のマヤ建築博物館でもプーク様式建築物の説明に使われていました。
(Dibujo exhibido en Museo de Arquitectura Maya)
マヤ建築博物館でのスケッチです。 現地で欠けている部分を書き足すとこうなる訳ですが…。
(Detalles de elementos arquitectónicos)
現状はこれです。 欠けた部分を付け足して修復は可能ですが、このままが良いでしょうね。
(Fachada de Estructura I)
建造物 I 正面南側の細部です。
(Enlace de dos estructuras)
建造物 I と 建造物 II はマヤアーチと階段で繋がれています。 この辺りにコウモリの建物装飾が
あったそうですが、 1982年の修復時に博物館へ移されたそうです。 現在は倉庫保管でしょうか?
(Estructuras II)
建造物 II の全景です。 建造物 II は居室が3つの建造物という事ですから、壁面上部の建物装飾を含めてほぼ全体が残されている事に
なります。 雷紋は雷を意味し雨の神チャークの化身にもなりますが、3対の雷紋は3体分のチャークが表現されているようです。
(Fachada norte)
建造物 II 正面北側の細部で、戸口の上の一対のチャークの目(雷紋) がわかります。
(Estructura I y Estructura II)
南西側から撮った宮殿 建造物 I と 建造物 II の全景で、これがチュンフフで修復されている全てです。
(Montículo en suroeste de Palacio)
上の写真は南西側にある土塁の上から撮りましたが、その土塁にも建物の壁の一部が残されます。
(Lado sur de Estructura II)
これは建造物 II の南側側面とその裏側で、瓦礫の山が続きます。
(Área trasera de Palacio)
裏側のパノラマ画像です。 瓦礫の山だらけですが、宮殿の建造物の裏側はどうなっているのか?
(Lado trasero de Estructura I y II)
上は建造物 II の裏側です。 下の2枚の写真は建造物 I の裏側で、二層目の居室のアーチが見えます。
(Parte de Palacio y Chulltun)
左は東に伸びた宮殿の一部でしょうか。 右は宮殿の裏に作られたチュルトゥン(水溜め)です。
(Parte norte de Plataforma del Palacio)
これは宮殿がのった基壇の北辺にあたり、左に見える壁は建造物 I の裏側になります。
(Numerosos montículos alrededor el Palacio)
宮殿の北東側(写真上)や北側(写真下)にも至る所に瓦礫の山がありますが、修復の手は及んでいません。
(Escultura que decoraba algun edificio de Chunhuhub)
マヤ建築博物館にはチュンフフからのものとしてこの建物を飾った彫刻が展示されていました。 チュンフフの何処からかは
わからないようですが、宮殿よりも装飾の凝った建造物もあったようです。 沢山残された瓦礫の山の何処かに…?
(Gran plaza en frente de Palacio)
宮殿の西側に大きな広場が広がり、中央にボロボロの石造物が集められていました。 矩形の低層基壇と石碑の様にも見えますが? 木立ちの
向うに見えるのは宮殿です。
(Foto panorámica, norte de Palacio)
また瓦礫の山の土塁の間を通って入り口に戻ります。 予想通りあまり見どころは多くないチュンフフでしたが、取敢えず納得です。
朝8時前にレンタカーでカンペチェを出発、チュンフフを見終えて10時半です。 今日の旅程は更にサイール、シュラパック、ラブナー経由、
もうひとつの未訪問のプーク様式遺跡チャクムルトゥンへ行って、泊りはウシュマルです。 先を急ぎます。